- ナノ -

■ とある試験

 全世界から数百万人。今年は確か、五百万人程度だっただろうか。
 試験自体が毎年行われるものであるため、ハンター試験に申し込むこと自体は特別難しいものではない。高額な受験料がかかるわけでも、れっきとした身分証明や実務経験が必要なわけでもない。保護者の同意書さえあれば、子供ですら簡単に申し込むことができるようになっていた。しかし、肝心の試験を受けるために会場にたどり着くことができるのは、申し込んだ人間の僅か一万分の一。最終的な合格率となると更に減って、数十万分の一とまで言われている。

「……あの、もしもし、」

 ハンター協会本部にある、大講義室の一室。ビーンズは本当にライセンスを渡してしまってよいものだろうかと迷いながら、気持ちよさそうに寝息を立てる青年の肩を叩いた。彼については合格者講習の序盤から船を漕いでいたため何度か注意をしたのだが、結局睡魔には勝てなかったらしい。

「あの、起きてください。もう他の人はとっくに帰りましたよ」

 最初は控えめに肩をゆすってみる。居眠りをするような不届き者に気を遣ったのは、彼が一目でわかるくらいに満身創痍だったからだ。一応、講習前に怪我などを手当てする時間はあったが、疲労はすぐにどうこうなるものではない。今でこそ机に思いっきり突っ伏してこそいるが、広い講義室の中でわざわざ一番前の席に座るあたり、彼だって最初からこんなに眠りこけるつもりではなかったのだろう。
 ビーンズはそうやって内心で彼を擁護しつつも、深いため息をついた。とはいえ、やっぱりいくらなんでも寝すぎだ。

「もう! マオさん、いい加減に起きてください!」
「うわっ! え?」

 ビーンズの大声にがばり、と顔をあげた青年――マオは、合格する前からここ協会内でちょっとした有名人だった。しかし、椅子からずり落ちそうになって慌てている様子だけ見ると、ラケンぺ遺跡の隠し部屋とUMAの木乃伊の発見という偉業を成し遂げた人物とは、到底思えない。

「……え?」まだ寝ぼけているのだろう。思い切り、“ここはどこだ”という困惑が顔に書いてあった。

「ハンター協会本部の講義室です。講習はとっくに終わって、他の皆さんはもう帰られましたよ。あとはマオさんだけです」

 ビーンズは聞かれる前に質問に答える。もっとも、他の皆さんと言っても、286期の合格者は彼含めて三名しかいないのだが。

「えっと、あ……すみません。寝てました」
「知ってます」
「……」
「そんな顔しないでください。流石に、これで合格を取り消しにするつもりはありませんよ」
「そ、そうですか!」

 わかりやすい人だ。あからさまにほっとした表情になったマオに、ビーンズも思わず吹き出してしまった。普段、飄々としていて何を考えているか読めない人達とばかり仕事をしているので、思ったことが全部顔に出てしまうマオが新鮮で面白い。
 笑ってしまったことを誤魔化すように、ビーンズは軽く咳ばらいをした。一応、これでも記念すべき門出の瞬間なのだ。神妙な顔つきで、ライセンスカードを彼に差し出す。

「補講が必要かどうかは検討しますが、とりあえずおめでとうございます。こちらがマオさんの合格証になります」
「わ、ありがとうございます! へぇ……これがハンターの証なのかあ」

 本人は丁重に扱っているつもりなのかもしれないが、カードの端っこのほうをおっかなびっくり摘まんでひっくり返しているさまは笑いを誘う。カードを手にしたことで得意にならないのはいい傾向だが、ビーンズは一応言わねばならない。「ライセンスだけでは、真のハンターとは言えませんけどね」その瞬間、まだ少し寝起きでぼんやりしていたマオの目がきらりと輝いた。

「あ、知ってます! 大事なのはハンターになってから何を成したか、なんですよね!」
「あれ、そこは聞いてたんですか」

 はたから見れば寝ているようにしか見えないのに、なんだかんだで耳は起きている、というような人はこの世界にわりといる。ビーンズが少し感心したのも束の間、マオは馬鹿正直に首を横に振った。

「いや、講習で聞いたわけじゃないんですけど、サトツさんが言ってたな〜って。たぶん、知られてると思うんですけど……俺、遺跡を壊しちゃったから。何か罪滅ぼししたいって思ってたら、サトツさんが背中押してくれたんです」
「……。まぁ、いいでしょう、心掛けは立派ですから。では、遺跡ハンターを目指されるんですか?」
 「いやぁ、それはまだ決めてなくて。俺、除念ができるみたいなんで、そっちの道で頑張るのもいいかなって」

 にっこりとのんきな笑みを浮かべるマオに、焦ったのはビーンズのほうだ。「ちょ、ちょっと、そんな軽々しく……」普通は自分の能力をそんな簡単に明かさない。ましてや、能力の特殊性から目を付けられやすい除念師ならなおさらだ。協会内で広まっていた噂もあくまで、遺跡での功績と彼がジンの”弟子”である、ということくらいで、彼自身の能力については伏せられていたのに。

「あれ、俺の能力のこと、知ってたんじゃないんですか?」
 「ええ、これでも会長の秘書をやってますからね。マオさんの件については小耳に挟んでますが……そういう問題ではないんです! こんなところでペラペラ喋るもんじゃありませんよ、誰が聞いてるかわかったもんじゃないんですから!」
「え、協会の人に話したから、もう協会の人は皆知ってるもんだと思ってました……。皆、口が堅いんですね。地元じゃ、朝誰かに話したことは昼にはもう村中知ってるって感じだったのに」

 あはは、と明るいことは結構だが、ビーンズは目の前の青年が心配でたまらなくなった。ルーキーらしい初々しさとか、危なっかしさとか、そういうのを超えてマオは世間知らずだ。こうして会話をしてみると、彼自身が悪い人間だとは到底思えなかったが、報告では遺跡の件にあの幻影旅団も関わっていた可能性があるらしい。マオの事情聴取をした担当官は、「どうせ利用されてるだけだし、突っ込んでもしょうがねーから深堀りしなかったけどよ、庇ってんのバレバレだったぜ」と苦笑いしていたくらいだ。

「あの、マオさん、何のハンターになるかは後々考えるとして……今後のことって具体的に何か予定されてるんですか?」

 もし、彼がまたホイホイと騙されて、蜘蛛と落ち合うようなことがあれば阻止しなければならない。今更、蜘蛛にとってライセンスなど価値はないだろうが、世間的には彼は人生七回遊んで暮らせるくらいの大金を持って、無防備にうろうろしているのと同じなのだ。また、旅団以外にも、マオの交友関係には気になる点がある。
 ビーンズは今年、試験官を半殺しにして失格になった受験者の顔を思い出しながら、老婆心からマオに尋ねた。

「プライベートなことを聞くのは失礼かとは思うんですが、その……試験中、ヒソカという受験者と親しいようでしたので、気になりました」
「え、あぁ……なんか、すみません。俺、現場は見てないんですけど、怪我人が出たんですよね」
「マオさんが謝ることではありませんが」
「いや、まあそうなんですけど。一応、知り合いっていうか、俺の念の名づけ親なんで……」
「名付け親!?」

 それは、かなり親しい間柄ではないだろうか。たかが能力名、されど能力名。個人のアイデンティティに直結するものだから、普通は師匠であっても勝手に決めたりなんかしない。
 ビーンズが絶句しているのを見て、流石にマオもまずいと慌てたようだった。

「い、いや、違いますよ。あいつとは天空闘技場で戦ったってくらいで、俺は遺跡以外に前科はありませんから! あ、ヨークシンの図書館の件もあるけど、あれは冤罪だし!」
「一応、ヒソカが危険人物であるという認識はあるんですね……」
「まぁそりゃ、試験中ずっと、殺したくてうずうずって感じのオーラ出してたし……。天空闘技場みたいに、戦いの場でそうなってるのはわかるんですけど、まさか日常的にそんな発作持ってるとは知らなかったんで。あ、これ、やばい奴だって思いましたよ」
「……」
「なんか”青い果実”がどうたら言ってました。『キミはもう知ってるしなァ、来年に期待するかな』とか言って、棄権するって。『終わったら連絡くれよ』って」
「れ、連絡するんですか!?」

 ビーンズが危惧したことがまさに起ころうとしている。試験が終わってライセンスを持った状態のマオなんて、まさにカモネギではないか。

「い、いや、前にも連絡先渡されてたんですけど、俺なんだかんだで携帯買えてないし……その、やっぱ、今回の試験で怖いやつだなと思って、関わらないほうがいっかなーって」
「マオさんにしては賢明な判断です」

 思わず本音が漏れてしまったが、マオはまったく気づいていない。ビーンズの同意を得られて、ですよね、とちょっとほっとしたような表情を浮かべている。

「一方的とは言え、後で連絡しろって言われたのを無視するのもどうかなって迷ってたんですけど、正直遊んでる場合じゃなくて、俺はまず仕事を探さないといけないんです。あ、でもヒソカが連絡しろって言ったの、そういう話だったのかな。ヨークシンに働き口がいっぱいあるってアドバイスしてくれたのもヒソカだったし」
「マオさん、」
 
 ビーンズはすぅっと深く息を吸って、吐き出した。

「やめましょう、連絡するのは」
「え、は、はい」

 ここまで聞いてしまったら、流石に放ってはおけなかった。本来は、合格者の身の振り方にいちいち口出しをすべきではないのだが、幸いなことに彼は既に念能力であるため、裏ハンター試験を受ける必要もない。蜘蛛やヒソカという危険人物からの保護も兼ねて、ビーンズは上に掛け合ってみようと思った。

「代わりと言ってはなんですが、少しの間、協会で働いてみませんか」
「え!? それって、協専ハンターとかっていう? 俺、ハンターになったばかりなのにいいんですか!?」
「いえ、まだマオさんは専門分野をお持ちではないので、正式に協専になるかは後程ご自身で決めてください。今回は、どんなハンターがいるのか勉強がてら、事務など私の仕事を少し手伝ってもらいたいと思っています」
 
 協専ハンター、という言葉をマオが知っていたのは驚きだが、遺跡の件で罪滅ぼしをしたいと思っていた彼だ。ハンターとしてそういう道もあるのだと、誰かが教えてやったのだろう。
 確かに以前ならば、ビーンズも彼に協専ハンターになることを勧めていたかもしれない。しかし、あの男が副会長になってからというもの、協専ハンターにあまり良い噂は聞かなかった。立場上、表立ってやめておけ、とは言えないが、右も左もわからない新人の芽を摘んでしまうのはビーンズとしても望むところではない。

「やったぁ、雑用でもなんでもやります! やらせてください! 俺、こうみえて料理得意なんですよ!」
「そういう仕事はおそらくないと思うのですが……まぁ、料理が好きなら美食ハンターになるという手もありますね。協会にはいろんなハンターがいますから、やりたいことを見つける手掛かりにしてください」
「はい! ありがとうございます! よろしくお願いします!」

 ぶん、と勢いよく頭を下げる彼の後ろに、もっと勢いよくぶんぶん振られるしっぽが見えたような気がした。「それではまず、簡単に手続きを済ませましょう。あなたのことを紹介しなければなりません」お願いします、と元気な返事をしたマオは、意気揚々と講義室のドアへと急ぐ。散歩とわかるやいなや、玄関に急行する犬のようだ。
 ビーンズは微笑ましい気持ちで彼の後を追おうとして、それからふと彼が座っていた席に目を止めた。その瞬間、浮かんでいた微笑は、一瞬で凍りつく。

「マオさん! ライセンスを置きっぱなしにしてはいけません!」
「あ」

 先が思いやられるとは、まさにこのことだった。

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