- ナノ -

■ とある念能力者

 クロロに個人的に呼び出されるときは、六割が愉快で残りの四割はただただ面倒なだけの依頼が多かった。一応、蜘蛛としての仕事ではないから”団長”ではなく”クロロ”と呼ぶけれど、古い付き合いだ。命令でなくとも、なんだかんだ頼まれれば引き受けてしまう。
 そういうわけで今回の依頼は当たりだったらいいなと考えながら、シャルは連絡があったクカンユ王国の外れにある小さな街に、列車で三時間ほど揺られて到着した。

「えーと、住所的にはこの市場マーケットを抜けた先か」

 本来の使われ方をした愛用携帯を片手に、シャルは雑踏をかきわけていく。都市部から離れた田舎ながらも人口は多いようで、客引きや値段交渉をする声がざわざわと喧騒を生み出していた。

「あった、ここだ」

 クロロが現在滞在しているらしいアパートメントはお世辞にも綺麗とは言えなかった。先ほど市場マーケットの熱気にあてられたせいか、日当たりの悪いここはどこかうすら寒く感じられる。二階建てのアパートの裏手は細い路地に面していて、犯罪の温床ですと言わんばかりのじとりとした雰囲気を醸し出していた。まぁ、実際にシャルもクロロも幻影旅団はんざいしゃなので、相応しいといえば相応しいのかもしれない。

 シャルは錆びた鉄の階段を盛大にきしませた後、ややあって目当ての部屋の扉をノックした。インターホンなんて画期的な物はどこを探しても見当たらなかった。「開いてるぞ」ほとんど間髪入れずに返された声に従い、ゆっくりとノブを回す。

「あれ、意外と綺麗じゃん」
「……開口一番それか? 失礼な奴だな」
「だって、いつもはもっと本にまみれて、クロロにも埃が積もってそうな勢いだったからさ」

 玄関から居間へは廊下とも呼べないほどの距離しかなく、扉を開ければ中の様子が丸見えである。いつもならそこにあるはずだった、本の虫……というか本の主と呼ぶにふさわしいすさみっぷりがなく、シャルはなんとなく拍子抜けした気分になった。

「いつどこに呼ばれても散らかってるもんだからさ、たまに家政婦として呼ばれてるんじゃないかって疑ってたんだよ」
「集中してると気にならないんだ」
「集中しすぎて、片付かないんだろ」
「どちらも本質的には同じ意味だ」

 肩を竦めたクロロはいけしゃあしゃあとそう言ってのけると、あいつに会わなかったか、と当たり前のように聞いてきた。「あいつ?」当然、シャルには何のことだかわからない。クロロと共通の知り合いとして真っ先に思い浮かぶのは他の団員だが、今回はシャル以外に招集がかかったとは聞いていない。単に言われていないだけかもしれなかったが。

「オレ以外にも他に誰か呼んだの?」
「いや。だが、市場マーケットを通る際、念能力者の存在に気付かなかったか?」
「うーん、いたかもしれないね。敵意や殺気があれば別だけど、目立たない程度に垂れ流されてる分には一々気にしてないからさ。なに? そいつがどうかしたの?」
「そいつの能力を聞き出してきてくれ」
「は?」

 言われている意味が分からず聞き返したのだが、クロロはご丁寧にもう一度同じことを言った。市場マーケットにいる男の念能力を探れ、と。

「……自分でやればいいじゃん。まさか、オレをわざわざこんな田舎まで呼び出したのもこのためだなんて言わないよね?」
「もちろん違う。が、話はその男のことを済ませてからだ」
「……最悪」

 もしこれが”団長”相手だったら、一も二もなく返すべき言葉は”了解”であった。が、”クロロ”が相手なら、文句の一つや二つ言わせてほしい。現にシャルの友人としての素直な反応を見て、クロロは心底可笑しそうに口元に笑みを浮かべていた。

「今回の仕事、たぶんハズレだ……」

 結局、珍しく片付いていた部屋にろくに足を踏み入れぬまま、シャルは元来た道を引き返す羽目になったのだった。


△▼

 ハンター試験に合格し、プロのハンターとなった者は現在世界に六百名ほどいると言われている。倍率だけで言えば数百万分の一の難関と言われる職業だったが、実際には試験官の出す四つから五つほどの課題をクリアするだけでライセンスは発行された。経歴も身分も一切問われることなく”この世に存在しないはずの人間”や”人殺し”でさえもハンターになれるのだから、実際にライセンス持ちであるシャルからすれば実に胡散臭い職業である。

 だが、ハンター試験はライセンスさえ取れば終わりというわけではない。その時点ではまだ到底一人前と呼べる者ではなく、仕事の斡旋を断られることもあるだろう。ハンター試験には受験者たちが毎年変わる会場に集まって受ける”表試験”とは別に、”裏試験”というものが存在する。試験以前に身につけていなかったものは、そこで初めて念能力の存在を知るのだ。

 つまり、現在協会に在籍するプロハンター六百名は、そのまま念能力者の数であると考えていい。この数字を多いと捉えるか少ない捉えるかは人によりけりだが、彼らは常識では考えられない多種多様な力を持ち、その心根も善ばかりでないのだ。そしてさらに恐ろしいことにこうした”念能力者”になるだけなら、受験も資格も何も必要なかった。生まれながらの天才で当たり前のように遣えてしまう者もいるし、我流の修行でちゃっかり身につけてしまう者もいるのである。
 シャルは市場マーケットで目当ての男を見つけたとき、こいつはきっとそういう独学タイプなんだろうなと思った。
 

「そこのお兄さん、どうだい? うちの魚は新鮮だよ。安くするから買っていかないかい?」
「魚かぁ、いいなぁ。でも俺、捌き方とかよくわかんないし」
「なぁに、難しいことは考えないで塩をまぶして焼けば美味いさ。なんなら隣の八百屋のレモンもおつけしとくよ」
「ちょっと、何勝手に人の店の品をオマケにしてんだい! お兄さん、レモンといやぁ野菜炒めに入れてもさっぱりしてて美味しいよ。今晩のおかずにどうだい?」
「あーそれも美味そうだなぁ」

 商売上手な店主たちに格好の餌食とされている男は、シャルが初めに見逃しただけあって何の敵意も、それどころか警戒心すらも抱いていないように見えた。ごく普通の自然体で、オーラの流れも一般人のそれと変わりない。いや、彼の場合はあまりに自然すぎて、それが逆に”不自然”だったと言うべきか。

 通常、一般人のオーラは微量に垂れ流され、湯気のようにその身体の周囲をたゆたっているものである。その観点で見るとずっと薄く垂れ流されている男のオーラは素人と言って差し支えなかったのだが、その垂れ流され方があまりに――そう、まるで意図的に流量を調節しているかのように均一なのである。表面上は確かに揺らめいてはいるが、身体を覆う部分のどこにもムラがない。まるで湖面に描かれる波紋のように、男のオーラは彼を中心とした完璧な層のように見えた。

「まぁ、いらっしゃい。こんな田舎に観光かい?」
「うん、そんなところ。何かおすすめの土産ってある?」

 いかにも怪しいその男の真後ろを、シャルは何食わぬ顔で通り過ぎた。そして二、三件離れた隣の店先で、土産を物色する振りをする。店主は都合のいいことに、穏やかそうな老婆だった。

 「この辺りは縞メノウが有名でねぇ。女性へのプレゼントとして、とっても人気があるんだよ」
「へぇ、そうなんだ。確かに見事な平行縞だね」

 にこやかに談笑しながらブレスレットに加工されたそれを手に取るが、残念ながらシャルの意識はここにはない。ちらりと目の端に捉えた例の男は、結局口車に乗せられて魚もレモンも野菜も全て購入したようだった。

「いい人がいるんだったら、お揃いでつけるといいよ。女ってのはそういう特別が好きだからねぇ」
「じゃあこの白っぽいやつと、青っぽいやつを一つずつもらえる?」
「はいよぉ、毎度あり」

 穏やかそうに見えたのはどうやら見た目だけで、この老婆もなかなか商魂たくましい。だがお陰で、こちらの心もあまり痛まないというものだ。「おっと」金を手渡す際、わざと硬貨を数枚地面へと滑らせる。それを拾おうとして屈みこんだ老婆の首筋に、アンテナを刺すのは実に簡単だった。

「あはは、ごめんね。おばあちゃん」

 一緒になって拾う振りをして屈んだシャルナークは、自分の身体を陰にして携帯を操作する。何も複雑なことをさせるわけではなかった。アンテナさえ抜けば、多少記憶の混濁はあるかもしれないが命に関わるようなものでもない。
 老婆は硬貨を全て拾った後、立ち上がる際に眩暈を起こすのだ。そして店先に並べられた籠にぶつかり、天然石のクズ石たちを盛大に道へとばら撒く。

「うわっ、大丈夫か?」

 じゃららっ、と硬い石が散らばる音が、辺りの注目を一瞬で集めた。両手に魚と野菜をこれでもかと抱えた男も、目を丸くしてこちらを見ている。「立ち眩みを起こしたみたいだ。体調が優れないのかもしれない」シャルが老婆を支えつつ男に向かってそう言うと、彼はせっかく買った食料をどん、と店頭に置いてこちらに駆け寄ってきた。
 あまりに無防備なその距離感に、シャルはもう一本のアンテナを早速使ってしまうか考えたくらいだった。

「ばーちゃん、大丈夫か? 俺の声、聞こえる?」
「う、ううん……」
「一応、意識はあるみたいだな」

 男は手早く脈や体温を確認すると、遠巻きに見ていた周りの人間に声をかける。「誰か、このばーちゃんの家族呼んでくれないか?」男の呼びかけに、みな我に返ったように動き出した。そうなると後は早かった。

「あんまり元気だからつい忘れちまうけど、ディジばぁちゃんもいい歳だもんなぁ」
「ありがとうな、あんちゃん。娘さんが来てくれるそうだから、後は俺らが面倒みるよ」
「ちょっと、荷物忘れてるよ! お兄さんの親切にぐっと来たから、リンゴをオマケしとくわね。うふふ、そっちの金髪のお兄さんも、顔がかっこいいからオ・マ・ケ」

 そうしてあれよあれよという間に老婆は町の人々に介抱され、道に散らばった石は片付けられ、シャルと男の手の中には真っ赤なリンゴが一つずつ押し付けられる。どさくさに紛れて老婆のアンテナを回収しておいたシャルは小さく肩を竦めると、初めて男と真正面から向き合った。

「なんか、巻き込んじゃって悪かったね」
「おいおい、俺は親切で、あんたは顔がかっこいいから……? いや、いいんだけど、なんかすげー納得いかない……」
「聞いてる?」
「あ、悪い。なんだっけ? リンゴは皮ごとのほうが美味しいって話なら同意するよ」
「……はは、君面白いね。これも何かの縁だし、せっかくだからこれ食べながら少し話さない?」

 男はたぶん、シャルとそう歳も変わらないだろう。改めて近くで見ても、やはりそのオーラは不自然なくらい均一になっている。我流だとしても、かなり小さい頃から修行を積んだはずだ。そうでなければここまで見事にオーラを操れはしない。
 
「あぁ、いいよ。俺はマオって言うんだ。この町には三か月くらい前から住んでる。アンタは?」
「アゲードだよ。俺は友人に会いに来たのと、観光を兼ねて。よろしくね」

 シャルが偽名を名乗ると、マオはへらりと笑って右手を差し出した。それがあまりに予想外で自然な行動だったので、一瞬シャルの思考は停止する。この男も念能力者なら、迂闊に他人に触れたいとは思わないだろう。いや、むしろこの男の念の発動条件こそが”握手”なのか? 
 笑顔を浮かべたまま硬直フリーズしたシャルにマオは不思議そうな顔をしたが、一拍遅れてハッと目を見開くと、慌ててその手をひっこめた。

「あ、えっと、そうだ。駄目だって言われてたんだ。ごめん、この手のことは忘れてくれ」
「いや、俺の方こそごめん。普段そうそう握手する文化にいなくって。マオはたぶん……出身はカキンのほうだよね? そっちではよく握手をするの?」
「あぁ。初対面の挨拶の初めは、基本的に握手かな。うーん、それにしてもやっぱ癖が抜けないな。あ、ちょっとこれ持ってて」
「別にびっくりするだけで悪いことだとは思わないけど」

 自分の分のリンゴをシャルに渡したマオは購入した食材の袋を両手に抱えて戻ってくる。そしてそのまま近くに置かれていた空の木箱を二つ並べると、よっこいせとその片方に腰を下ろした。「いやまぁ、握手自体は悪いことではないんだけどさぁ」手のひらを向けられたので、そこにマオの分のリンゴを置いてやる。それをきゅきゅっと服の裾で拭いた彼は、がぶりと瑞々しい果実に歯を立てた。

「シャルがもしも操作系の念能力者だったら、危ないだろ?」
「……」
「あ、ごめん。アゲードだったっけ」

 あっさりと謝って偽名で呼びなおした彼は、おそらく本当に悪気がないのだろう。シャルは慣れたはずの笑顔が引きつるのを感じた。やっぱり最悪だ。なんて茶番なんだろう。

――クロロのやつ、オレで遊んだな

 今回の依頼の内容は、まだ概要すら聞いていない。単なる情報収集なのか、何かを盗むのか、クロロはメールでは肝心なことを何も言わなかった。
 けれどもシャルは確信していた。この目の前の男がどう関わってくるのかは知らないが、直感的に悟っていた。

 今回の仕事は絶対に、大ハズレに違いないと。

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