■ 1.一番近くできみを見ていたんだ
今でもはっきりと覚えてる。
その日はククルーマウンテンが削れてしまうんじゃないかと思えるほどのどしゃぶりで、ただでさえあまり光の入らない屋敷内はとても薄暗かった。
父さんが仕事だったため、じいちゃんに訓練を見てもらっていたオレは、いつもよりも早く辛い時間から解放されて、かえって暇を持て余していた。
読書という名の毒の勉強も飽きたし、かといって他にすることも思い付かない。
オレは仕方なく自室から出ると、この無駄に広い屋敷の中を目的もなくぶらつくことにした。
もしも執事やメイドに出くわしたら、気まぐれで無理難題を吹っ掛けてみてもいい。
それくらい暇。
暇。
だが結局残念なことに、広間に行くまで誰とも会わなかった。
が、
「まあまあ!どういうことなの!?」
どうやら広間には母さんがいるようだ。
分厚い扉なのに、それすらも通り越して母さんのキンキンとした声が聞こえてくる。
オレは気づかれないように、少し扉を開けて中を覗いた。
「そんな子連れてきて……どうなさるおつもりなの!?」
薄暗い廊下からでは、部屋の明かりが少し眩しく感じられ、目を細める。
視界の先にいたのはずぶ濡れの親父と、その親父に抱きかかえられている5、6才くらいの女の子だった。
「ターゲットだった男の娘だ」
「それがなんですの!?」
「才能がある」
親父はそれから『ジョネンシ』とか訳のわからないことを言った。
でも、親父が認めるくらいなんだから、あの子はなかなか強いのだろう。
親父の腕の中でぐったりとする彼女は、酷く苦しそうにうなされていた。
「じゃあその醜いのは……でも本当にその年で」「キキョウ」
親父は名前を呼ぶだけで母さんの言葉を遮った。
もちろん、オレに気づいてるからだ。
何か聞かせたくないことがあるらしい。
くるりと振り向いた親父と目が合って、オレは仕方なく部屋の中へと足を進めた。
「まあ!イルミったら、聞いていたの?」
「その子、どうするの?」
目の前のことに夢中になっていた母さんは、ようやくオレの存在に気づいて驚く。
だけど、オレもオレで親父が認めたその女の子のことが気になっていた。
「うちで育てる」
「…暗殺やらせるの?」
「いや……だが、役に立ってはもらう」
もともとあまり口数の多い親父ではないが、今回はいつにもまして歯切れが悪い。
うちで育てる、の言葉に、母さんはキッと親父を睨み付けた。
「嫌ですよ私は。気持ち悪い…」
「ああ……執事に任せる」
母さんは言葉通り気味が悪そうに彼女を見る。
だが、苦しそうであること以外は特に彼女が敬遠されるような要素は見てとれなかった。
それどころかむしろ、容姿だけで言うならば、西洋人形のようでさえある。
「まったくもう、あの人はいつも勝手に決めてしまうんだからっ!!」
親父が去った後も母さんはブチブチと文句を言い続ける。
オレはなんだか妙なことになったな、と愚痴に付き合わされる前に広間から逃げ出した。
**
その一件以来、2ヶ月ほど彼女の姿を見かけなかったから、オレはすっかり忘れてしまっていた。
執事に預けられたのだ、とは知っていたものの、一体誰が世話してるのかもしらないし、わざわざそれを確かめに執事邸に赴くほどのことでもない。
だが、とうとうある日、オレは親父が彼女に訓練をつけているところに出くわしたのだった。
「まだだ」
「……はい」
か細い声で返事した彼女は、一見ただ突っ立っているだけのように見える。
けれども、たまに親父やじいちゃんからかんじる威圧感のようなものがあって、どうしても一定距離以上は近づくことができない。
額からだらだらと汗を流し、ふらふらになりながらも立ち続ける彼女の姿を、オレは固唾を飲んで見守っていた。
「……っ!!」
とうとう、ぐらり、と彼女は地面に倒れこむ。
その瞬間にぱっとなくなる威圧感。
やっぱり彼女が作り出していたものだったのだ。
親父は倒れた彼女を冷たい視線で見下ろすと「まだ、と言ったはずだが」と言った。
「ご、ごめんなさい……」
彼女は怯えながら謝ったが、さすがにもう立つだけの力がないらしい。
そしてそのまま気を失ってしまったが、訓練の時に親父が厳しいのはいつものことだったから、別段可哀想だとは思わなかった。
「イルミ」
「…何」
「お前も明日からやるか?」
気配を消してるつもりなのに、当たり前のように話しかけられる。
何を?とは聞かなかった。
詳しくはわからなくても、なんとなくでわかる。
オレには見ることのできない不思議な力が確かに存在するという事実だけは。
「…うん」
「お前なら大丈夫だろう」
親父は倒れたその子を抱えあげると、片手でオレの頭をぽんと撫でてから立ち去った。
**
おそらくメイドにシャワーを浴びさせてもらったのだろう。
ベッドですやすやと眠る彼女は、当然のことながらあどけない寝顔をしている。
親父と使用人達が去った後、ようやく突き止めた彼女の部屋にオレは忍び込んでいた。
「こんなのが強いの……?」
親父が認めた才能。
オレより先に謎の力の訓練をさせられていること。
どうみたって2、3才しか離れていないように見えるのにもう『特別』扱いされている彼女が少しムカつく。
オレは気持ち良さそうに眠る彼女の鼻をそっとつまんだ。
「……ん」
すると、苦しそうに眉を一瞬しかめた後、うっすらと口が開く。
オレはもう片方の手で、彼女の口を押さえた。
「んんっ…… 」
ぱちり、と彼女の目が開けられる。
驚いた顔。
すぐに暴れる手足。
ドンと強く胸を押されて、オレはあっさりと手を離した。
「……っはぁ、はあっ!」
ひゅっ、と呼吸の音すらたてて、彼女は大きく咳き込む。
目尻には生理的な涙がうっすらと滲み、それがキラキラと光ってとても綺麗だった。
「な、なにするの……!」
「特に意味はないよ」
彼女はオレの答えにまた大きく目を見開き、それから隠れるように布団を深く被る。
「誰?」
「オレ?オレはイルミ=ゾルディック」
「息子……」
警戒心むき出しのままこちらを見つめる彼女はネコのようだが、その細い手首や肩幅を見るに、腕っぷしの方はからきしに違いない。
似てないね、と言われて一瞬何のことかと思えば、親父に、ということらしい。
オレはちょっとムッとしたけれど、表情は変えなかった。
「キミ、名前は?」
「…ルル」
「そう、ルルは本当に強いの?」
オレの質問にきょとんとする彼女。
とぼけたり、はぐらかしたりしている様子はなかった。
「……はぁ、もういいよ」
「イルミは、ネン使えないの?」
ネン、という言葉にイルミはぴくりと反応する。
年、燃、念……
あの不思議な威圧感はネンと言うものなのか。
本当は明日から教えてもらえるとはいえ、知らないの?などと言われては気分がよろしくない。
子供らしい見栄をはって、「は?知ってるけど 」と言い捨てた。
「だけど、イルミの周りには何も見えない……
あっ、ゼツしてるの?」
次から次へと出てくる知らない言葉に、今度はハッタリをかませずにいる。
うるさい。
そういうとオレは彼女の肩を掴んでベッドに押し付けた。
「死に損ないのお前に才能なんてあるもんか」
ターゲットは彼女の父親。
頭ではわかっていたけれど、口からそんな言葉がこぼれた。
「親を殺されたくせに、よくその仇のところでぬくぬくと過ごせるよね。
どういう神経してんの?」
「わ、私はっ……」
じわり。
彼女の瞳に薄い涙の膜が広がる。
反対に、とうの昔に忘れたはずの罪悪感がオレの胸の中で広がっていった。
「私は……帰りたいっ…こんなとこ、やだぁ……」
ぽろぽろと溢した涙と言葉が、彼女の本心なのだろう。
オレはどうすることもできずに、ただそれを眺めているしかなかった。
ひっく、ひっくとしゃっくりが止まらなくなるほど彼女は泣きじゃくった。
それを止めようとしてまたむせかえるのだから、ひどく悪循環だ。
オレは押さえつけていた手を放して、彼女が泣き止むのをひたすら待った。
「……だったら帰りなよ」
「……っく」
今はまだオレはネンを知らない。
だけど、絶対お前よりは強くなってみせるから。
「強くなってここから逃げ出してみなよ」
その時まだお前がゾルディックの役に立つのなら、オレはなんとしてでも阻止するし、そうじゃないのなら勝手にどこへとなりとも行くがいい。
ルルは手でごしごしと顔を拭い、びっくりしたようにこちらを見る。
それから、まだ治まらないしゃっくりの合間をぬって
「じゃあ、その時はイルミ、協力してね」としれっと言いやがった。
「は?なんでオレが」
「イルミのっ……作戦、だし」
「……」
オレはだんだんとバカらしくなってきて、くるりと踵を返すと、少し湿っぽいこの部屋を後にした。
**
翌日、訓練だと呼び出された場所に向かうと、なんと先にルルがそこにいた。
まさか一緒に訓練?と内心首をひねったが、効率から考えれば不思議な話ではない。
ぽつねん、と所在無げに佇む彼女の姿はひどく儚くて、オレは「や」と声をかけた。
「あっ……!」
元一般人の彼女はオレに気づいていたはずもなく、びくりと肩を震わせる。
それから何故か、にこっと微笑んだ。
「今日は、イルミも一緒なんだね」
「うん」
何をそんなに嬉しそうにするのか、オレには意味がわからない。
生徒が二人になったからといって、親父の厳しさが分散されるわけでもないし、どちらかと言えば比較対象がいた方がそれだけ訓練も激化するはずだ。
けれども彼女は相変わらず嬉しそうだった。
「揃ってるか」
「はい」「うん」
親父はオレたち二人が喋っているのを見て、少し驚いているようだった。
が、すぐに気をとり直すと、今日のメニューを告げる。
基本的な筋トレは言うまでもなかったが、隣にルルがいるためいつも以上に詳しい説明だった。
「イルミ、『今日から』お前は念の修行に入るから、まずは念がなんたるかを教えよう、ついてこい」
ちっ……親父も余計なこと言わなくていいのに……
ちらり、とルルが横目で見てくるから、オレはちょっと殺気を込めて睨み付けてやった。
**
それから毎日、念の修行が始まった。
自信があったし、まどろっこしいのは嫌い、と無理矢理精孔を開いてもらって、オレは新たな力を手にいれる。
母さんはいつものように大袈裟に大喜びしていたが、まだまだこんなものでは納得しない。
基本の四体行をなんなくマスターしたオレは、ルルの進み具合が気になった。
「イルミおめでとう!念が使えるようになったんだね」
誉められているのだか舐められているのだか、わかったもんじゃない。
けれども無邪気に笑う彼女には、そう怒る気にもなれないで、オレは当然でしょ、とそっぽを向いた。
「お前にできてオレに出来ないわけないからね」
「で、イルミって何系だったの?」
「何系?」
何系ってなに、そんな分類があるの?
口先まで出かかった質問を呑み込んで、代わりに「教えない」と言う。
ケチ、と非難されても知らん顔だ。
「なんでお前に教えなきゃなんないの」
「もちろん私も教えるよ」
「別にいらない、知りたくない」
彼女の方が先に修行を始めていたのだから、進度が違っても不思議ではない。
だけど曲がりなりにもゾルディックのオレが、年下の女の子に負けてなんかいられないと思った。
「いいよ、シルバさんに聞いちゃうから」
「それならオレは教えないでって言っておくし」
「もう!イルミ、そんな性格だと友達に嫌われるよ?」
は?
何を言ってるんだか。
「友達なんていないし」
必要も……ない。
***
ルルがうちに来てから、3年の月日が流れた。
今ではもう念なんかとっくにマスターしたし、系統も武器も自分に合ったものを手にいれた。
そうなってみて初めて、オレは親父がルルに才能があると言った意味がわかったんだ。
「ルルのオーラは落ち着くよね」
「あのさ……こっちはすごい疲れるんだよ」
膨大な潜在オーラの量。
彼女はそれを他人に分け与えるのがとても上手だった。
彼女にしてもらった膝枕から、疲れてボロボロになった体に染み渡る生命エネルギー。
ぽかぽかと包み込むように暖かくて、オレはいつもうとうととまどろんでしまう。
「本来の能力はこれじゃないんだからね」
「わかってるけど、別に今誰も念をかけられてないし」
後で親父から聞いた話だが、あの時ルルは当時6才で除念を行ったそうなのだ。
もちろん、まだ念のいろはもわからない状態でやった反動は大きく、シルバがいなければ確実に命を落としていただろう。
彼女が命がけで助けようとしたのは、ゾルディックに暗殺依頼が舞い込む前に、半ば呪いのような念をかけられ、臥せっていた実兄だった。
「まぁ、私の出番が来ないに越したことはないんだけどね。
それでももしものことがあれば、いつでもやるよ」
彼女の父親が何をしていた人かなんて知らない。
だけど、相当色んな所から恨みを買っていたらしく、その跡継ぎである彼女の兄にもとばっちりが来たと言うわけだ。
念はギリギリでルルが解いたし、親父もターゲットしか殺していないそうだから、きっと今頃どこかで生きているのだろう。
「イルミ?眠いの?」
「……うん」
昔、『帰りたい』と泣いた彼女は今でもまだ帰りたがっているのかな。
帰りたいがために、今までずっと頑張ってきたのかな。
「ルル、おやすみ」
「おやすみって……えっ、ここで寝られたら私動けないよ!」
オレはそんな彼女の言葉を無視して、目をつぶる。
こうしてオレが押さえていたら、どこにも行けないだろう?
一番近くできみのこと見ていたんだ。
だから、きみの努力も苦労も全部知ってる。
それでも、その努力を無駄にさせてでも、離したくないと思うのはきっとオレのエゴなんだろうね。
目を閉じていても、きみの顔は脳裏にすぐに浮かべることができた。
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