- ナノ -

■ 2.ただの幼馴染だよとすら言えなくて


もう一人、弟が産まれるそうだ。

最近ようやくミルキが7才になって親父と一緒に仕事に行ったりするようになったのに、さらにその下ができるというわけ。
関係ないくせに赤ちゃんだー、とルルが喜んでいて、それが何となく気に入らなかった。

「ミルキより使える奴だったらいいんだけどね」

「またそんなこと言って…ミルキだってまだわかんないよ?」

ルルは庇うが、実際ミルキはあまり暗殺に向いていない。
というか、そもそもやる気がない。
オレははぁ、と深いため息をついた。

「ま、ミルの分もオレが仕事をするから、別にいいんだけどね」

「流石お兄ちゃんだねー」

からかうようにそう言われて、ちょっとムッとする。
まさかとは思うけど、お前もオレのことを『お兄ちゃん』だと見てるわけ?
腹が立ったから彼女の足元に向かって針を投げてやった。

とたんに、うわ、と飛び退くルル。
なにするの、危ないじゃんと頬を膨らませた。

「ミルも次の赤ちゃんもお前の弟じゃないし、オレもお前のお兄ちゃんじゃないよ」

「……イルミ、何怒ってるの?」

「怒ってないし」

悪気がない分、余計にタチが悪い。
オレは「仕事だから」と彼女に背を向けた。

「兄弟じゃないことくらいわかってるよ。
強いて言うなら友達じゃない?」

「だから、オレには友達なんて要らないってば」

「じゃあ、幼なじみ!」

「……あっそ」

今のオレには肯定することも否定することもできなかった。


***



「キル、ほらお兄ちゃんですよー」

産まれた子を一目見て、オレは瞬時に悟った。
柔らかそうな銀色の髪。
親父によく似た、アイスブルーの瞳。

ただひたすらに真っ黒なオレとは違って、とても明るく輝いて見えた。

「イルミ、今日からお前はこの子の面倒を見るんだぞ。いいな?」

親父が言った言葉。
たぶん、ミルキの時にも似たようなことを言われたけれども、今回はまたそれとは別。
言外に含まれた意味に気づかないほど、馬鹿じゃないつもりだ。

結局オレはひどく無感動に、新しい弟を見つめた。

「……うん、わかった」

この感情がなんなのか、オレにはわからない。
きっとキルアはオレよりも優れた暗殺者になるだろうし、だからキルアが跡を継ぐことになっても、それはゾルディックの繁栄を願うオレとしては異論のないことだ。
だけど、幸せそうにキルアを抱く母さんや満足そうな雰囲気を漂わせる親父の瞳に、もうオレは映っていないような気がして、ぽっかりと胸に大きな穴が空いたように感じた。

「……おめでとう、親父似だね」

「そうね、そっくり!この青い目なんてとても綺麗だわ!」

隣で同じように弟を見ているミルキは、一体何を思っているんだろう。
オレはいたたまれなくなって、母さんから目を反らした。

「イルミ……」

「えっと、まだ本格的な訓練は先でしょ?
オレ、ちょっと用事があるから」

親父が何かを言いかけていたが、今は無理。
得体の知れない感情がオレの心を蝕んでいくのを感じながら、逃げ出すように部屋を後にした。


**



「あ、イルミ!」

相変わらず、執事邸の片隅に住んでいるルルのところに、オレは訪れる。
キルアが産まれた、という知らせは既に彼女の耳にも入っていたらしく、期待に満ちた表情でこちらを見た。

「……どうしたの?」

だが、中に入ってきたオレの顔を見るなり、その眉は心配そうに寄せられる。
何が、とオレはぶっきらぼうに言った。

「なんか、嬉しそうじゃないから……」

「無表情なのはいつものことだよ」

「そうだけど、そうじゃなくて……でもなんていうか、イルミ変だよ」

「疲れてるだけ」

オレはその言葉と共に、ベッドへと沈みこんだ。

「ねぇ、大丈夫?」

心配してルルが傍に寄ってくる。
その腰をぐいと抱き寄せて、彼女も同じようにベッドへと沈めた。

「イルミ……?ほんと、どうしちゃったの?」

「だから、どうもしてないってば」

うるさい、と半ば八つ当たりぎみに言うと、彼女は怒るわけでもなくぎゅっと抱き締めてくれた。
彼女が触れているところから暖かいオーラが体に流れ込んでくる。
そうしていると、胸のモヤモヤが少しだけ和らいだような気がした。


「……弟が生まれたんだ」

「うん」

「あの子は才能あるよ」

「……そっか」

ルルの腕にぎゅっと力がこもった。
普段滅多に人を誉めることのないオレが、何を言いたいのか彼女にはわかったらしい。
言葉はなくても、包み込むようなオーラが、すべてを物語ってくれていた。



**

「あ、起きた?」

目を開けると、彼女の顔が案外近くにあって驚く。
オレはいつの間にか眠り込んでいたらしい。
寝起き特有の暖かい体には、少しの風でも冷たく感じた。

「よく眠ってたね」

「……うん」

恐る恐る、といった感じで、ルルがそっとオレの頭を撫でた。
そのぎこちない手つきに溢れた優しさに、何故だか不意に悲しくなる。
いつもだったらこんなことされて、黙ってられるわけなかった。
馬鹿にしてんの?と思うかもしれない。
だけど今日は彼女の瞳を見つめてそこに自分が映っていることに、ひどく安心していた。

「疲れ、とれた?」

「……うん」

彼女は困った顔をした。
それを見て、いつまでも甘えてちゃいけないと思った。
オレにはまだやれることも、やらなきゃいけないこともたくさんある。
もうこの家は継がないだろうけれど、オレがゾルディックの一員であることには変わりないのだ。
ならば、家のためにオレが出来ることといえば、弟キルアをしっかりとした暗殺者に育て上げることだろう。
新しくオレに求められた役割は、それしかないのだから。

「オレ……もう行くね。
キルアの様子も気になるし」

名残惜しさを振り払って、ベッドから体を起こす。
普段、自分の寝ているものよりずっと硬いマットレスはオレを簡単に弾いた。

「うん、疲れたらまた来て」

「……そうする」

にっこりと微笑む彼女を見て、やっぱりルルは友達じゃないやと思った。
友達っていうのは平等なはずなのに、オレはいつも救われてばかりだ。

「ルルが幼なじみで良かったよ」

今はまだこれ以上に相応しい言葉を知らないから。
オレ最大の賛辞に、彼女はとても嬉しそうだった。


**


「イルミ、やっと帰ってきたのね!」

本邸に帰りつくなり、母さんが呼んでいると言われ、憂鬱ながらも行かないわけにはいかない。
3人目ともなると、産後でも母さんは結構元気そうで、オレの顔を見るなりいつもの甲高い声を出した。

「まったく、どこへ行っていたの?」

「ちょっとね」

オレは言葉を濁す。
母さんがルルのことをよく思っていないのは知っていた。
でもオレがはっきり言わなかったせいで母さんは場所を察し、眉をひそめる。

「またあの子のところへ行っていたのね!
キルが産まれた大事な時だっていうのに!」

「オレが用事があっただけだから」

「そういうことは執事に頼みなさい」

母さんがなぜそこまでルルを嫌うのかはわからない。
けれど、前に気持ちが悪いと言っていたのは、彼女の除念の副産物だろう。
オレ自身、この目で見た訳じゃないからなんとも言えないが、除念は何かとハイリスクな能力なのだ。

母さんはベッドに寝転んだまま、もっとオレに近寄るようにと言った。

「イル、あなたはゾルディックなんですから、あんな子と親しくするのはよくないわ」

「ルルは使用人じゃない」

「そう、ルルね、確かそんな名前だった……」

母さんはそうそう、と頷く。
ホントに覚えていなかったようだ。

「あなたも父さんも、やたらあの子に肩入れするから、私とても心配なのよ」

「…親父が?」

自分はともかくも、親父までもがルルを気にかけているなんて知らなかった。
確かに除念はレアな能力。
その能力を発掘して育て上げた親父としては、多少情が移ってもおかしくはない。

ルルはオレのなのに……。
母さんはそんな複雑なオレの心情も知らずに「もう行っちゃだめよ」と言った。

「……なんで?」

「イルミには必要ないでしょう?」

「そんなことない」

オレは頭を撫でてくる母さんの手からするりと逃れた。

「まぁ、イル、母さんの言うことが聞けないの?」

「そうじゃない……けど」

ルルはオレにとって何なんだろう。
はっきり言って才能を買われてうちで育てられた彼女は、所詮ただの『道具』なのかもしれない。
それでもオレはルルと過ごした時間を楽しいと思ったし、彼女はオレを『イルミ=ゾルディック』ではなく『イルミ』として扱ってくれるただ一人の人だ。

「友達はいらないって教えたでしょう」

「友達じゃないよ」

「じゃあなんだっていうの?」

……ただの幼なじみ。
そう言うことはきっと許されないから。

オレは「便利な道具じゃない?」と吐き捨てることで、心の中の彼女の笑顔を汚してしまった。

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