アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


81.実に滑稽(82/151)

「シンク、さっきから黙りっぱなしでどうした。寒いのは苦手か?」

 生まれて初めて来るダアト以外の土地は、同じひとつの惑星にあるとは思えないほど、あたり一面の銀世界だった。もちろん、知識として雪というものは知っている。しかし基本的に年中気温の高いダアトで、実際に雪を見ることはほとんどない。支給された厚手のコートを見たときは動きにくそうだと思ったけれど、コートがなければ長期滞在は正気の沙汰ではなかっただろう。吹き付ける風はひどく冷たく、冷えた仮面で凍傷を起こすかもしれないとすら思った。が、アッラルガンドの手前、シンクはいつものように虚勢を張る。

「……人をお喋りみたいに言わないでくれる? 喉が焼けつかないぶん、暑さより寒さのほうがマシだよ」

 方向性が真逆なだけで、環境の苛烈さはザレッホ火山と肩を並べるだろうが。
 総括して山は嫌いだ、と考えながら、シンクは雪を踏みしめ行軍を続ける。

「帝都グランコクマは、焼けつくほど暑い土地ではなかったはずだが」
「誰もグランコクマにいただなんて、一言も言ってないだろ。師団長ともあろう者が、裏付けのとれていない内容を軽々しく口にするなんてどうかしてるね」
「きちんと裏付けをとろうと思ったら、お前が話してくれるしかないじゃないか」
「……」

 ちら、と隣のアッラルガンドを見上げたが、いつも通り真面目くさった顔つきをしているだけで、普段と様子の違うところなど読み取れない。ヴァンとシンクの繋がりに気づいているくせに、なんとも白々しい会話をする、とシンクは思った。それどころか仮面で表情が見えないはずなのに、逆にこちらの些細な変化に気づいてくるのは厄介でしかない。本当のことを言えば、シンクが塞ぎこんでいた理由は寒さのせいだけではなかった。

(ここで失敗するわけにはいかない。余計なことを考えず、集中しなくちゃいけないんだ……)

 体感的にはダアトを出たのは随分前のことのように感じるが、実際にはまだたったの三日しか経っていなかった。初日は移動でほとんど費やし、二日目は麓周辺の魔物を一掃して簡易の拠点を作成した。本格的な探索が始まったのは今日からとはいえ、一体いつどのタイミングで事が起きるかわからない。
 それなのに遠く離れていても、何をしていても、アッラルガンドと会話していてさえ、あの日見たフィーネの泣き顔が頭から離れてくれなかった。

(優しくできる自信が無いなら、そっとしておけというのは正しかった)

 後悔してももう遅いけれど、シンクだって何も最初からフィーネを抉るつもりで部屋を訪れたのではなかった。被験者オリジナルの死を悲しむことこそできなかったものの、泣いているフィーネの傍にいてやりたい気持ちは確かにあったのだ。しかしフィーネと目が合った瞬間、彼女が自分を通して被験者オリジナルを垣間見たことに揺さぶられて、彼女を慰めるどころの話ではなくなった。

(ボクはあのとき……逆にフィーネに慰めを期待してしまった。ホント、自分自身に反吐が出る)

 フィーネがもし、本当にシンクの誕生を良かったと言ってくれるのなら、そのきっかけである被験者オリジナルの死を殊更に嘆く必要はない。つい最近自分で遮ったばかりの感傷を、事もあろうかシンクはあの場でフィーネに望んでしまった。被験者オリジナルと重ねられたことがわかったから、あの瞬間どうしても勝ちたいと思ってしまった。自分を選んでほしいと思ってしまった。

(そんなこと、あるわけがないのに……)

 フィーネと被験者オリジナルの関係を考えても、大事な人を失ったばかりという状況を考えても、フィーネがシンクの期待する言葉を返してくれるはずがなかった。所詮シンクは劣化品のレプリカで、導師としても、フィーネの幼馴染としても役立たずなのだ。

「これは……早めに今日の拠点を確保した方がよさそうだな」

 山頂へ向かうほど雪は勢いを増し、足をとられて隊の歩みも遅々としたものになる。アッラルガンドの言葉に、シンクは黙って頷いた。好んで長居したいとは思えないけれど、時間がかかればその分、任務を遂行するチャンスも増える。それに、

(今はまだ、帰りたくない……)

 まるで元々帰る場所があるかのような考えがよぎったのは、自分でも呆れるくらい滑稽でしかない。シンクは小さく頭を振って意識を切り替えると、部下たちに向かって指示を飛ばし始めた。

「第一小隊は周囲の安全確認。付近に魔物の巣が無いかどうか、徹底的に探せ。第二、第三はなるべく平らな土地を探してテントの設営。第四は雪でかまどを作って、火起こしの準備。譜術の使える者は優先して着火にあたれ」

 はっ、という威勢のいい返事とともに、隊はシンクの指示通り散開していく。とはいえ、この場にいるのはいわゆる『師団長派』の者ばかりで、内心ではまだシンクのことをよく思っていない者も多くいるだろう。ロニール雪山の討伐任務を巡っては、第五の中でもかなり意見が分かれた。最終的にシンクが折れる形でアッラルガンドの意見が通ったけれど、代わりに任務に同行するのは志願制となったのだ。

「シンク、少しこちらに来てくれ」
「……なに」

 と、まぁ、そういう経緯があったにも関わらず、アッラルガンドは何も気にした風ではなく。
 いつも通りに副師団長として、シンクを頼る素振りすら見せてくる。シンクとの関係についてとても悩んでいるようだったとフィーネが言っていたのは、たちの悪い冗談だったのではないかと思うほどだ。
 呼ばれて、シンクがアッラルガンドの所に向かうと、彼はぼこりと大きく凹んだ地面を指さした。

「見てくれ。この足跡、一体何の魔物だと思う」
「……なんだこれ、でかいな。ベヒモス……いや、あれはイニスタ湿原での目撃情報だったはず……」
「同じ獣型とみたほうがいいだろうな。今回の本命はこいつかもしれん」
「だったら、拠点の場所はここじゃだめだ。近すぎる」

 索敵に行かせた第一小隊を今すぐにでも呼び戻す必要がある。一瞬そう考えて、シンクは何を馬鹿なことを……と自嘲した。この討伐任務を志願制にしたのは、師団内の不満を封じ込めるためという目的もあるが、あわよくば『師団長派』の人間を減らせればいいと思ったからだった。言葉を選ばずに言えば、シンクから見て死んでもいい人間しかここには連れてきていない。
 何かを言いかけたあとすぐに口を閉ざしたシンクを見て、アッラルガンドはそうか、と小さく呟いた。当然、シンクはこちらを見透かしたような彼の態度に気を悪くした。

「……なにがそうかなんだよ」
「いや、やっぱりお前はフィーネ奏手が言ってた通り、なんだかんだ部下を案じているんだなと思ってな」
「はぁ?」
「お前はいい奴だよ、シンク。お前自身が思ってるよりずっとな」
「一体なんなのさ突然。やめてよ、気色悪い」

 兵を無駄に浪費するのは馬鹿のすることで、それ以上でもそれ以下でもない。シンクは吐いた息で仮面の内側が曇るのを鬱陶しく思いながら、それでもムキになって言葉を続けた。

「アンタこそ、随分と部下には薄情なんだね。一般人にはこれ以上ないってくらいお優しいのにさぁ」
「雪の状態からして、足跡はだいぶ前に付けられたものだ。この近くにはもういないだろう。それに今回、単独の小隊では接敵しても応戦しないように命令している」
「あぁそう。じゃあ今回の任務は殉職者ゼロってことで、こっちも書類仕事が減って助かるよ」

――逆にそれだけ慎重だったら、全員凍えてこの雪山が共同墓地になるかもしれないけど。

 シンクはまたしても、言いかけて口を噤んだ。本当に今回、シンクはそうなるくらいのつもりでここへやってきたのだ。
 シンクが第五の副師団長に抜擢された理由は、最初からこの師団を乗っ取るためだった。説得なんて甘い方法ではない。不祥事で追い落とすには、アッラルガンドは潔白すぎた。初めて配属を告げられたあの日、ヴァンはシンクに言ったのだ。第五の師団長を亡き者にしろ、と。ちょうど神託の盾オラクル騎士団にまつわる不幸事が、預言スコアに読まれているからと。
 シンクはただその運命の日が来るまでに師団長亡き後の地盤固めをして、預言スコアが成就されるよう上手く誘導すればいいだけだった。

(まさかこのボクが、預言スコア信者の真似事をさせられるとは、ね……)

 本当に、滑稽でしかない。
 シンクは仮面にうっすらと積もった雪を、乱暴な手つきで払いのけた。

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mokuji