- ナノ -

■ とある図書館

 しゅみ【趣味】
 一.仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「――は青い果実を探すことかな」
 二.物事から感じ取られるおもむき。味わい。情趣。
 物事の味わいを感じ取る能力。(それに基づく)好み。「あんな女を好きになるなんて――悪いね」

 おそらくお手元の辞書を引いてもらえれば、そこには上記のような定義が記されていることだろう。もしかすると例文こそ違うかもしれないが、人は“趣味”という言葉を用いるとき大抵一か二の意味合いで使っているはずだ。

 クロロの読書も、個人が楽しみにしているという点では一の意味であった。が、その本を手に入れる過程は半ば仕事みたいなものなので、いわゆる“趣味と実益を兼ねている”として人から羨ましがられるものだろう。
 今宵もクロロは自らの趣味のために、ヨークシンにある中央国立図書館へとやってきていた。博物館ならばともかくも、さすがに本しかないここへ仲間をつきあわせるのは忍びなく、今日は完全に単独行動である。それにクロロは本自体を愛する男でもあるので、貴重な資料を警備員なんかの血で汚したくもなかった。

 クロロは事前に職員から拝借しておいたIDカードを使い、昼間となんら変わらぬ自然さで入館を果たす。監視カメラは出入り口とトイレ付近、それから書架の間に一定の間隔で設置されている程度で、いずれも既に機能していない。やはり図書館は学習や情報収集の場として公共利用されることを想定しているので、博物館などに比べれば警備は笑ってしまうほど緩いのだ。

 夜の図書館の空気は少し埃っぽかったが、慣れ親しんだ紙の匂いはクロロを穏やかな気持ちにさせてくれた。受付を横目にそのまま館内を静かに移動し、一階の奥にある事務室を目指す。
 クロロのお目当ての本は、一般向けのゾーンには並べられていなかった。事前の調べによれば事務室の奥に地下へと繋がる階段があって、一般公開されていない貸出持ち出し厳禁の禁書の棚がある。禁書と言えば、普通は政治や宗教と言った、時の権力を脅かす可能性があるために出版や販売を禁止された書物を指すが、念能力だって十分管理すべき恐ろしい力だ。だからそうした念のかかった特殊な書物は”呪われた品”として、人目に触れないよう管理されていた。


「……警備員、いや、先客か?」

 地下への階段を降りる途中、不意に念能力者のオーラを感じ取ったクロロは足を止める。妙な話だ。そもそもこの図書館に夜間の警備員がいるという情報は入っていない。博物館と違ってわかりやすい価値を持たない本には、機械を用いたセキュリティーで十分だからだ。しかも館内へ入った時は確かに人の気配はしなかったので、おそらく地下にいる相手は絶を遣って気配を消していたのだろう。

 何者だろうか。そう思いつつ、クロロは再び足を進める。目当ての品を譲るつもりもなかったし、わざわざ深夜の図書館に侵入する、自分と同じような趣味の人間に興味が湧いたのだ。
 階段を降りきるとそこは小さな部屋に繋がっていて、ずらりと一面に並んだ本棚の前に一人の男が堂々と床に座り込んでいた。

「本に集中する気持ちはわかるが、危機管理がなってないんじゃないか?」
「えっ? う、うわっ!」

 声をかけると男はびくん、と飛び上がり、いっそ無様なほど目を白黒させてこちらを見上げる。男の動きに伴って頭の後ろで緩く三つ編みにされた髪までもが跳ね、それが動物のしっぽを想わせた。

「ア、アンタ誰!? えっ、もう閉館時間だよな? ていうか鍵は?」
「開いてたぞ」
「うそぉっ!? やばい、怒られる!」
「安心しろ、嘘だ」
「なぁんだ嘘かぁ〜よかった…………え、じゃあなんでここに?」

 怒られる、と言ったことから、この男はおそらく図書館側に雇われた人間なのだろう。しかし突如現れたクロロに驚くばかりで、警備としてはあまり役立ちそうにない。そもそも、警備員が地下で本を読んでいるなど職務怠慢もいいところではないか。
 クロロはさて、どうしたものか……と内心で思案する。気絶させてとっとと本を頂くのは簡単だが、男を実際に目にしても湧いた興味は消えていなかった。

「ここへ来たのは本が目当てだ。情報になかったが、お前のような念能力者が警備に雇われているなんてさぞかし面白い蔵書を抱えているんだろうな」
「うーん、でもここ禁書の棚だから閲覧許可がいるぞ? 来るなら昼間にしてもらわないと……俺は警備員じゃないし、司書でもないから許可は出せない」
「ほう。警備員じゃないならなんだ? 泥棒か?」
「誰が泥棒だよ失礼な! バイトだよバイト。”チーゴ”……じゃなかった、念がかけられて読めない本を解除していくバイトをしてんの!」

 男は喜怒哀楽がはっきりと顔に出るタイプらしく、心外な! と言わんばかりに眉を吊り上げた。今言葉を交わしているクロロこそが”盗みに来た”のだとはつゆ知らず、ぽろぽろと情報を零していく。

「今ちょっと本見てたのも別にサボってたわけじゃないからな? 休憩がてらちょっと覗いてみただけで、さっぱり意味わからなかったし読んでたわけじゃない!」
「そうか。実は俺はお前の仕事ぶりを確認しに来たんだ。遊んでたわけじゃないなら別に構わない」
「抜き打ちチェック!? 都会こわ……油断も隙もならねぇ……」
「いいから、仕事ぶりを見せてみろ」

 かけられた念を解く、と言うからにはこの男は除念師なのだろうか。それにしては随分と危機感もなくぺらぺらと喋ってくれたが、お陰でこちらとしてはやりやすい。ありえないだろとつっこみたくなるほどあっさりとクロロを”監査官”だと勘違いした男は、促されるままに棚から本を一冊取り出した。

「わかったよ。じゃあとりあえず簡単そうなこれで」
「……確かに禍々しいオーラを放っているな。一体これは何の本だ?」
「知らん。そのあたりに目録の書かれた資料があったはずだ」

 男の指さした先を追えば、紙の束がぞんざいに置かれている。それを拾い上げて中身に目を通したクロロは、同じ題名のものをすぐに発見した。

「ゲイシー・クラウン――シリアルキラーで有名な男の手記だそうだ。読んだ者全員がそうなるわけではないらしいが、まるで何者かに操られたかのように無差別殺人事件を起こす者が出たため、封印されることになったらしい」
「へぇ、そんな危ない物いつまでも置いとくなよ。俺が燃やしておいてやろうかな」
「燃やそうとしても燃えないどころか、災いがふりかかると書いてあるぞ」
「うわ、それ聞いてよかった」

 男はそう言いながらも、特に臆することなく本の背表紙に手を当て、深呼吸したのち目を瞑る。クロロは黙って、凝をしながら何が起こるのか見つめていた。
 本を包む禍々しいオーラと、男の手のひらから本に向かって流される緩やかなオーラ。それらがぶつかり合い、反発しあっているのがよくわかる。しかし、そうやって男がオーラを送り始めて五分ほど経った頃だろうか。男のオーラが、一定の波のような周期で本に向かって流れるようになる。本の放つオーラはそれを受けて時に増幅し、時に減衰し、ゆらゆらと影響を受け始めていた。

「よし!」

 男が目を開いてそう言ったのはさらにそれから五分後だった。もう本から立ち上るオーラは一切なく、彼はやりきった表情をしてこちらを見る。
 クロロはほう、と珍しく感嘆の声を漏らした。

「すごいな。一体どういう原理なんだ?」
「えー、説明するのめんどくさいんだけど……うーん、俺が波状のオーラを出して、相手のオーラの周期と合わせて打ち消したって感じ」
「なるほど、そういうことか。理解した」
「へっ!? 今の説明でわかるの? 天才かよ」
「わかったのは原理だけだ。それをお前が一体どうやって実現しているのかはさっぱりわからない。目を閉じるのは制約か? 念ならなんでも消せるのか? 使用に際するデメリットは?」

 口で言うのは簡単だが、男がやっていることはかなり人間離れした行為だ。オーラの振動数や周期を感知し、調節したものを自分で放てるなんて普通じゃない。
 クロロが立て続けに質問をすると、男は面食らったように間抜けな顔を晒した。だが、これも仕事ぶりとして上に報告すると言えば、そのまま素直に口を開く。

「制約って言われてもわかんないけど、とりあえず目を瞑って集中しないととてもじゃないが”位相合わせ”はできない。消せる念の条件は空気中に出てることと、性質だけじゃなく組成が変わっている場合はオーラに触れる必要があること。デメリット……うーん、すごい疲れるのと物によっては時間がかかるってことか? 正直、戦闘向きではないよ」
「なるほど……」

 聞く限りには美味しい念だ。通常の除念だと術者にリスクがあることが多いが、この男の”打ち消し”にはそういったものがないらしい。自分に使えるかどうかはさておき、ここまできたら試してみたくなるのが人情というものではないだろうか。
 クロロは頷くと、自身の念能力、盗賊の極意スキルハンターを具現化した。そしてわお、と目を丸くする男に向かって、その背表紙を差し出す。

「お前が仕事をちゃんとやっているのはよくわかった。報告書を出すからこの手形の上に手を置いてくれ。お前、カキンのほうの人間だろう? 手形がサイン代わりになるのはわかるな?」
「お、おう……なんか昔はそういうやり方があったって聞いたことがあったけど、まさか都会じゃ未だにやってるなんて……よし、これでいいのか?」
「あぁ、上出来だ」

 盗賊の極意スキルハンターで念を盗む際の条件は四つ。相手の念を実際に見ること。念能力に関して質問し、それに答えてもらうこと。本の手形と相手の手のひらを合わせること。そして、これら全てを一時間以内に終えること。この条件の難易度から念を盗むのはそう簡単ではないため、これほどまでにあっさり事が済むのは珍しい。
 
「へへ、給料上がったらいいなー」
「そうだな。お前の能力は非常に価値がある。捕まってあっさり死んだりするなよ?」
「捕まる? なんの話?」
「弁償で済めばいいが……やはり責任問題とか色々あるだろうな」
「弁償? 責任問題?」

 頭上にはてなマークを飛ばしながら首を傾げる男は、本当に何もわかっていないらしい。あまりの間抜けっぷりに、クロロは少し愉快な気持ちになった。明日の朝、目を覚ましたこの男は禁書の棚が空っぽになっているのを発見して、一体どのような反応を見せるのだろう。

「気にするな、こっちの話だ」
「そう。じゃあいいか。俺はまたちょっと休憩するよ。肩が凝った」
「あぁ、ゆっくり休め」

 くるり、とこちらに背を向けた男の肩ではなく首筋に、とんっ、と手刀を落としたクロロはにやりと笑う。
 そしてもしもこの男の念を盗まなかったとしても殺しはしなかっただろうな、なんて、柄にもないことを考えていた。

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