08.差し伸べられた手(9/151)
「シンク、もう少し相手の動きをよく見て」 「っ、アンタが早いんだよ! ぐっ!」
繰り出された蹴りをかわそうと身をよじれば、そこに出来た隙に容赦なく掌底が撃ち込まれる。呆気なく後方に吹っ飛ばされたシンクは、尻餅をついてフィーネを下から睨み上げた。勢いはあったものの、今のはまだ軽い一撃だ。
(コイツ……急に人が変わったみたいに……)
「ほらすぐに立つ! 行くよ!」 「ちょ、」
転がるようにして飛びのくが、シンクは完全に防戦一方だった。ヴァンのところでだってただぼうっと過ごしていたわけではない。唯一価値のありそうな、他のゴミ共とは違う身体能力には自信があったというのに、実戦になればこのザマというのが悔しくて仕方なかった。 だがフィーネの攻撃は、仮にこちらが避けられなかったとしても絶妙に狙いが外されている。明らかに手加減されているのがわかって、シンクは内心舌打ちをした。
(ホント、なんなんだよ)
レプリカには被験者の記憶はない。 だから一番古いシンクの記憶は、薄闇の中で台の上に立たされているところから始まる。そこで導師の代用品として使えるかどうか測定された。その結果、シンクは捨てられた。 自分と全く同じ姿形のゴミたちと、一緒くたに手押し車に詰められて。 どんどんと熱い方へ運ばれて、他のレプリカが火口に投げ込まれるのも見た。 今でも、シンクを持ち上げたあいつらの感覚はすぐ思い出せる。宙を飛んだ、あの浮遊感。すぐ下に迫る熱気。近場に落ちれば蹴られると、自ら少し転がった。転がってとりあえず岩陰に隠れて、奴らが去っていくのを息を殺して待った。でも、足音が遠ざかってしまうとたちまち途方に暮れたのも覚えている。
自分はこれからどうすればいいのだろう。生まれたばかりのシンクには早速行き場がなかったが、それでも熱さはわかったので逃れたいと思った。 けれどもたった今捨てられたばかりの自分が、ここから上がって歓迎されるわけがない。しばらくどうすればいいのかわからなくてじっとしていた。そんな時だった。新しい足音が近づいてきたのは。
――これが預言の恐ろしさ……全部預言のためにこんなこと……
声が聞こえて、恐る恐る上を見た。するとそこにいたのは何かを顔につけている奇妙な人間で、シンクは思わずぎくりとする。
――っ……! そこに、いるの?
見つかった、と焦った。見つかったら、また落とされるのだろうか。今度こそ蹴られるかもしれない。シンクが逡巡しているうちに上からさらに声が降って来る。
――待って、今助ける!
見れば、そいつは火口ギリギリまで身を乗り出し、こちらに向かって手を伸ばしていた。それを見て、自分よりあいつのほうが落ちそうだな、と思った。手を伸ばせば届くだろうが、シンクはその手を取るのを躊躇う。そんな風に誰かが自分に手を伸ばすなんて信じられず、熱い斜面を自分で蹴って跳躍した。
そうして、出会ったのがフィーネだった。
「戦ってるときにぼんやりしてたら死ぬよ!」
ハッとしたときにはもう遅い。足を払われ、バランスを崩したシンクは地面に横向きに叩きつけられる。そのはずみで仮面が外れて、カラン、と音を立てて転がった。起き上がろうとしたシンクの上に、フィーネは馬乗りになる。押さえつけられて、首の真横にぴたりと手が当てられた。
「これで一回死んだよ」 「……あのさ、初心者を一方的にボコボコにして楽しいわけ?」 「まるきり初心者ってわけじゃなさそうだった。動きを見てたらわかる」
言い当てられて、余計に腹が立つ。
「ヴァンが教えてくれたのは、逃げ方や避け方じゃない」
第七音素を定着させる譜陣を胸と背中に描いてもらった。そのおかげで出来損ないの身でも、少しは導師の真似事をして譜術を使えるようになったのに。 「いや、逃げるのや避けるのを教えるのが先。上官の仕事は部下を死なせないことだから」
シンクはフィーネを跳ねのけるために暴れようとしたが、不思議なくらい力が入らなかった。きっと相手を抑え込むコツのようなものがあるのだろう。
「クソ……! なんなんだよ、ホント……!」
ウザい。むかつく。消えろ。ボクが死のうと、アンタには関係ないだろ。 言ってやりたかった。だが、息が上がって言葉にならなかった。 抵抗を弱めたシンクに、フィーネもまた力を抜く。胸の上の圧迫感がなくなって、どうやら彼女は脇に退けたらしかった。
「……立てる? 今日はここまでにする?」
差し伸べられた手を、シンクは今回も取ることができない。軽く払って、自分で起き上がり、落ちた仮面を拾い上げる。
「……やるに決まってるだろ。これで教えたつもり? 随分と楽な仕事の仕方するじゃない」 「じゃあ、五分休憩」
シンクがこんなに不愉快な思いをしているのだから、フィーネも同じくらい不快にならないと割に合わないだろう。そう思うのに、彼女はシンクの挑発には乗らず、淡々とそう言った。邪魔な仮面に阻まれて、彼女が今どんな表情をしているのかわからないことも、シンクを余計に苛立たせていた。
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mokuji
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