■ 10.好きじゃなきゃこんなことしない
「ねぇ、どういうつもり?」
この日、オレは本気で怒っていた。
普段は仕事以外であまり積極的に殺したいなんて思ったことはない。
だけど今は、誰でもいいから手当たり次第に殺したってまだきっと収まらないと思う。
後から聞いた話じゃ、このときオレの殺気にどこかズレた母さんは歓喜し、弟たちはみな青ざめて震えていたそうだ。
「どういうことなの、ルル……結婚って」
彼女を壁際に追い詰めて詰問をする。
すさまじい程のオーラに、流石の彼女も怯えているようで顔色が悪かった。
「答えなよ」
「……どうもこうもない、結婚する。
それだけだよ」
「それだけだって?」
彼女の言い方に腹が立って、イルミは力任せに壁を殴る。
物凄い音がして大きな穴が空いてしまったが、彼女はちらりとそれを横目で見ただけだった。
「オレに何も言わないつもりだったの?何も言わないで勝手に結婚するつもりだったの?」
「勝手に、ってなに……イルミの許可がいるの?」
「お前はウチの除念師だろ!」
オレがルルの結婚を知ったのはついさっきのことだった。
─ルル姉様が居なくなったら淋しいな……
ぽろっと溢れたカルトの何気ない一言は、仮定の話にしては妙に感情がこもっていておかしいと思ったんだ。
そしてそのすぐ後、オレはルルが結婚をするということ、式は一週間後であるという事実を知ったのだった。
「除念に関しては問題ないよ……嫁ぐのはゾルディックの下請けみたいな所だし、いくらでもしてあげる」
ルルは冷めた目でこちらを見ると、吐き捨てるようにそう言った。
違う。
オレはお前の能力が惜しいんじゃない。
だいたい母さんが用意した相手なのだろうし、となると当然親父も除念師を手放す許可を出したということだ。
だけど、だけど……
オレには彼女の結婚に異議を唱えていい理由がそれしかなかった。
「オレが……オレが一番怒ってるのはルルがオレに何も言わなかったことだよ。
長い付き合いなのに、あんまりじゃない?」
「イルミはどうせ反対するから」
「反対?オレが?」
今更とぼけて見せたって意味のないことくらいはわかってる。
どうしたらいいのかわからない。
なんでルルは急に結婚するなんて決めたんだろう。
最近は自分の婚約話を断るのに忙しくて、ちっとも彼女の周りに気を配れていなかった。
「私……一生このままここにいるなんて嫌なの。だからもう放っておいてよ」
「何言ってるの?相手はゾルディックの下請けなんだろ?
それで自由になったつもり?」
笑わせないでよ。
ちっとも面白くなさそうに紡がれた言葉は、彼女に届く前に霧散してしまったような気がした。
「それでも…ここじゃないどこかへ行きたい。幸せになりたいの。
もちろん全く普通ってわけにはいかないだろうけど、結婚して子供を産んでそんな普通の生活が欲しいの」
「……なんで」
なんでそんなこと、急に言い出すの…
ここで過ごした日々は、確かに普通ではないかもしれない。
だけど、普通じゃなくたって幸せだったでしょ?
それともルルには辛いことしかなかったの?
言葉を失ったオレに向って、ルルはさらに追い討ちを掛けるようなことを言った。
「だって、普通の結婚は好きな人とするものでしょう」
「……勝手にすれば」
相手の男を殺すことなんかオレには簡単だ。
だけどその言葉で、ルルの中にある想いまでは殺すことができないのだと思い知らされた─。
**
それからオレとルルは一言も口をきかなかった。
それでも、自室に引きこもる彼女と仕事に明け暮れるオレを尻目に、結婚の準備はどんどんと進んでいく。
弟たちは相変わらずオレを遠巻きにしていたが、母さんだけはオレのことなど全く気にした様子はなかった。
「いよいよ明日ね!
イルミ、貴方ももちろん出席するんでしょう?」
「は?オレには関係ないし」
「あらあら、関係ないだなんて、小さい時からずっと一緒じゃないの」
それなら、結婚のことを内緒にしていた彼女も責められるべきだ。
第一、ルルに口止めされたとはいえ、隠していた母さんたちも共犯なのになんでそんなことが言えるんだろう。
オレは氷のような目で母さんを睨むと、黙って自室に戻った。
「まあ……イルミったらきっと淋しいのね」
淋しい、という表現はカルトが使っていた。
だけど、あのときカルトが浮かべた表情とオレが今抱く感情は同じではないような気がする。
とにかくもう何もかもが、何もできない自分が憎かった。
**
結婚式前日の夜。
いや、もう日付が変わっていたから当日だったか。
オレは仕事を終えると真っ直ぐに自室に戻ろうとした。
だけど……
今日の式が終わったら、ルルはゾルディックを出ていく。
もう一生彼女の顔を見ることもないだろう。
そう思ったら、自然と彼女の部屋の前で足が止まっていた。
気配を消し、そっとドアを開く。
不用心だから鍵をかけなよ、と前に言ったら、鍵なんてすぐ壊せるじゃんと返されたっけ。
しん、と静かな部屋。
ベッドが小さく盛り上がっていて、彼女がそこにいるのだとわかった。
ルル、ホントに結婚しちゃうの…?
結局、ちゃんと好きだって言えないままだったな。
ずっとずっと一番近くにいたのはオレだったのに、他の男を好きになるなんて酷くない?
オレはゆっくりベッドに近づいて、こちらに背を向け丸くなる彼女の頭を撫でる。
互いに成人してから、こんなことをするのは久しぶりだった。
「ルル、眠れないの?」
オレがそう声をかけると、ハッとしたように彼女は身を竦めた。
馬鹿だね。
オレに寝たふりなんて通用するわけ無いだろ。
だが、それでもルルは返事をしなかったから、オレも彼女の頭を撫でるのを止めなかった。
「やっぱりルル…ホントに寝てるの?」
「……」
返事はない。
だけど、絶対に寝てはいない。
それがわかっていながらも、オレは自分の都合のいいように彼女を寝かせたままにした。
「寝てるなら……最後くらい、いいよね」
そう言ってくるりと彼女の正面へと回る。
そんなに固く目を閉じたら、逆に怪しいのに……
オレは独り言のように、わざと言葉に出した。
「キス……していい?」
後数時間で嫁いでしまう彼女に、こんなことをするのは間違っている。
ただの自己満足と片付けるにも非倫理的だろう。
だが、それでもオレはルルの頭のすぐ横に手をつくと、ぐっと屈みこんで彼女に口付けた。
「ごめん……別れの挨拶だと思って」
「……」
惜しむように何度も何度も……
角度を変えてルルに口づければ、それだけまた好きの気持ちが大きくなっていく。
やがて、彼女の固く閉じられた目からつう、と涙がつたった。
「……なんでっ……なんでなの…イルミっ」
「…ごめん」
当然の反応だろう。
だけどホントに好きだったんだ。
いつからかはわからないけど、いつの間にかルルのことが大事な存在になっていた。
「なんで、最後まで…イルミはいつも…」
「好きじゃなきゃ、こんなことしない」
「……っ!」
最後まで自分勝手なオレでごめん。
叶わなくても、結ばれなくても、オレの気持ちだけは知ってて欲しかった。
きっと最初で最後の気持ちだろうから。
ようやく目を開けた彼女はぎゅ、と強くシーツを握り締めた。
「……イルミのバカ」
「…うん」
「ズルイよ…イルミはいつもズルイ…
私だって……
ずっと好きだったのに」
彼女は涙に濡れた瞳でこちらを見つめる。
オレは聞こえてきた言葉が信じられなくて、大きく目を見張ったまま彼女を見つめ返すことしかできなかった。
「え……」
ルルがオレを……?
オレのことを……好き?
この後に及んで、まさか幼なじみとしての「好き」なんかじゃないよね?
だったらどうして他の奴と結婚しちゃうのさ?
彼女はゆっくりと身を起こすと、自分の額を指さした。
「思い出したの…お兄ちゃんのこと」
ルルが示すそこには、確かオレが埋め込んだ針があるはずだ。
それは彼女がゾルディックから出て行ってしまわないように、兄のことを忘れさせるためのものだった。
「……取ったの?」
「ううん、まだあるよ」
彼女の言ったことはおそらく真実だろう。
もしも針が取られたのなら、術者であるオレが気付かないわけが無かったから。
「だったらなんで…」
「私を誰だと思ってるの、ゾルディックお抱えの除念師だよ?」
にっこりと笑ってみせた彼女の頬は、まださっきの涙で濡れていて。
ああ、なんだか久しぶりに笑顔が見れたな、なんてぼんやりと見とれてしまう。
やがてルルは、ぽつりぽつりと小さな声で話始めた。
「念がかけられてるなんて、すぐには気づかなかった……。
だけど、お兄ちゃんのことやゾルディックから出ることは幼い時からの目標だったから、ずっと胸にぽっかり穴が開いたみたいな空虚さを感じてたの。
だから除念してみた。
軽く、簡易的にね。
イルミにバレてしまわないように、不審に思われないように、全ては解かなかった」
ルルが言うには、一時的な除念では思い出せる内容も少なく、またすぐに兄のことを忘れてしまうらしい。
だから彼女はイルミが遠出をしている時を見計らって何度も除念を重ね、メモを取ることで自分の元の記憶を知ったのだった。
「今もまだ、イルミの念はかかってる
。だから正確には思い出したっていうより、知ったっていう方が正しいかな。私は他人事みたいな気分で喋ってるもん」
「……じゃあ結婚するのも、ゾルディックから出て兄貴に会うため…?」
とりあえずゾルディックから出てしまいさえすれば、彼女が逃げ出せる確率もぐんと跳ね上がる。
だが、オレがそう聞くと彼女は少し寂しそうに微笑んだ。
「イルミはほんと…わかってないよ。
あの時、どうして私がゾルディックを出たいって本気で思ったか、わかる?」
「……ううん」
「あの頃ぐらいからだったよね、イルミのお見合いの話……。
私…このままゾルディックにいちゃいけないって思ったんだよ。
いても辛いだけだと思ったんだ……イルミのことずっと好きだったけど、叶わないのはわかってたから」
─あのさ、イルミって…好きな人とかいるの?
あの日、躊躇いがちに投げかけられた質問。
オレはルルって言いたかったよ。
だけどオレも叶わないって知ってたから……
「自惚れかもしれないけど、あの日イルミの目は私だって言ってくれたような気がしたの……だから、余計に去らなくちゃって思った。
ここにいて、いつまでもイルミの邪魔しちゃいけないって……
だからホントはすごく辛かったけど、お兄ちゃんの計画に乗ったの」
「……そうだったんだ」
ルルはゾルディックが嫌になったんじゃなくて、オレのために身を引こうとしたんだね。
馬鹿だな……
目の前から居なくなったぐらいで忘れられるような存在なら、オレはこんなに苦しまなかったよ。
また思い出したかのように泣き出す彼女をオレはぎゅっと抱きしめた。
「それなのに……イルミ邪魔するだもん。
おまけにこんな針まで埋めてさ……何の為に逃げ出そうとしてたか忘れちゃうと、イルミのこと好きだって言う気持ちまで曖昧になっちゃって、貴方のこと見る度に混乱した」
「……ごめんね、ルル」
「だけど、一回好きになった人なんだ。忘れたってまたすぐに好きになっちゃうんだよ……
そうしたらまた、私は叶わない想いに苦しんだ。
そして…除念によってあの日の自分の考えを知ったとき、もう一度今度は絶対に邪魔されない方法でイルミから離れようと思ったの……」
昔は逃走前にオレにバラして失敗した。
だから今度の結婚は内緒にしてたのか。
考えることがつくづく幼稚で、呆れるような愛おしいような……
ホントに馬鹿だね。
オレは彼女の頭を撫で、何度もそう呟くしかなかった。
「…ねぇ、ルル。ホントにオレのこと好き?
針埋めたり、色んな酷いことしたけどまだ好き…?」
「好きじゃなきゃ、こんなことしないよ…」
そんな可愛いことを言って泣く彼女を今更手放せる訳が無かった。
もっと早く想いを伝えていたら、未来は変わってたのかな。
「行かないでよ…」
「イルミ…」
「どこにも行かないで、ずっとオレの傍にいてよ」
たとえ彼女がうん、と言わなくても
オレはもう後に引くつもりはなかった。
今日の結婚の話なんて無かった事にしてやる。
邪魔する奴がいれば消してしまえばいい。
「普通の結婚、しようよ」
「え…?」
「オレと」
母さんたちはなんて言うだろうか。
確かに彼女は暗殺も出来ないし、政治的に利用できるような後ろ盾も持ち合わせていない。
だけど、きっとオレはルルじゃなきゃ駄目なんだ。
今まで家のいうことには従ってきたつもりだけど、一度くらい逆らったっていいよね?
「イルミ…それは…」
「だって、ルルは普通の結婚がしたいって言ったじゃん。
結婚は普通、好きなもの同士でやるんでしょ?」
ルルがオレのことを好きだなんて知らなかった。
知らなかったからこそずっと胸に秘めてたけど、知っちゃったらもう我慢出来ないよ。
オレは戸惑うルルを引っ張って立たせると、親父達の部屋へと向かった。
「ちょっ、イルミ駄目だよ!
そんな…私は最後にイルミに伝えることができて、それだけでいいから!」
「前の失敗を忘れたの?
計画を成功させたいなら、最後までオレに言っちゃいけないんだよ」
「だって、イルミが先に言ったんじゃない!」
そうだっけ?ととぼけて見せれば、後ろからぱしぱしと背中を叩かれる。
オレは気を引き締めなきゃならない筈なのに、嬉しくてたまらなかった。
**
「どうした、こんな時間に」
気配を殺していかなかったせいもあり、部屋をノックすると親父は起きていた。
そういや、こんな時間に親父達の寝室を尋ねるのは初めてかも。
そもそも明日の式に備えて仕事を入れてなかっただけで、普段はオレも親父も仕事をしている時間だった。
「大事な話があるんだ」
扉越しにそう言えば「入れ」と短く一言。
不安そうな表情のルルを励ますように手を握ったけど、オレだってなかなかに緊張していた。
「まぁまぁ二人ともどうしたの?
もしかしてルルちゃんは寝付けないのかしら」
「今日の結婚は無しにするから」
「は?」
ゴーグルをとった母さんの顔、久しぶりだな。
オレとよく似た黒い瞳がきょとんと不思議そうに揺れる。
オレは母さんが騒ぎださないうちに、言いたいことは全て言ってしまうつもりだった。
「代わりに、オレがルルと結婚する。
反対はさせない」
無言でじっとこちらを射抜くように見てくる親父から目を逸らしたら負けな気がして、オレもじっと見つめ返す。
母さんの口が、あんぐりと開いた。
「何…言ってるのイルミ?
ルルちゃんは相手の方が好きで…」
「ルルがホントに好きなのはオレだよ。
そして、オレもルルのことが好き」
「そ、そうだったの!?」
母さんが勢いよくルルの方を見るから、彼女は小さくなって「すみません」と言う。
謝ることないのに。
きっとルルは恩をあだで返すような形になって…とか思っているんだろう。
重たい沈黙を破ったのは、親父の深い溜息だった。
「イルミ……お前の悪い癖だな。
なぜいつも勝手に思い込んで、自分だけの判断で決めてしまうんだ?」
「そうかもしれない。だけどこれだけは譲れないから」
「そうじゃない……俺はお前がいつ言い出すか、待ってたくらいなんだぞ」
え……?
突然何を言い出すんだろうと思わず首を傾げれば、親父と母さんは顔を見合わせる。
隣のルルも不思議そうな顔をしていた。
「反対だなんて、一度でも言ったか?
お前が勝手に叶わないと思ってただけじゃないのか?」
「は…?それじゃ…」
「もう、それならそうと早く言ってくれたら良かったのに!!
貴方達ずっと一緒にいるのにどっちも何も言わないから、てっきりただの幼なじみなのかと思ってたわ!!
だからお見合いも勧めていたのよ!」
おほほほ、と母さんが口に手を当てて笑う。
今度はオレとルルが顔を見合わせる番だった。
「…じゃあ、反対しないの…?」
今までのオレ達の努力って何だったんだろう。
母さんはもちろんよ!!と大はしゃぎした。
「ルルちゃんなら私も大歓迎だわ!イルミと結婚してくれたらホントの娘になるのね!!
ルルちゃんこそ、イルミでいいのかしらっ?」
イルミ「で」ってなに。
イルミ「で」って。
母親の言う台詞じゃないよね?
オレは予想外の展開に、呆気に取られて何も言えない。
ルルも慌ててこくこくと頷いていた。
「ホントは私もそうなってくれたらいいなとは思ってたんだけどねぇ…
イルミったらほら、顔はいいけど性格に少し問題あるでしょう?
ミルキではルルちゃんが可哀想だし、キルやカルでは年が離れすぎだし……」
待って母さん、自分の息子に対して酷すぎない?
てゆーか、ルルが娘になるなら、相手は誰だっていいわけ?
「でもまさか、ルルちゃんがイルミを気に入ってくれるなんてねぇ!!イルミあなた、操作でもしたの?」
「流石に失礼すぎなんだけど」
そりゃあ、針は埋めたし今だって入ってるけど、気持ちまでは操作してないから。
オレがちょっとムッとしたのが伝わったのか、親父がまあまあと母さんをいさめる。
「そうと決まれば今日のは白紙ね!
おほほほほ、楽しみだわぁぁぁ!!」
そこからの母さんの行動は恐ろしく早かった。
深夜だというのに構いもせず、すべての予約はキャンセル。
相手方が少し可哀想になるくらい一方的な終わらせ方だ。
オレとルルはというと、あまりの展開の早さに置いてけぼりをくらっていた。
「ねぇイルミ…これって…」
「結婚、できちゃうね」
「嘘みたい…」
長年の片思いは実は片思いじゃなくて
しかもこんなに簡単に許されるなんて…
「幼なじみって関係すら、許されないのかと思ってたよ」
一番近くできみを見てきて。
無理に嫌いになろうとして。
傍にいるからこそ互いの気持ちが見えなかったんだね。
「そうそう、イルミは幼なじみってことすらなかなか認めてくれなかったよね。道具とかまで言ってくれちゃってさ」
「…悪かったよ。だけどさ…」
─もう幼なじみですらなくなっちゃったね
耳元でそっと囁くと、瞬間真っ赤に染まる彼女の頬。
オレは自然と顔が綻ぶのを感じた。
「えっ、イルミ、笑ってるの!?」
「そんなわけないだろ」
初恋が実らないなんて言った奴は誰なんだろう。
オレは新しい二人の関係に、期待で胸を膨らませた。
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