- ナノ -

■ 3.今更嫌いになれるわけがなかったよ


「暗殺者にとって大事なことは何かわかるか?」

「身体能力、技術、状況判断能力」

親父の質問にオレはすらすらと答えた。
というのも、それは親父が日頃から言っていることだからだ。
特に、最後の状況判断能力についてはこうも言われている。

―勝ち目のない敵とは戦うな

暗殺はあくまでも仕事。
命がけの仕事ではあるが、そう簡単にホイホイと命をかけていたのでは、いくつあっても足りないというわけだ。

危なくなったら一旦退くことも大切。
生きてさえいればまた暗殺のチャンスは巡ってくるのだから。

「……その通りだ。心技体、全てが揃わなければ優れた暗殺者とは言えない。だがもう一つ、心の面で忘れてはならないことがある」

「何?」

「非情さだ」

「……え?」

身構えて聞いたわりには、至極当たり前の答えにオレは拍子抜けする。
人を殺す商売なのだ。
情などあっても邪魔になるだけ。
オレの反応がイマイチだったからか、親父はよく聞けと言った。

「俺や母さんがお前たちに友達を勧めないのは、何も裏切られる可能性を危惧してだけのことではない。
もしもその友達を殺さなくてはいけない状況に陥ったとき、辛いのはお前たちだからだ」

「わかってるよ、そんなこと」

「そうか?なら、いいんだが」

親父は珍しく意味深にそう言った。
それがなんとなく気持ち悪くて、何が言いたいの?と直球で聞く。
だが、オレは心のどこかで何を言われているのかうすうす感づいていた。

「いや、お前はこれから弟たちを指導する立場に立つことも多くなるだろう。
その時に手本になってもらいたいと思ってな」

「……そう、心配いらないから」

あくまで婉曲な物言いだから、こっちも額面通りに受け取ることで誤魔化した。
オレはもう人を殺すことになんか、躊躇いを感じたりしない。
逆に、自分が死ぬことも恐れてはいない。
そんなものは今さらだ。

たとえどんなに大事に思っていた相手だって、依頼があれば……

「大事なのはこの家と家族。でしょ?」

オレは頭の片隅に浮かんだ嫌な考えを、無理矢理振り払った。


**



「……ミ、イルミ、ねぇ」

肩を叩かれてようやく、オレはハッと我にかえった。
隣を見れば心配そうにこちらを見るルル。
ひどく後ろめたいような気分になって、無意識のうちにオレは目を反らした。

「聞いてる?
さっきからぼーっとして、なにかあったの?」

「なんでもないよ、続けて」

「そう?……まぁ、いいや。
えっとね、ここから本邸までの途中の道で…」

再び、意識は会話から遠ざかる。
何やらルルは一生懸命に話しているが、今はとてもじゃないがそれどころではない。

―非情さ

ルルを殺せるか殺せないか。
親父とあの話をしてから、片時も離れずに自分の頭の中でささやく声。

―感情を捨てろ
―心を殺せ

今のオレに求められているのは、キルアを完璧な暗殺者に育て上げること。
そしてそのためにはまず、オレが完璧にならなくてはいけない。

―大事なものを捨てられるか?

心が鈍れば、技も体も皆、力を発揮できない。
オレは知らず知らずのうちに、唇をつよく噛み締めていた。

「イルミ!やっぱり聞いてないでしょ!」

「……」

もういいよ!と拗ねて背中を向けるルル。
一緒に修行をしたっていうのに、悲しいくらいに無防備だ。
今なら余裕で殺せると判断した。
念能力なんて使わなくとも、後ろからその細い首を締めることも簡単だし、心臓だってすぐに抜き取れる距離。

殺せ、と何かが囁いた。

感情を捨てろ
思い出を捨てろ
自分を捨てろ

オレはゆっくりと彼女の方へ手を伸ばした。

人を殺すのにこんなに緊張したのはいつぶりだろう。
自然と、息を止めた。

ルルを殺せば、オレは完璧な暗殺者になれるはずなんだ。

だから―

「えっ……ちょ、イルミ?」

振り返った彼女の澄んだ視線と、オレの暗い視線が交錯する。
心音がうるさい。

オレは伸ばしていた手を、だらりと下に下ろした。

「イルミ……その目……」

彼女の瞳が動揺したように揺らめいた。
暗い暗い、混じりけのない殺意だけ纏わせたオレの目に、何が行われようとしていたのか悟ったのだろう。
なんで……?と彼女の唇は動いたが、声になっていなかった。

「……理由知りたいの?」

「だって……そんな突然……」

「お前を殺すように依頼が来た、って言ったらどうする?」

「え……?」

嘘だ。
ほとんどこの家で育ったようなルルが、外部の人間に大金を出させるほど恨まれるわけがない。
また、親父や母さんにルルを殺せとはっきり言われたわけでもない。
オレは動揺するルルを冷めた目でじっと見つめていた。

「でも、誰が……」

「馬鹿じゃないの」

「……は?」

依頼したのが誰だろうと、関係ないじゃん。
それよりもオレがお前を殺そうとしていることに、ショックを受けたらどうなのさ。

「依頼なんて来てないよ」

「えっ、なにそれ!び、びっくりしたじゃん!イルミのバカ!」

とたんに安堵の表情を浮かべて、ルルは怒った。
すぐにオレの言葉を信じてしまう彼女がなぜだかとても悲しい。

「だってさ、今じゃ外で私のこと知ってるのって、お兄ちゃんくらいでしょ?
ほんとにびっくりしたんだから!」

「……あっそ」

ルルはオレよりも兄に殺される方が辛いんだ?
でも、本当にいつでもお前を殺せるのはこのオレ。

その気になればお前なんか……

「ルル」

「ん?」

「嫌い」

「え?えっ?」

いつでも殺せるから、どうだっていいんだ。
オレはぽかん、としている彼女をその場に置き去りにして、周りが何も見えなくなるくらい速く走った。


今さら嫌いになれるわけないのに。

[ prev / next ]