- ナノ -

■ 01.醜い半身

カレンダーの赤丸は、別に記念日でもデートの約束でもなかった。

アーニャはちらりとそれを視界の端に収めると、小さく溜息をつく。
そろそろ試合は終わった頃だろうか。試合と言っても、結局どちらかが死ぬまで終わらない殺し合いなのだけれど。

今日は、ついにクロロとヒソカが戦う日だった。
ヒソカからしてみれば念願の勝負で、つきまとわれていたクロロからしてみても、いい加減終止符を打ちたいことには変わりない。
決闘の場所は意外にも天空闘技場だった。素性を隠しているとはいえ、クロロが指定するには表舞台すぎる。しかし彼には舞台装置としての観客が必要で、作戦の中には団員とその能力も組み込まれていた。

――自分の念が遣えないって不思議な気分だね

ヒソカを倒すための予行演習は何度かしていた。スキルハンターは条件が複雑だし、戦闘中に念の貸し借りを迅速に行うには練習がいる。クロロだって人の念をすぐさま使いこなせるとは限らない。
だからここ最近、シャルは幼馴染であるアーニャのところによく来ていて「もし今なにかあったらよろしく」と無責任に笑っていた。

――他の団員と一緒にいればいいじゃない
――仕事以外はオレたち基本的に自由行動なんだよ。念が遣えないんじゃ完全に休暇だし、休みの日ぐらいアーニャに会いたかったんだ

いつも通り飄々とした態度でそんなことを言われて、アーニャは返答に困った。それこそ物心つくかつかないかといった頃からの知り合いなので、付き合いは長いがそういう意味で付きあうのも今更だった。しかし他の団員たちから事あるごとに熟年夫婦か、と呆れられるくらいには親密であったし、お互い否定もしなかった。

結局のところ、育ちが育ち、仕事が仕事だから、恋愛とか結婚とかいう発想に至らなかっただけかもしれない。
それでも一生なんだかんだで隣にいるのはこの人だろうな、というのは感じていた。そして仕事が仕事だからと言いつつ、その一生の終わりはまだまだ先なのだろうと思いきっていた。


――アーニャは心配性だなぁ。戦うのは団長なんだし

出かける前のシャルの言葉がふと蘇った。
確かにそうだ。それにアーニャはクロロの強さも知っている。頭の良い彼があれほど綿密に計画して負けるわけがない。クロロが勝つと言ったからには、勝つのだろう。

しかしやっぱりアーニャは落ち着かない気持ちで、今度は時計へと目をやった。幼馴染みで古くからその実力を知る彼らのことを信用していないわけではないが、それと不安に思うことは別の話である。
戦いは長引くだろうか。開始時刻は聞いているが、フロアマスター戦を観戦する権利がないアーニャには終わりがわからない。
今アーニャができるのは、無事を祈ることだけだった。

みんなが無事だったらいいのに、と。
そしてみんなが無理ならせめてシャルだけでも、と思ってしまった。

アーニャは自分の心のうちに浮かんだ恐ろしい考えにゾッとしながら、それでもシャルの為に便箋を取り出す。いまどきこんなアナログな通信手段なんて面倒なだけだ、と思いながらも、もはやこれは一種のゲン担ぎのようなものだった。
手渡しのくせに、とりとめのない近況報告を書いて気を紛らわせる。彼に電話を掛けることはできないから、文字で気持ちを伝える。

アーニャが心配性なのは、別に生まれ持った性格ではなかった。
そもそもが流星街の生まれだ。いちからじゅうまで心配して二の足を踏んでいてはそれこそ生き残れない。死も別段、恐れるほどのことではないとすら思っていた。悲しいことではあるが仕方がないことだ。いちいち他人の死に打ちのめされていれば、心がもたない。

けれども、所詮そんなアーニャの価値観は、本当の喪失を知らない者の驕りだった。もちろん、自分が死ぬときに喪失感を味わうことはないだろう。死ねば無になる。アーニャはそういう思考の人間だから、死ねばすべて終わりだと思っている。一方これまで経験した他人の死も、わずかな胸の痛みを与えるに過ぎなかった。

それなのに――

前回行われたヨークシンドリームオークション。
そこで、アーニャはシャルが死ぬかもしれない、という可能性だけで激しく動揺した。可能性を色濃くしたのは、同じ蜘蛛の団員であるウボォーとパクノダの死。2人の死もアーニャを悲しませるには十分だったが、それ以上にシャルの死が怖かった。

自分の死は悲しむ”自分”がいないからいいが、我が身の半身のような彼の死は耐えられない。
そのことに気づくと、アーニャは急に不安になった。自覚するにはあまりにも醜い執着だったけれど、綺麗な愛よりは現実味がある。
実際シャルはそんなアーニャでもいいと言ってくれた。それどころかむしろ嬉しそうだったので、アーニャもシャルもとことん綺麗なものには縁がないのかもしれない。

彼の無事を祈って書きあげた手紙は、本当にくだらない内容だった。

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