- ナノ -

■ とある呪い02

 木を隠すなら森の中、人を隠すなら人混みの中。
 そういうセオリーくらいは知っていたけれど、そもそもこの町の人間でないマオが人の多いところに行ったって悪目立ちするだけであり、おまけに少女を小脇に抱えていては、あらぬ疑いまでかけられてしまうだろう。
 そういうわけで町の中心部からどんどんと離れたマオは河川敷のほうまで全力で駆け抜けて、追っ手がやってきていないことを確認してから、やっとの思いで少女をその場におろした。

「ここまでくればもう大丈夫だろ」
「……」

 ふう、と呼吸を整えて、ついでに背負っていたリュックもどかっと地面におろす。今回は初めての出張であり、難病ハンターの同伴をするのだという意気込みもあって救急キットを持ってきていたのだ。

「ええと……あ、あった。ほら、手当てしよう」
「……」

 しかしながらマオががさごそ中身を漁って目当ての物を取り出しても、少女は依然としてだんまりだった。出会い頭の様子から引っ込み思案な性格というわけではなさそうなので、ただ単に警戒されているのだろう。その証拠に彼女は長い髪で隠れていないほうの目で、マオをぎろりと睨みつけていた。

「あー、えっと、俺はマオ。ハンターやってて、怪しい者じゃない」
「……」
「う、嘘じゃないぞ。ライセンスだってちゃんと持ってるんだ、ほら」

 果たしてこれは一般人相手に身分証明代わりになるのかならないのか。とりあえず何もないよりかはマシだろうと、マオはズボンの尻ポケットから協会マークのでかでかと書かれた一枚のカードを取り出す。
 もしもビーンズが見ていればなんとぞんざいな! と顔色を変えていたことだろうが、少女もまたライセンスを認識すると、僅かに固い表情を動かした。

「……本物?」
「もちろん! 俺、今年受かったんだけどさ、今年って286期でこの認定ナンバーの下3桁が、」
「わ、わかったわよ、そんなの見せられてもわかんないし、とにかく寄らないで!」
「いやでも、怪しい者じゃないってわかったんなら、手当てさせてほしいしさ……」

 さっきぶつかったときにできたものではないと言っていたが、それでも怪我は怪我である。髪のせいで傷口こそはっきりとは見えないものの、血が出たままにしておくのはよくないだろう。マオが髪を退けようと手を伸ばすと、少女は勢いよくその手を払った。

「っ、触んな、変態ッ!」
「へ、変態じゃないだろ! 怪我の手当てするって言ってんのに!」
「あんたには関係ない」
「でもぶつかったじゃん、俺のせいかもしんないだろ」
「だから、そのときにできたんじゃないってば」
「そうだとしても、あとで難癖つけられたらたまらないだろ。女の子に傷つけたら責任取らされるって師匠が言ってたんだ」
「はぁ?」

 もちろん、本気でこの少女が難癖をつけてくるとは欠片も思っていないけれど。
 強情な彼女を説き伏せるためにそんなことを言えば、意外にも彼女は真に受けたようだった。口は達者でもそういうところはまだまだ子供のようである。

「なによそれ。それなら……あたしはあいつらと結婚しなきゃいけないわけ? そんなの死んでもイヤ」
「だったらちゃんと手当てして、傷が残らないようにだな……」
「あいつらだって、呪われたうちの子供となんて絶対嫌がるに決まってる」
「うんうん、お互い嫌ならやっぱりちゃんと治そ……って、もしかして君、ヤーナ?」

 こんな狭い町で、呪われた家がいくつもあってはたまったものではない。マオが少ない脳みそを総動員させてひとつの可能性に辿り着くと、少女ははっとしたように瞳を揺らした。

「なんであたしの名前……」
「やっぱりそうか! 俺、君の妹の調査に来たんだよ! 俺の上司が医者兼ハンターで、俺はあくまでお手伝いなんだけど――」
「医者? 治るの?」

 遮るように発せられたヤーナの声はひどく真剣で、切羽詰まった響きを帯びていた。気休めなんか無意味で、励ましも無責任な言葉にしかならないだろう。彼女の真剣さにマオは喉元まで出かかった楽観を呑み込んで、代わりにぐっと眉根を寄せた。

「……わからない」

 マオはまだ彼女の妹の状態をこの目で見たわけではない。正直な答えを返せば、ヤーナは特に失望したふうでもなく目を伏せた。

「そう……」
「で、でも何とかできないかと思って調べてるんだ。俺、こう見えて呪いを解いたこともあって……だから、話を聞かせてくれないか」
「壺とか水なら間に合ってるわ」
「だけど、俺は間に合ってないだろ? 壺とか水じゃなくて俺自身を使うんだよ」
「意味わかんないんだけど……」

 いよいよ胡散臭いようなものを見る眼つきで、少女がこちらを見上げてくる。しかしながらマオが誠心誠意見つめ返せば、やがて彼女は根負けしたように息を吐いた。

「……だったらこれ、治せるって言うの?」

 そう言って彼女は、顔の半分近くを覆っていた長い髪をゆっくりとかき上げる。彼女の指しているものが額の怪我でないことくらい、いくら鈍いマオでも一目でわかった。

「それは……」
「生まれつきこうなの。呪いだって、皆言うわ」

 マオがしっかり見たことを確認すると、ヤーナは再び髪を下ろして隠してしまう。額から左目の下にまでかかるほどの大きな痣を、彼女はとても疎んでいるようだった。

「どうしたの? 気持ち悪くて引いちゃった?」
「いや、そうじゃなくて……」

 確かに驚きはしたけれど、マオが困っているのは痣の見た目のせいではない。髪に覆われて見えなくなってしまっても、凝をすればマオにはわかるのだ。
 
「えっと……言いにくいんだけど……それは別に呪いじゃない、と思う」

 どんなに意識を集中させてみても、なんの思念も禍々しいオーラも感じない。だからこそどうしてあげることもできない。マオがぼそぼそと歯切れの悪い返事をかえすと、彼女はふーんと眉を上げた。

「本物みたいね」
「へ?」
「じゃあありがたく貰っておくわ」

 その言葉とともに、彼女は不意にだっと走り出す。呆気に取られているマオの横をするりと抜けて、それだけでなくドン、と尻にもぶつかった。

「な、なんだなんだ?」

 一体なんだ? 何が起こった?
 流石に少女にぶつかられても当たり負けはしないけれど、状況が呑み込めず、マオは走り去っていくヤーナの後ろ姿を見つめるしかない。一瞬怒らせてしまったのかと思ったけれど、どうやらそういう感じでもなさそうだ。

「あーあ、お兄さんもやられたの」

 マオがびっくりしてその場に立ち尽くしていると、土手の上から子供が三人、ひょっこりと顔を覗かせた。それは先ほどヤーナを追いかけて苛めていた三人組で、彼らは一様に馬鹿にするような、同情するような表情を浮かべている。

「お、お前ら……」
「何か盗られたんじゃない?」
「へ?」

 その指摘にどきりとして、マオは今しがたぶつかられたばかりの尻ポケットに手をやる。肌身離さず持ち歩くように言われていたため、リュックではなくとりあえず尻に敷いていたのだが、大事な大事な“それ”の感触がない。

「えっ、ちょ!? まさか!?」
「あーあ」
「馬鹿だなぁ」

 絶対失くすなと言われていた。再発行はできないとも何度も言い聞かせられた。

「ええええ!!!」

 ハンターライセンスが盗られたことを悟るやいなや、マオは傍目にもわかるくらい一気に青ざめたのだった。


▽▲


「呪いぃ? あぁ、あいつの家のせいで、自殺した人がいるってばあちゃんが言ってたな。あいつんち、金貸しだろ」
「でも自殺って……そんなに取り立てが厳しいのか……?」
「そうじゃなくて、まず貸してくれなかったらしいよ」 

 こうなってしまった以上、焦っても仕方がない。盗った相手も盗った相手の家もわかっているということで、マオはひとまずヤーナを追うのを諦め、少年たちから情報を集めることにした。聞けば彼らはヤーナの同級生らしく、子供なりにこの町の事情にも明るそうだった。むしろ体裁を気にしない分、大人たちよりもずっと有益で踏み込んだ話を聞かせてくれる。

「金を貸して貰えなくて、どうしようもなくなっちゃって自殺。ちょうどあいつの妹が生まれるちょっと前の話でさ、それで呪いだーなんて話になったよな」
「なるほど……話はわかった。けど、金を貸して貰えなかったからって、赤ん坊には罪はないじゃんか」
「は? お兄さん、何言ってんの? もしかして呪いとか信じちゃってる系?」

 だっさー、とオブラート一枚も包まれていないリアクションが返ってきて、マオは思わず面食らう。呪いに対する反応も、大人と子供ではまるで異なるものだった。

「いまどきそんなの信じないって。なー」
「なー」
「い、いやだって、定食屋で聞いた話では……ヤーナだって皆言ってるって言ってたぞ」
「大人がね。あと、気にしてるのはヤーナ本人。あいつが気にしてるから、ボクらはそれをネタにするの」
「だ、だからそういう苛めみたいなことやめろって」
「それはあいつが泥棒だからだよ。オレらは被害者なの」
「お兄さんだって、まさに盗まれたとこじゃん」
「うう……」

 痛いところを突かれて、マオはぐっと黙り込む。この町の子供はよく言えば大人びているし、悪く言えばこまっしゃくれていた。呪いなんて完全に迷信としか思っていないようだし、ヤーナに対しての行いも、どうやら彼女のほうに問題があったらしい。

「泥棒となんて仲良くする義理ないよな」
「そんなのよっぽどの馬鹿かお人好しか間抜けだけだよね」
「う……」

 子供たちの正論は、つい最近まで幻影旅団とともに過ごしていたマオにとっては随分と耳に痛い話だった。しかしながら今は落ち込んでいる場合ではないと、少女のことに意識を戻す。呪いの件は一旦置いておくにしても、彼女がそんな真似をしている理由が気にかかった。

「あの子は……ヤーナはなんだって盗みなんかするんだよ。あの子の家、全然貧乏なんかじゃないだろ」
「そうだね。でもお金はいくらあっても足りないし、金貸しに金を貸せる人なんてそうはいないし」
「?」
「あいつが盗みを始めたの、妹ができてからなんだ。あいつはお金があれば妹を治せると思ってるんだよ、馬鹿だから」
「ば、馬鹿だから……?」
「そう。お兄さんと一緒で、馬鹿だから」

 少年たちは茶化すようにそう言ったが、誰一人として笑ってはいなかった。

「実際、あいつの盗みなんて何の足しにもならないだろうにね。意味ないよ」
「大人に任せておけばいいのに、ほんっと馬鹿だよなぁ」

 彼らもまた、呪いを抜きにしてもヤーナの家が大変なことは知っているのだろう。何を盗られたのかはわからないものの、その口ぶりに怒りは感じられなかった。かといってただ憐れんでいるふうでもなく、子供というのは本当に掴みどころがない。
 マオは今の話を聞いて、なんとなく、本当になんとなくだけれどヤーナの気持ちがわかるような気がした。

「……たとえ意味がなくても、何もしないでいることに耐えられないんじゃないか?」

 生まれたばかりの妹はいつ死んでもおかしくない状態で。父親も母親もずっと病院から帰ってこなくて。
 ヤーナはきっと不安だったろうし、不安を吹き飛ばすためにもじっとしてはいられなかったのだろう。たとえ大人しく待つことを望まれていたのだとしても、妹のために何かしてやりたかったのだろう。
 マオもよく余計なことをして怒られた思い出がある。今こうして一生懸命情報収集しているのだって、単に仕事というだけでなく、何か役に立ちたいと思っているからだ。
 
「だからといって盗みを擁護するわけじゃないけどさ……」

 控えめながら最後にそう付け加えると、少年たちはますます呆れ顔になった。

「あーお兄さん、すぐ同情しちゃうタイプ?」
「いるよなぁ、こういうひと」
「加害者の事情なんて、ボクらにはカンケーないよね」
「な……」

 確かに、確かにその通りなのだけれど――。
 マオは何ひとつ言い返すことができず、子供相手に情けなく項垂れるしかない。

「ま、お兄さんが盗られっぱなしで構わないって言うなら、それはそれでいいと思うけど」
「いや……あれは流石に返してもらわないとまずいんだ」
「じゃあ頑張って。ついでにボクらが盗られたものも取り返して」
「うーん、でもこいつに頼んでも無理そうじゃね?」

 とうとうお兄さんから“こいつ”にまで格下げされてしまったが、マオ自身うまく取り返せる自信があるわけでもない。とはいえ、ハンターライセンスはそうそう諦められるものではないし、頑張って彼女を説得するしかないだろう。

「……わかった、お前らの分もなんとか頼んでみる」

 はぁ、とマオが大きなため息をつくと、少年たちは顔を見合わせて小さく肩を竦めた。

「うん、まぁあんまり期待しないでおくね」
「盗みもやめるように言う。だからさ、お前らもあの子のことを許して仲良くしてやってくれ。呪いのこともネタにするのは無しだ。妹ができる前は、ヤーナだって悪い奴じゃなかったんだろ?」
「素行はね。性格は元々あれだよ」
「……」

 そう言われると、じゃあ大丈夫だな! と素直に思えないのが不思議だ。マオは少女とのやり取りを思い浮かべ、またしてもちょっと自信を無くす。果たしてちゃんと返してもらえるだろうか。うまく説得できるだろうか。
 そんなマオの心境を知ってか知らずか、少年たちはさらに遠慮のない注文をする。

「どうせなら謝らせてよ。あいつがもし今までのことぜーんぶ謝るってんなら仲良くしてやるよ」
「それいいね。ボク、ヤーナが謝ってるのなんて見たことないや」
「謝りもしないし、泣きもしないからな。どっちかだけでも、させられたら十分すごいんじゃね」
「だね。頑張ってー」
「お、おう……」

 応援とも冷やかしともつかない声援を受けて、マオはぎこちなく頷く。やるしかない。とにかく前向きに考えて行動するしかないのだ。

「ま、任せとけって。絶対なんとかするよ。ありがとな」
「……」

 そう言うと少年たちは何も返事しなかったけれど、その目は確かに「期待しないでおくね」と語っていたのだった。


[ prev / next ]