アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


83.共犯者(84/151)

 その頃フィーネはちょうどロニール雪山の麓に到着したばかりで、流石に疲労もピークに達していた頃合いだった。幸い、第五師団が立てたと思われる拠点が麓にも一か所あって、少しそこで一休みしようかと考えていた。
 勢いと不安だけでここまで来てしまったものの、流石にこのまま山に登るのはいくらなんでも体力がもちそうにない。暗い夜道は第六音素シックスフォニムの譜術でなんとか照らしてきたけれど、そのせいもあって気力もかなり使い果たしていた。
 
(ひとまず辿り着くことはできた……。山は静かなものだし、夜明けを待ってシンク達に追いつこう)

 まだ合流できたわけでも何でもないのに、拠点を見ただけで気が緩んでしまった。なにせフィーネはダアト立つ前までだって、ほとんど泣いてばかりでろくに睡眠もとれていない。風雪のしのげる場所で腰を下ろすと、すぐさま耐え難い眠気が襲ってくる。雪山でそれはさすがにまずいと感じながらも、ほんの少しでいいから休みたいという気持ちが勝った。

(目覚ましとして、足元に譜陣を書いておこう。起こされるとき、ちょっと痛いかもしれないけど……)

 残った力を振り絞り、音素フォニムをかき集めて攻撃用の陣を描く。普段の戦闘では滅多に使わないが、いわゆる罠のような使い方だ。それを時限つきにして、自分に仕掛ける。

(こういう譜陣について教えてくれたのも、イオンだったな……)

 事あるごとに思いだしては、また鼻の奥がつんと痛くなる。フィーネは置いてあった毛布を拝借すると、固く目を瞑ってそこにもぐりこんだ。たぶん、それから数分もしないうちのことだった。

 ずずず、と身体の内側にまで響くような振動を感じて、フィーネはぱっと目を覚ます。驚いて身を起こしたが、これは自分で仕掛けた譜陣の効果ではない。

「地震……いや、雪崩だ」

 慌てて表へ飛び出すが、暗くてどこで何が起きたのかわからない。それでもじっと目を凝らしていれば、山の中腹あたりで赤い光がぱっと瞬いた。第五音素フィフスフォニムだ。おそらく属性的にシンクではなくアッラルガンドの放ったものだろうが、シンクもあの場にいる可能性が高い。

「行かなきゃ、早く……」

 ふらふらの身体に鞭打つ気持ちで、フィーネは必死で光の方角を目指す。後から振り返って、自分でもどこをどう歩いたのか記憶がはっきりしなかった。それくらい、フィーネは無我夢中だった。

 譜術のものと思われる爆発は、そのあとも一回。ただやはり二次災害を懸念して、あまり大規模な術は使えないのだろう。大型の魔物のものと思われる鳴き声も聞こえ、フィーネはただひたすらに現場へ急ぐ。

(魔物と応戦してるんだ、少なくともシンクとアッラルガンド師団長が戦ってるわけじゃない……!)

 それならきっと大丈夫だ。敵に回すと恐ろしいが、味方であればアッラルガンドは心強い存在である。
 

 そうして、疲労困憊のフィーネがなんとか中腹にまで辿り着いたとき、すっかり辺りは静寂に包まれ、空はもう境目のほうから白み始めていた。


「……シンク!」

 差し込むのはわずかな光でも、地面が雪に覆われているときらきら反射して眩しい。あれだけ激しい音が聞こえていたのに、そこにはシンクがたった一人で、ぽつんと切り立った崖の上に立ち尽くしているだけであった。

「シンク、大丈夫!? 一体何があったの!?」

 フィーネは足がもつれそうになりながらも、急いでシンクの元へ駆け寄った。付近には血痕や戦闘の跡は残っていたが、アッラルガンドもその他兵士の姿も見えない。

「……なんで、フィーネがここに……」

 近づいて、肩を掴んで初めて、シンクはフィーネの存在に気が付いたみたいだった。どこか呆然とした様子の彼は、フィーネを見て小さな声で呟く。見たところ擦り傷程度の怪我しかしていないようで、フィーネは心の底から安堵した。

「よかった……無事なんだね」
「……」
「でも、一人なの? 他の皆は?」

 討伐任務で第五全員が出はからうことはないだろうが、それでも小隊程度はいくつか連れてきているはずだ。フィーネが問いかけると、まだシンクはどこかぼんやりとした雰囲気のまま、あっちと指さした。その様子が初めて彼とザレッホ火山で出会ったときのことを思い出させて、フィーネは一人ぞっとする。

「……深夜、ボクが少し拠点を離れたときに、巨大なジャバウォックが襲ってきたんだ。戻ろうにもちょうど雪崩で分断されて……だから、あっちがどうなってるか知らない……」
「そう。じゃあ急いで確認しに行かなきゃ」

 元はシンクに会って確かめたいことがあってはるばるやって来たのだが、なんにせよ状況が状況だ。シンクに背を向け、彼が指した方角への迂回ルートを探そうと動きかけたとき、不意に後ろから痛いくらいの力で腕を掴まれた。

「ねぇ、フィーネ」
「っ、なに?」

 聞こえてきたシンクの声は、とても平坦だった。いつもみたいに嘲ったり、呆れたり、そういう抑揚めいたものが綺麗さっぱり削ぎ落されている。

「……ボクが師団長になってもさ、この前みたいにおめでとうって言ってくれる?」
「え……?」

 一瞬、言われた意味が分からず、フィーネは首だけ振り返った状態のまま固まる。シンクのほうが余程熱い手のひらをしていたのに、掴まれた腕から彼が小さく震えているのが伝わって来た。

「……師団長になるって、でも……」

 戦っていたのは、魔物とのはずだ。
 ゆっくりと向き直ったフィーネは、恐る恐るシンクをみた。顔をほとんど覆い隠す仮面に阻まれて、シンクの表情を窺い知ることはできない。
 彼は掠れた声で、でもはっきりとこう言った。

「アッラルガンドはボクが殺した」
「っ! ウソ! だって、」
「ボクには勝てないだろうって? そうだね、まともにぶつかったらボクに勝ち目はない。だけど、運がよかったんだ……いや、これが運命だったんだよ」

 シンクは言って、ちら、と崖の下のほうへ顔を動かした。フィーネは流石に恐ろしくなって、自分の目でそれをのぞき込んで見る気にはなれなかった。

「……それが、ううん……それも、計画のために必要だったの……?」
「そうだよ」
「……」

 フィーネはなんと声をかけていいかわからなかった。
 軍人である以上、いつかシンクにも人を殺める機会が来るとは思っていたけれど、それがまさかこんな形になるなんて思いもしない。上官殺しはただでさえ大罪だった。アッラルガンドがとてもいい人だっただけに、どうして? という思いもある。

 だがどんな常識を振りかざそうと、フィーネはシンクを糾弾できる立場にない。計画に参加すると決めた時点で、修羅の道になるのは分かりきっていた。この先色んな人を殺して、多くの人を見殺しにするのは避けられないことだった。だからこそ、そこまでする理由をはっきりさせるため、フィーネは無理をしてまでシンクに会いに来た。悪い子になって、身勝手に生きるって、覚悟しにきたのだ。

「……シンク、」

(私、レプリカだけの世界が来てもいい。預言スコアが無くなって、偽物だとか本物だとか比べる先の人間も皆いなくなって、シンクが苦しまずにいられる居場所ができるなら、それでいい)

 目の前のシンクがあまりにも不安定なところで立ち尽くしているから、このままシンクまで身投げしてしまうんじゃないかと怖くなった。フィーネは逆に彼の腕を引くと、そのままシンクをしっかりと抱きしめる。

「……昇進、おめでとう」
「!」
「これで、私も共犯だから……」

 上司と部下の関係でも、友達でもない。だけど同じ痛みを抱えた仲間で、同志で、そして共犯になる。

(私はシンクに出会って、たくさんの感情をもらった。喜びも怒りも、悲しさも寂しさも、そしてたぶん、誰かを好きになるって気持ちも……だから、)

 今度はフィーネがシンクに返す番だ。
 シンクがもうつらい思いをしなくて済むなら、オールドラントを引き換えにしたっていい。レプリカだけの世界に自分の居場所がなくても構わない。そう思っているから、この気持ちは伝えないけれど――。

「撤収しよう」

 フィーネがそう言って身を離すと、シンクはまるで夢から醒めたみたいに、あぁ、と小さく返事をした。

過去編 完


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