アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


04.挨拶は堂々と(88/151)

 教会を出て中央の通りを真っすぐに進むと、ちょうど街の入り口にあたる部分に商業施設が立ち並ぶ第一自治区がある。基本的に、ダアトに定住している一般的な信者は自給自足の生活を送っているが、それでもどうしても足りない物品の調達や巡礼者向けに、ケセドニアの人間が商売をしているのだ。
 流石に騎士団に所属する者は自給自足ではなく、教団から一定の物資や生活費が支給されるけれど、ダアトから出ずに買い物をしようと思えばやはり第一自治区くらいしか行くところがない。不便と言えば不便だったが、あらかじめ伝えておけば、普段は扱いのない代物でもケセドニアから取り寄せることが可能だった。

(よし、今なら行けそう!)

 夕方のこの時間、混むのはどちらかといえば宿屋や食材屋のほうで、道具屋『清廉潔白』はちょうど客足もまばらになった頃合いだった。しばらく離れた位置からタイミングを伺っていたフィーネは、前の客が去っていったのを見送って店主に声をかける。

「あの、すみません、」
「あぁ、ご注文の」

 顔を、いや正確には仮面を見ただけで、店主は心得たとばかりに頷いた。確かにこれ以上ないインパクトだから、客の中でも確実に覚えやすい部類だろう。

「は、はい。そうです」
「はいよ、頼まれてた分のミラクルグミだよ」
「ありがとうございます」

 フィーネは礼を言って代金を渡し、グミの入った袋を受け取る。以前にストックしていた分をシンクに渡してしまったので、補充のために注文しておいたのだ。昼間、物品購入の申請書を受理したことで、ちょうどケセドニアからの交易便が到着したことを思いだしたのである。

「まいど。しっかし、副長さんともなると、ここまでのグミがいるほど大変な戦いをしてくださってるんだなぁ」
「え、いや、そんな、そういうわけでは……」

 店主にしてみれば軽い雑談のつもりだろうが、自分の役職――実際には補佐だが――まで知られていることに驚いたフィーネは口元を引きつらせる。ダアトで生計を立てる人々からすれば、神託の盾オラクル騎士団は治安を守ってくれる心強い存在なのかもしれないが、妙な持ち上げられ方をするのは居心地が悪い。ましてや、フィーネが回復効果の高いミラクルグミを買ったのは、単に大は小を兼ねるというどんぶり勘定ゆえだった。

「また必要なものがあったらいつでも言ってくれよ」
「は、はい、ありがとうございました」

 そんな雑な理由とも知らず、店主は白い歯を見せて笑顔でフィーネを見送ってくれる。しかしながら今日のフィーネは一日執務室で書類と睨めっこしていただけなので、店主の想像するような『大変な戦い』はちっともしていなかった。

(……ちょっと、周辺の魔物でも狩ってくるかな)

 治安維持、というにはあまりにもお粗末だけれど、期待をされているのがわかるとなんとなく無下にしにくい。世界を滅ぼす気でいるくせに、妙なところで気を使っているなと自分でも呆れた。

(まぁ、一日中座りっぱなしで、身体もだるい気がするしちょうどいいかも)

 結局、フィーネは教会のほうへは戻らずに、そのまま街の外へ向かうことにした。通りの真ん中に立つ第三石碑は巡礼者がまだ囲っていて、食材屋は夕食の買い出しに来た人々で賑わっていたから、なるべく反対側の道の端を歩く。
 ひそひそと辺りを憚るような声が聞こえてきたのは、ちょうどフィーネが旧物流倉庫の前を通ったときだった。

「……知りませんでした。まさか僕の部屋の……が、外へ繋がっていたなんて……」
「……要人の部屋にはだいたい……がありますからねぇ」
「もぉ〜普段は……ですからね」

 内容までははっきり聞き取れないものの、明らかに聞き覚えのある声に思わずフィーネは足を止める。物流倉庫に『旧』がつくのは、今現在はその用途として使われておらず、ダアトに定住することを決めた巡礼者たちが不用品を旅の方向けに放出しているからだった。つまりはご自由にお取りくださいの名目のもと、半分ゴミ置き場みたいになっている状態で、普段はあまりひと気のない場所ということになる。フィーネが立ち止まって待ち構えていると、やがて積まれた木箱の間を縫って、頭からフードを被った大、中、小の人影が三つ現れた。

「げっ! フィーネ!」
「……やっぱりアニスとイオン様だ。それと……」

 中と小の二つは数少ない知り合いだ。フードを目深に被っていても、声を聞き間違えようもない。ただ、三人目の人物には心当たりがなく、フィーネは自然と警戒する。姿こそよく見えないがかなり上背があって、立ち方や気配からも戦いの心得がある者とみた。

「え、えっと、フィーネ! ち、違うのこれはね、」
「おやおや、見つかってしまいましたか。仕方ありませんねぇ」
「何者です」
「まぁそう警戒しないで。私はマルクト帝国軍第三師団所属、ジェイド・カーティス大佐です。初めまして」
「ちょ、ちょっと大佐ぁ!?」

 驚いた声をあげるアニスをよそに、その男はフードをほんの少しあげてこちらに顔を見せる。細いフレームの眼鏡の奥で、赤い瞳がゆっくりと細められた。

「え、カーティス大佐って……!」

 大佐という役職だけでも、神託の盾オラクルではシンクやラルゴの『謡士』に相当する階級だ。マルクト軍の上級将校がこんなところにいるだけでも驚きなのに、かの有名な死霊使いネクロマンサーとこんなところで出くわすとは思ってもみない。
 フィーネは一瞬完全に呆けてしまったあと、慌てて居住まいを正した。

「失礼しました! 私は神託の盾オラクル騎士団特務師団所属、師団長補佐のフィーネ奏手です」

 相手にだけ名乗らせるのは礼儀知らずというものだろう。当然マルクトの大佐がなぜここにという疑問はあったけれど、これだけ身分を堂々と明かすということは公用でダアトを訪れていると考えるのが普通だ。そして、そんなことよりもただ純粋に、

「お、お噂はかねがね。お会いできるとは光栄です」

 フィーネは武人としての彼に、実のところかなり興味があった。数年前の北部戦でマルクト軍が大勝を収めたのは、この武勇と智謀に優れた将校のおかげであるともっぱらの噂だったからだ。

「ふむ、あまりろくな噂ではない気がしますが……こちらこそご存じいただけていて光栄ですよ」
「いえそんな! ……それで、大佐とイオン様たちはどうしてそんな恰好で……?」
「そ、その大佐ってほら、目立つでしょ! こーんな金の成る木……じゃなかった、優秀で顔の良い物件をみんな放っとかないじゃん」
「放っておかない……? えっともしかして、手合わせを申し込まれるのを避けようと……?」
「え? あぁフィーネはそっちか……いや、うん、そうそう! そうなの! それで人目を避けたくってぇ」

 確かにちょっとお願いしたくなる気持ちもわからなくない。さすがに他国の人間相手にいきなりお願いするのは不躾だと思うけれど、最近はほぼどこの師団長も不在で一般兵は体力と熱意を持て余している。有名人がダアトに訪れているこの機会にと、ついつい羽目を外してしまう者がいてもおかしくないと思った。

「それはうちの兵がご迷惑を……。でも、イオン様まで一緒なのはどうして?」
「う、」
「単なる見送りですよ。私にあわせてこんなボロ布まで纏ってくださって……いやはや、イオン様の律義さには恐縮するばかりです」
「え。あぁ、いえ、ジェイドにはとてもお世話になりましたから……ぜひお見送りさせてください」

 伝え聞く噂とは違って死霊使いネクロマンサーはとても軽快な口調であり、気さくな雰囲気の人物に思えた。イオン様も彼の言葉に同意しているし、導師守護役フォンマスターガーディアンも同行しているなら、大きな問題はないだろう。

「……事情はわかりました。それで、どちらまで行かれるんですか? 私もちょうど見回りに行こうと思っていたので、ダアト港までなら御供いたします。カーティス大佐がいらっしゃる中で護衛など差し出がましいですが、客人を前線に出すわけにも行きませんし」
「いやいやフィーネ、ほんとに大丈夫! 大佐はなんだかんだ面倒なことは人に押し付けるし、私がちゃあんとイオン様も大佐もお守りするって!」
「そう……?」
「うん! 導師守護役フォンマスターガーディアンは私だからね! そこはいくらフィーネでも譲れないよ」
「そう、だね」

 その発言にちょっぴりアリエッタのことを思い出して、フィーネは引き下がることにする。普通の役職とは違い、近衛に近い導師守護役フォンマスターガーディアンとは、やはり一種独特で特別なものなのだろう。

「踏み込むような真似して、ごめん」

 お節介だったと反省してフィーネが謝れば、アニスは笑顔でぶんぶんと手を振った。

「ううん! 気持ちはとーっても嬉しかったよ、ありがとう!」
「すみません、フィーネ。これは僕の我儘ですから、あなたの手を煩わせるほどのことではないんです」
「ちょっとそこまでの話ですから。導師にはすぐにお戻りいただきますよ」
「はい」

 まぁ実際、それほど心配することもないだろう。イオンだってよく部屋を抜け出していたし、それこそアリエッタを連れてダアト周辺に息抜きに行くこともあった。それに比べるとイオン様は真面目過ぎるきらいがあるし、たまにはこうして外の空気を吸うのも気晴らしになるだろう。わざわざ口うるさいことを言って嫌われたくもないし、導師として選ばれてしまったばっかりに、ダアトに籠って外出は公務だけなんていう生活にも同情がわいた。

「では、お気をつけて」

(今一緒に外に行くと、なんだかアニスを信用してないみたいになるよね。もう少し時間を置いてから見回りに行こう)

 三人の姿が旅の巡礼者に紛れるのを見送って、フィーネはくるりと教団本部のほうへ向き直る。そのまま自室に戻ってグミのストックを補充して、ここまで来たしと先に夕食を済ませることにした。部屋に食器を持って戻るのも面倒で、かといってわざわざ師団の誰かを誘うのも気が引けて、一人端っこのほうの席に座って黙々と食事をする。
 何やら騒がしいな、と周囲を気にしたのは、もうほとんど皿の上が空になった頃合いだった。

「フィーネ副長! ここにいたんですか!」

 いきなり大声で名前を呼ばれて、フィーネはびくりと肩を跳ねさせる。声のしたほうを見れば、何やらただならぬ雰囲気の部下――ダドリックがこちらにずんずんと近づいてくるところだった。

「え、な、なんでしょう?」

 今日が締め切りの書類でも忘れていたのだろうか。間抜けにもデザートスプーンを握ったまま立ち上がって、フィーネは内心どきどきする。ダドリックは部下の中でもかなりフィーネに友好的に接してくれるので、今の今までこんなに険しい顔を見たことがなかった。

「ちょっとお耳を」
「はい」

 食堂に入って来たときの勢いとは対照的に、彼は傍までやってくると声を潜める。フィーネが小さく首を傾けると、彼も彼で背中を丸めてそっと耳打ちをした。

「……導師イオンが、行方不明になりました。誘拐された可能性があるとのことです」
「……」

 一瞬、理解できない言葉が耳に飛び込んでくる。
 ナマエはゆっくりと耳に当てていた手を下ろし、まじまじとダドリックの顔を見つめた。

「……え?」



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