- ナノ -

■ とある遺跡06

 十メートル――だいたいマンションの三、四階程度の高さが、人間の着水安全限界だと言われている。命知らず達の遊びを除けば、水泳競技としての飛び込みも十メートルが最高であるし、訓練された者でそうなのだから一般人の着水限界などせいぜい五、六メートルほどだろう。
 だからもしもマオが全身を堅で覆うことのできる念能力者でなければ、彼はその生涯をあっけなく閉じてしまっていたに違いない。もっとも実際に閉じてしまったのは、彼が地上へと戻るための出口だったのだが。

「おーい、クロロぉー! シャルぅー!」

 ここはピラミッドの最下層、その地下の更に地下なのだ。光は一切差し込まず、流石の田舎育ちでも視界は黒い闇に塗りつぶされている。手持ちの懐中電灯も崩落の最中にどこかへ落としてしまったのか見当たらないし、どのみち水没してしまえば使うこともできないだろう。

 これでは目を開けていても閉じていてもどっちでも同じことで、マオが今頼りにできる情報は波状に飛ばしたオーラによる反響定位エコロケーションのみだ。

 幸いにも陸地と思われる部分はそう遠くないようで、マオは暗闇の中、ざぶざぶと水をかいた。水温は耐えられないほどではないけれど、長く浸かっていていい温度ではない。なんとかして足の着く範囲までたどり着いた後は、もう一度同行者の名前を呼んでみるくらいしか思いつかなかった。

「クロロぉー!」
「シャールぅー!」
「……」
「……いや、やっぱ無理だよな」

 オーラの返ってくる時間からして、二十メートルは確実に落ちたはずだ。マオは頭上に障害物がないことを念入りに確認したのち、足にオーラを集中させて強く地面を蹴ってみる。五メートル、十メートル……感覚を掴んで次こそはと踏ん張るが、マオの垂直飛びではせいぜい十五メートルほどが限界だった。そもそも今日は念を使いまくってクタクタだし、何よりお腹が空いて力が出ない。疲労、空腹、トドメに水に浸かって寒いとトリプルコンボだ。   

 とりあえず脱げるものは脱いで水を絞ってみたが、通常のサバイバルと違い焚火を起こせるわけでもない。水の中に魚などの生き物の気配もしないし、食料供給も不可能。まさに地下は死の世界だった。マオの腹の音さえ鳴らなければ、静寂だけがこの空間を支配している。

「うーん、上まで届かないのなら、横へ進むか?」

 反響定位エコロケーションの結果、この池のある空間からいくつか道が分岐しているのはなんとなくわかる。だが、その先はもしかすると迷宮のように入り組んでいるかもしれないし、そもそも出口というものが存在するのかすらわからない。それなら、クロロとシャルに期待してこの場を離れないほうがまだ助かる可能性があるのではないだろうか。
 随分と他力本願な考え方だけれども、故郷の山で迷子になったとき、やみくもに動くなと怒られた覚えがある。

――道に迷ったらわかる位置まで引き返せ。焦らずにまずは一旦休憩するんだ。

 山と洞窟では勝手が違うかもしれないが、体力を回復することはどんな場合においても重要だ。そしてマオは、人間が体力を回復する方法を二つだけ知っている。

「食う! 寝る! 食うのは無理だから、寝るっ!」

 絞った服をぶんぶん振り回してもう一度水切りをしたマオは、それを掛け布団代わりに就寝することにした。なるべく平らそうな地面を探して丸くなってみたが、さすがに岩のごつごつした感覚がダイレクトに身体に伝わってくる。次に起きた時にあちこち痛むことは覚悟して、とりあえずオーラだけでも回復してくれればいい。そうすれば、次こそ天井にまで届くかもしれない。

 そうして自分がどこでも寝られるタイプでよかったな、とぼんやり考える頃には、マオは既に緩やかな眠りの波に飲み込まれていたのだった。





「おい、起きろって」
「うーん……」
「ったく、図太い奴だなぁ、オメー」

 人の気配。人の声。
 それらがすぐそばにあることは薄っすらとした意識の中で把握していたけれども、マオはただ唸って覚醒を先延ばしにした。理由は簡単、声をかけてきた相手から害意をまったく感じなかったことと、単純にマオが寝汚いぎたないからだ。ぐるり、と声から逃れるように寝返りを打てば、おい、と今度は肩を揺すられる。揺らされるたびに肩に地面の出っ張りが食い込んで渋々、マオはゆっくりと薄目を開けた。

「……んんー、なんだよ……」
「なんだよじゃねーよ。いい加減起きろ、この墓荒らし」
「は、墓荒らしィ!?」

 いくら眠気が首根っこをがっしりと掴んでいたって、流石に聞き捨てならない言葉はある。もっとも、いくらマオ自身に盗むつもりがなかろうと盗掘の片棒を担いでいる時点で墓荒らしであることには変わりないのだが、それでもマオは飛び起きた。これ以上前科を増やしてなるものか。
 目を開けると同時に明かりが強烈に目を射り、目眩に襲われる。それでもとにかくマオは相手の姿もよく認識しないまま、とりあえず自らの潔白を訴えた。

「ち、違う! オレはただ仮面にかけられた念を解いただけで……!」
「念を解いた? っつうことは、オメーが犯人かよ。まったく、大変なことしでかしてくれたなぁ」
 
 すっかり闇に慣れてしまっていた瞳孔がその絞り方を思い出すと、ようやく目の前の人物の姿をはっきりと見ることができるようになった。一見、くたびれた格好をした男は、無精髭のせいもあって得体のしれないオッサンに思えたが、顔をみればまだ三十代前半といったくらいだろう。丸いくるりとした瞳が印象的で、人のことを”犯人”などと酷い呼び方をしたわりには、その瞳に嫌悪や侮蔑といった色は全く見られなかった。
 マオはくしゅん、と大きなくしゃみを一つすると、無実を証明するかのように両手を上にあげてみせる。濡れた服を脱いだせいで、実際今のマオは下着だけのほぼ裸状態だ。地上ならばもちろん通報案件だが、この場においてはむしろ疚しさの欠片もない丸腰であった。

「だから犯人じゃないって! 調べてみろよ、俺は仮面持ってねーもん!」 
「んなもん、見りゃわかるっつーの」
「ていうかオッサンこそ、こんなとこにいるなんて怪しいぞ! ほら、悪口は自己紹介の法則って言うだろ、あんたこそまさか盗掘犯なんじゃ……!」

 丸腰のマオに対して男はリュックを背負い、ライト付きのヘルメットを被り、結構まともに装備を揃えて来ているようだ。ファー付きロングコートでピラミッドに入るような、観光気分のクロロとは訳が違う。
 しかしこのラケンペ遺跡はとうに調査が打ち切られ、立ち入り禁止になっているのだということを考えれば、その堂に入った調査スタイルは逆に怪しいものでしかなかった。

「おまっ、誰がオッサンだ、コラ! オレはハンターをやってるジンってもんで、最初にこの遺跡を調査したのもオレだ。別件でたまたま近くに来てたんだが、遺跡が崩壊したっつう連絡があったから急いで様子を見に来たんだよ」
「ハンター!? って、え、まじ!? 本物!?」

 いくら田舎者のマオでも、ハンターという職業についてくらいは聞いたことがある。具体的に何をするのかは知らないが、財宝だったり珍獣だったり犯罪者だったりと、とにかく何かを追いかけることに人生を賭けている人々のことだ。バックにつくハンター協会は国家レベルの権力と信用を持ち、その協会に認められたプロハンターは世界に六百人程度しかいないらしい。そんな謎に包まれた職業なのに、長者番付の上位十名のうち六名がプロハンターというのだから、一般人のマオからすれば物語に出てくる秘密結社のエージェントみたいなものだった。
 テンションが上がると同時に、これはちゃんと名乗らないと逮捕されるのでは!? と焦ってしまう。

「お、俺はマオ。職業は……えーと、えーと、え!? よく考えたら俺って無職なのか!? 家事はしてたけど居候だから当然だし、別にそれで給料もらってたわけでもないし……う、うわ〜〜ショック!!」
「いや、知らねーけど……。だったらその無職の人間がこんなとこで何やってたんだよ」
「いや、待って! 無職じゃない、そう、除念だよ! 俺、除念ができるから頼まれてここに来たんだ!」

 ハンターならば念くらい知っているだろう。マオは裏ハンター試験の内容など知る由もなかったが、秘密結社と秘密の能力が関係していないはずがないとの決めつけで話を進める。
 ジンは”除念”の言葉に片眉を上げると、もう一度今度は品定めでもするかのようにマオを上から下まで眺めた。

「つまりオメーは除念師なんだな? で、”翡翠の仮面”にかけられていた念を解いたと」
「そう!」
「だったらやっぱし、オメーが犯人なんじゃねぇか!」
「なんでだよッ、持ってないって! 仮面は」

 クロロが――、と言いかけて、マオは口を噤んだ。確かに彼らは本物の盗賊で、捕まえられるべき人間なのかもしれない。出会いもロクなものではなかったし、流れだけで言えばマオは巻き込まれた被害者だ。だがマオはクロロ達に捕まってほしくなかったし、宝に興味はなくても謎解きを楽しんでいた自覚もある。流石に泥棒で捕まるのは困るけれども、完全に彼らだけのせいにするつもりもなかった。

「仮面は、えと、その、仮面の念を解いたのは俺だ!」
「なんで改めて言ったんだよ」
「でも持ってはない! 床が崩れて落ちて、それどころじゃなかったんだ。今の今まで閉じ込められてどうしようかと思ってたくらいだし、いやぁ助かった〜! ハンターさんどうもありがとうございます! マジでよかった〜!」

 こうなればへらへらと笑って誤魔化してしまうしかない。困ったときは笑っとけ、というのがマオの人生観でもある。
 けれどもジンはそんなマオの魂胆を見透かしたかのように、大きな大きなため息をついた。

「……はぁ〜〜えっとな、仮面もまぁ貴重であることには変わりないんだけどよ、問題はそこじゃねぇんだ。遺跡だよ、遺跡。オメーが仮面の念を解いたせいで遺跡そのものが崩壊しちまってんだよ」
「は!? え、ええっ!?」

 混乱するマオの目の前で、ジンはピンと一本指を立てる。それに対して釣られるように天井を見上げたマオだったが、すかさず「ちげーよ、凝しろって」とお叱りの言葉が飛んできた。

「凝? あぁ、う、うわ、すげえ! これこの遺跡じゃん! あんた器用だな!」

 言われた通りに目を凝らせば、ジンの人差し指の先にはちょうど二つのピラミッドの頂点が向き合うような、不安定な形の建物――ラケンペ遺跡がオーラによって形作られていた。その精巧な再現だけでも驚きなのに、更にオーラはゆっくりと動き、遺跡の様相を変えていく。そうしてできた形はちょうど上のピラミッドが横にずれて、下のピラミッドの段差にはまるようになっていた。



「今の遺跡の状態だ。オレが崩壊しちまった、って言った意味、わかるだろ?」
「う、嘘だろ……せっかくすごいバランスで立ってた遺跡が……」
「死人が出たとか、呪われてるとか、あんなもんはみんな嘘だ。あの仮面が遺跡の“核”を担っていて、念は仮面を守るためにかけられていた。だから回収はやめて、遺跡保存のためにあえて調査を打ち切ったんだよ」

 翡翠の仮面は確かに芸術的価値こそ高いものの、所詮は一つの装飾品だ。歴史や当時の生活、思想をうかがえる遺跡そのものと比べれば、無理に除念して博物館に収めるほどのものではない。
 マオは今更になって、自分のやったことが笑って誤魔化しきれるレベルではないのでは、と思い始めた。庇ったつもりが、仮面そのものを持って行ったクロロより、除念した自分のほうがマズイ状況かもしれない。
 濡れたのとは別の意味で寒気がしてきたマオに対して「ぐわっ」不意に何かごわごわとしたものが顔面に被せられた。

「ま、やっちまったもんはしょうがねーよ。とりあえずここから出るぞ」

 渡されたものがタオルであると気付いたマオは、今更思い出したかのように大きなくしゃみを一つする。

「あ、ありがとう」

 どうやらジンは特に怒っていないばかりか、マオをここから出してくれる気らしかった。もしかすると連れ出したあとで逮捕(?)されてしまうのかもしれないが、このまま一人暗闇に取り残されるよりはいい。乾いたタオルはただ乾いているというだけで、ほんのり温かいように感じられた。

「でも、柔軟剤は使ったほうがいいと思うぜ」
「オメー、自分の立場わかってんのかよッ!」



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