■ 7.逃げられない離れられないでも叶わない
「イルミ!イルミったら!写真だけでも見たらどうなの!?」
「要らないよ」
朝から母さんがうるさい。
要件はもちろん見合いの話だ。
前に、16のルルにでさえあの調子だった母さんは、オレが20を迎えるなり結婚、結婚ってうるさくなった。
「何もそんな嫌がらなくたっていいじゃないの!!
決められるのが嫌ならもっと候補を増やすから、イルミが選びなさい?ね?」
「そうじゃなくて、まだ結婚とか必要ないって言ってるんだよ」
母さんが勧めてくるのは、そこそこ名の知れた同業者やマフィアの娘ばかりで、当然その中にルルの名前はない。
オレが『イルミ=ゾルディック』である限りは叶わない望みなのかもしれなかったが、それでもこの辛い現実から少しでも目を背けていたかった。
「私心配だわ!!
イルミ、今まで会った中で誰か、心惹かれる女性はいなかったの?」
「別に。
生憎、女には困ってないしね。
だから一人に決める必要がない」
事実、オレはルルに心惹かれながらも、彼女に手を出すことは出来ずに、他の女で代用していた。
その中には仕事で抱かなきゃならなかった場合もあれば、プライベートで性欲処理に使った女もいる。
母さんが望むような、特定の女はいなかった。
「一応、全く興味がないってわけじゃないのね?」
「…あのさ、流石にデリカシー無さすぎなんだけど」
ルルの前ではあくまでオレは『幼なじみ』
それ以上の関係を望めば、彼女を失ってしまうかもしれなかった。
「そうは言ってもねぇ…やっぱり気になるのよ。
ちゃんとした婚約者の一人や二人選んでおかないと…」
「気が向いたらね」
昔はこんなに苦しまなくても良かったのに。
時を重ねるにつれて、どんどん彼女が手の届かない存在になっていくような気がした。
***
その日の深夜。
オレが仕事を終えて自室に戻ると、ルルがオレの帰りをまっていた。
なにせ彼女の部屋は隣であるから、小さい時はよくこうしてオレの所で待ってる、なんてことも多かったが、最近にしてはとても珍しい。
人のベッドの上で、無防備にも寛いでいる彼女を見るとドキッとする。
ルルはオレが帰ってきたことには気づいていないようだった。
「うん…うん……そう」
「ルル?」
何やらぶつぶつと一人で喋っているから、電話なのかとオレは不思議に思って声をかける。
しかし、名前を呼ぶなりびくっと肩を震わせてこちらを向いた彼女は手ぶらだった。
「あっ、イ、イルミ!」
「今の何?…独り言?」
「えっ、あ、うん…」
明らかな動揺。
何かを隠していることは確か。
でも、オレがその理由を問いただすよりも早く、彼女は「イルミに聞きたいことがあって」と言った。
「なに?」
わざわざ帰りを待っていてまで聞きたいことって、よほど大事な話なのだろうか。
彼女はしばらく躊躇ったのち、ゆっくりと口を開いた。
「あのさ…イルミって、好きな人とか…いるの?」
「え」
彼女の口から放たれた意外な質問に、オレはただぱちぱちと瞬きをする。
動揺は必死に押し隠したから、ルルには気づかれていないようだ。
それにしてもどうして急にこんなこといいだしたんだろう。
「…いる、って言ったら?」
本当はいない、って言うのがベストなんだろうけど、どうしようもないくらい淡い期待がオレにそんな返事をさせた。
お前だよ、って言ってしまえたら、どんなに楽だろう。
だけど、ルルはとても深刻そうな顔をしていて、そんな甘い雰囲気ではなかった。
「へぇ…そうなんだ」
ぽつり、と彼女の呟きだけが、部屋の中に響く。
「だから、キキョウさんのお見合い話も全部断ってるの?」
「…うん」
「…そっか、イルミも大変だね…」
イルミ「も」の理由がオレと同じだったらいいのに、と思わずにはいられなかった。
「…それがどうかしたの?」
「いや…ただちょっと気になっただけだよ」
「ルルは?
ルルはいるの?…好きな人」
自分の声が僅かに上擦っているのを感じ、オレはぎゅっ、と拳を握る。
彼女はちょっと驚いたような顔をして、それから目を伏せた。
「…いないかな」
「…そう」
彼女の真意はわからない。
それはオレが人の気持ちのわからない人間だからなんだろうか。
無言になった二人の空間にいたたまれなくなったのか、ルルは「もう戻るね」と言った。
「おやすみ」
「…おやすみ」
いつからかお帰りのハグはなくなっていた。
だからきっとこの先もずっと、おやすみのキスなんて夢のまた夢なんだと思う。
一人きりになった部屋。
オレはひどい脱力感に襲われて、ごろんとベッドに横になると目を閉じた。
***
同じ日の夜。
と、言っても既に日を跨いでしまったから明日ってことになるのだろうけれど、オレは気配を感じて目を覚ました。
気配はひとつ、ドアの外にいる。
まさか、誰にもバレずに敵がここまで乗り込んでこれるとは思わないけど、万が一ってこともある。
オレはベッドから抜け出すと、そっとドアに近づいた。
「っあ…!」
「なんだ、やっぱり…ルルか」
素早くドアを開けて、喉元に針を当てれば、彼女が小さく息を呑む。
こちらとしては、薄々そうかな、と思っていたから軽目にやったつもりだったんだけど、彼女の方は怖かったようだ。
「ノックもしないで、こんな時間に何?」
そう問えば、ようやく思い出したかのようにこちらを見た。
「…あ、あのね、やっぱりイルミにだけは言っておこうと思って」
「…何を?」
彼女はちらちらと辺りを伺うと、背伸びをしてオレに何か囁こうとする。
他の家族には聞かれたくない、そんな雰囲気だった。
「 ────────」
「え」
彼女は、それだけ言うとぱっ、と身を翻して駆け出した。
ごめんね、離れていく彼女の唇がそういう形に動く。
オレはあまりのことに固まってしまってしばらく動けずにいたが、我に帰ると慌てて彼女を追いかけた。
「ルル、どういうこと!?兄貴が来てるって…」
「イルミ、ごめんね、大好きだよ」
やめてよ。
オレが聞きたいのはそんな『大好き』じゃない。
ダメだ。行かせない。
オレは協力なんてしたりしない。
逃げるルルを捕まえるくらい、オレには容易いことで。
がしっと後ろから抱きとめられた彼女は、びっくりしたようにこちらを見上げた。
「ダメ。行かせない」
「イルミ、わかって…」
「ダメ」
わかりたくなんかない。
ルルがオレやこの家を捨てて、出ていこうとした理由なんか。
だが、彼女は無駄とも思えるような抵抗を必死でしていた。
「ねぇ、どうしてオレに言ったりしたのさ…?」
きっと、最後にオレに言わなくたって、ルルと兄の計画は失敗していただろう。
だけど、どうしてわざわざ…
ホントにオレが協力するとでも思ったの?
オレは逃げ出そうと暴れるルルの首筋に、ぷつり、と針を刺した。
「っ…」
途端、ぐったりと倒れるルル。
オレは彼女の体を抱き抱えると、もと来た廊下を戻り始めた。
「もう忘れなよ…
オレが傍にいるから、それでいいでしょ?」
どうやって彼女と兄が連絡をとっていたのかは知らない。
だけどもう彼女の心から兄の存在を消してしまえば、二度と離れるなんて言わないんじゃないだろうか。
ごめんねもさよならも聞きたくない。
出来ることならば、一生彼女を自分のものにしてしまいたい。
「オレ達ってやっぱりただの幼なじみなの…?」
気絶させられた彼女は当然答えるはずもなく、オレは虚しい思いで部屋に引き返した。
***
「たぶん、ルルの兄貴も念能力者なんだろうな」
ルルの部屋へ戻る途中、ミルキの部屋から明かりが漏れていることに気がついたオレは、深夜までゲームをしていた弟も巻き込んだ。
「…うん」
ため息をつきながらオレとルルを交互に見て、ミルキは呟く。
それはオレも予想していた。
独り言のように何かを呟いていたルル。
きっと彼女の兄はテレパシーのような能力に違いない。
ゾルディックを嗅ぎ回っていたことと重ねて考えて、それほど効果範囲の強くない念なのだろうが、それを使ってルルと計画を立てたのだ。
オレはミルキにルルの行動を説明しながら、依然としてベッドで気持ちよさそうに眠る彼女の髪を優しく撫でた。
「なるほどな、オレが思うに、こういった能力はだいたい送信に長けている。
まぁ、兄貴の方がいつ念を取得したかは知らねぇけど、今まで何年も音沙汰が無かったのはルルの居場所を正確に特定出来なかったことと、ルルの方に態勢が整っていなかったからだと思うんだ」
「態勢?」
「つまり、いくらテレパシーの持ち主だって、何年も前に生き別れた妹にピンポイントでメッセージを送るのは難しい。
ルル自身も家に帰りたい、兄貴に会いたいと強く思ってこそ、波長が絞られるってわけだ」
「へぇ…」
そういえば彼女は、ゾルディックでの居心地はいいと言っていた。
あの言葉は本心からのもので、帰りたいという気持ちも薄れていたのだろう。
だったら今になってどうして…
「イル兄はなにか、心当たりねぇのかよ」
「心当たり…」
ルルが帰りたくなるような理由…
もしくは、ゾルディックに居たくなくなるような理由…
「…母さんの勧めるお見合いが嫌だったとか?」
「それはイル兄だろ。ってゆーか、あんなの二年ほど前にあったっきり、イル兄がやめさせたじゃん」
ミルキは呆れたようにそこまで言うと…ふと考え込むような表情になった。
「いや待てよ…案外お見合いってのは当たってるかも」
「え?」
自分で散々否定しておいて、いきなり何を言い出すんだろう。
オレはこてん、と首をかしげた。
「イル兄のお見合いが…ってことだよ」
「オレの?」
なんで?断ってるじゃん。と返せば、ミルキは顔をしかめる。
そして、もういいや、付き合いきれねーとかブツブツ呟いて、眠ってるルルに視線を落とした。
「で、どうするんだよ。ホントにやるのか?」
「うん、受信させないためにね…」
オレは用意していた小さな小さな針を取り出すと、彼女の額にプスリと突き刺す。
「忘れて…」
お前はオレから逃げられない。
オレはお前を離さない。
オレは彼女に兄のことを忘れるように念をかけた。
そうすれば、もうテレパシーを受信することはないし、ゾルディックにいる限りは兄貴が手を出せるとも思えない。
小さな小さな針は跡形もなく彼女の額に消えていった。
兄貴のことなんか忘れて…
オレだけを見て…
そんな邪な考えが一瞬脳裏によぎってしまったという事実は、否定できない。
でも…
「それじゃ、叶ったことにはならないんだね…」
オレは結局、兄のことを忘れさせるための針だけを入れて、彼女の寝室を後にした。
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