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■ 8.きみを守るのも傷つけるのも他の誰かで


オレがルルに針を埋めた後、ゾルディックはとても平和な日々が続いていた。

もちろん、針のことはあの日彼女が逃げ出そうとしたことも含め、オレとミルキだけの秘密だ。
何も知らない彼女はただニコニコと笑って、いつもどおりオレの傍に居てくれた。

「あれ…ルルは?」

そんな幸せなある日。
オレがちょっと長めの仕事から帰ると、ルルの姿はどこにもなく、おまけに屋敷内も騒がしい。
適当にその辺にいた執事に訊ねてみると、どうやら原因は一番下の弟にあるようだった。

「あ、イルミ様!カルト様が…」

「なに?カルトがどうかしたの?」

一番下の弟といえば、歳が離れすぎてるせいもあってあまり面倒を見てやれていないが、そろそろ8歳くらいになるはず。
意外と、手をかけていない子の方がしっかりするというか何と言うか、この間一人での仕事にデビューしたばかりだ。

そんなカルトが……まさか、怪我?
だが、答えようとした執事の言葉を遮って、甲高い声がオレの耳に響いてきた。

「まあっ、イル!帰ってたの!?
聞いて頂戴、貴方がいない間大変だったのよぉぉ!!」

「カルト、怪我でもしたの?」

母さんの反応からして、死んではいないみたいだ。
やっぱりまだカルトには早かったかな、なんて呑気なことを思いつつ、続きを促す。

「ええ!怪我というか、厄介な念をかけられてねぇ!!ホントに、命からがら帰ってきたあの子を見たときは、私心臓が止まるかと!!!」

「念?」

カルトにはまだ念は教えていないから、訳がわからなくてさぞかし怖い思いをしただろう。
母さんのわかりにくい説明をまとめると、どうやら敵の念は体温をどんどんと奪っていくものだったらしい。

しかも、カルトは相手を殺してしまったため、対冷訓練もしっかりしていたけれど、相当強力な念に苦しめられたようだ。

オレはそこまで聞いてようやく、ルルのことを思い出す。

「じゃあ…どうなったの?」

「うちにはルルちゃんがいるからねぇ!!!
ホントにあの子には今回のことでおせわになったわ!!!」

「除念…できたってこと?」

返事は聞かなくても、雰囲気的にyes。
ということは今、ルルは…

「っ…見てくる」

除念はただでさえリスクがでかい能力だ。
そこに加えて今回はかけた術者が死んでいる。
いくらルルが天才的な才能を持っていたとしても、全くダメージを受けずに除念をすることなど不可能。
オレはすぐさま屋敷内に円を張り巡らせ、彼女の行方を探した。

「…いた」

地下の医務室から反応が2つ。
ひとつはもちろんルルのもので、そのすぐ傍にある強いオーラはおそらく親父の物だろう。
オレは急いでその場所へと向かった。


**



「…大丈夫か?」

「はい…ありがと、う…ございます」

弱々しいのは声だけではない。
もともと潜在オーラ量に秀でた彼女がここまでわずかなオーラしか残していないとは。
オレは医務室に入る前に聞こえてきた親父達の会話に、思わず足が止まる。

「…シルバさんの、オーラ…あったかい…」

「俺にはこれくらいしか出来ないからな。
…カルトを救ってくれて感謝している」

オレだってこんな親父のオーラ知らないよ。
包み込むようにあたたかいそれは、臥せっている彼女に送り続けられていて。
ドアの隙間から見えたルルは本当に幸せそうに微笑んでいた。

「ようやく、皆さんの役に…立てて…よかった、です」

「ルル、まだそんな風に思ってたのか?
お前はもう昔から、家族みたいなもんだろう」

へぇ…
やっぱり親父もなんだかんだでルルのこと大事に思ってたんだね。

まぁ、無理もないか。
ルルは親父が連れてきて、親父が鍛え上げたようなものだし。

ルルは浅い呼吸を繰り返しながらも、それを聞くなり涙ぐんだ。
ぽろぽろと彼女の頬を涙が伝って、枕を、シーツを濡らしていく。

「ありがとう…」

望みを言うなら、オレが今彼女の瞳に映っていたかった。
オレがオーラを送り込んで、オレが彼女を励ましたかった。
だけど、肝心なときにいつも、オレは傍にいてやれない。
彼女が執事邸で辛い思いをしていた時も、オレはずっと気づけなかった。

ドアの隙間からでは、彼女の姿はほとんど見えない。
ベッドのまわりを囲むように引かれたカーテンが物理的にも心理的にも隔たりとなっている。
オレが中に入ろうか入るまいか躊躇っていると、彼女の口からオレの名前が飛び出した。

「シルバ…さん、お願いです、から、イルミには言わない…で…」

オレは彼女の言葉にハッとする。
とっくにオレがいることなんか気づいているくせに、親父は眉一つ動かさなかった。

「…なぜだ?」

「こんな姿…見られたく、ないからです…」

蚊の鳴くようなか細い声。
オレはそこでようやく、ベッドをぐるりと囲むように張り巡らされたカーテンの理由を悟った。
悟った上で、だからこそ彼女を見たいし、見なければならないと思った。

「ルルっ…」

バタン、と勢い良くドアを開けると、イルミ…と彼女の驚いたような声が聞こえる。
親父は目だけでオレに、後は頼んだぞと伝えると、黙って医務室を後にした。

「…やだ、来ないで」

「大丈夫だよ」

「やだ…」

オレは彼女の哀願に近い拒絶を無視し、そっとカーテンを開ける。
ベッドに横たわる彼女の半身は、今まで色んな死体を見てきたイルミでも一瞬息を呑む有様だった。

「…だから、見ないでって、言ったのに…」

赤黒く膿んだように腫れ上がる足。
皮膚を剥がれたみたいに生々しい肉の色。
ひどく痛々しいその姿は、確かに見るものに恐怖を与えるかもしれない。

イルミは顔を背けて泣くルルの手を優しく握った。

「ルル泣かないで、ごめんね…」

「なんで、イルミが…謝るの?」

「オレ…何もしてやれない…ルルが苦しんでるのに…なにも…」

彼女は除念師としてウチにいるのだから、除念をして当たり前なのかもしれない。
カルトを助けるためには、こうする以外になかったのかもしれない。
だけどやっぱり、こうしてルルが苦しんでいるのを見ると、いたたまれない気持ちになる。

彼女は涙を拭うと、恐る恐るといった様子でこちらを向いた。

「しばらく経てば、戻るの…だけど、気持ち悪いでしょう…?」

「…うん」

昔、母さんが騒いでいたのを思い出す。
あの時、念を知らなかったオレには見えていなかったのだから、このおぞましい傷は直接ルルの体にあるものではないのだろう。
だが、かけられた念は彼女に同じ痛みと苦しみを与えているに違いない。
オレが神妙な顔をして頷くと、ルルはぷっ、と噴き出した。

「…あはは、イルミらしいね」

「え?」

「そんなことないよ、って…言ってくれないところがね…」

きょとんとするオレに、彼女はとうとう堪えきれなくなったのか、肩を震わせてまで笑い始める。
だって、グロテスクなのは確かだし、そんな気休め言ったところで仕方ないし…
でも彼女が笑ってくれて少しだけ救われた。

「人が真面目に心配してるのに、何がそんなに可笑しいわけ?」

「…だってさぁ」

彼女はまたくすくすと笑って、それが体に障ったのか少し眉をしかめる。

「とにかく、イルミは何も…悪くないよ」

「……うん」

彼女の言うことはおそらく正しい。
だけど、ルルの苦しみも喜びも全部オレのものにしたいって思うのは強欲すぎるのかな。

きみを傷つけるのも守るのも他の奴じゃ嫌なんだ。

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