アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


77.感傷にいたる干渉(78/151)

 何もしっかり日を決めて約束をしたわけではないし、あの後フィーネに催促されたわけでもなんでもない。落ち着いたら呼ぶなんて言葉は体のいい断り文句としても十分通用する代物で、そのまま何食わぬ顔でうやむやにしてしまっても特に問題は無かった。が、

「ほら早く……閉めてよ」
「う、うん」

 気がつけばなんだかんだで、結局彼女の希望を叶える羽目になっている。
 フィーネを急かして扉を閉めさせたシンクは、部屋に自分以外の人間がいるという状況にいよいよ落ち着かない気持ちになっていた。以前部下たちに勝手に侵入された際にはこの手の妙な気まずさはなかったのに、いざ自分から招待するとなると話を切り出すだけでも相当気力を費やしたものだ。いっそもう一度フィーネのほうから部屋に行きたいと言ってくれれば渋々という形で呼べたのに、無駄に聞き分けのいい彼女はシンクが呼ぶまで律儀に待つつもりのようだった。そう、放っておけばフィーネはいつまでも馬鹿みたいに待っているのだろうと思ったから、余計に放置するのは躊躇われたのだ。

「あのさ、いつまでも突っ立ってないで適当に……」

 そう言いながら自分のベッドに腰を下ろしたシンクは、フィーネが何の迷いもなくこちらに近づいてきたことに気づいてぎょっとする。馬鹿じゃないの、と言葉が飛び出る前に勢いよく腰を浮かせて、部屋の端に置かれた執務机のほうを指さした。

「いやいや! フィーネはそっちだろ」
「え?」

 デリカシーの欠片もない人間に『適当』だなんて曖昧な指示をしたこちらが悪いと言うのか。
 フィーネはシンクの剣幕にやや面食らった様子を見せたが、言えば素直に机のほうへ向かう。

「え? じゃないよ、何考えてるんだよ……」
「いや、話をするのにはちょっと遠いかなって思って」
「そんなの、椅子をちょっとこっちに持ってくればいいだけでしょ」
「わかったって」

 別にそれほど大した距離でもないのに、フィーネはとても億劫そうに椅子を移動させた。腰を下ろしてからもなんだか覇気がない様子で、どこか上の空ですらある。そのことは彼女が仮面を外すとより顕著で、シンクは気苦労があった分だけもやもやとした。

「なんなのさ、アンタが来たいって言ったくせに」
「あ、うん……そうだね。ごめん」

 フィーネはちょっぴりハッとした表情になると、思い出したように部屋の中を見回した。

「……」

 別に目立って変なところはない、はずだ。基本的に宿舎の部屋の造りは似たり寄ったりだし、むしろ必要最低限の物しか置いておらず殺風景だという自覚は十分にある。しかしながら改めてじっくりと観察されるのは非常に居心地が悪く、シンクは非難を込めてフィーネを睨んだ。

「あんまりじろじろ見ないでくれる?」
「あぁ、ごめん。でもなんか思ってたより……」
「思ってたより、なんだよ」
「人の部屋に来た感じがしないなって。なんか、私の部屋に似てる」
「……」

 構造的な意味で、変わり映えしないという意見にはシンクも同意する。ただ『似てる』とまで言われては、なんだか真似をしたみたいな言われようで癪だ。かといって他の人の私室を見たことが無いので、模様替えするにもどういうふうにすればいいのかわからない。

「誰の部屋でもこんなものでしょ」
「そうかなぁ」
「なんの面白みもなくて悪かったね」
「ううん、私としては落ち着くけど……」

 フィーネはそう言いながら、太ももの上で指を組んだ。落ち着くという言葉とは裏腹に、彼女がそういう仕草をするときは何か悩んでいたり緊張しているというサインだ。

「……なに。なにかまた悪い報告であるの?」

 おそらく部屋の問題ではない。来た時からフィーネの様子はおかしかった。シンクはややつっけんどんな態度ながらも、睨むのをやめて普通に彼女を見る。

「え」
「隠すならもうちょっとうまく隠せば? 全部態度に出てるよ」
「いや……」
預言スコアの件、ディストに聞いてみたの?」

 直近の話題で思い当たることと言えばそれくらいだ。シンクがずばり切り込むと、フィーネはあからさまに目を泳がせる。

「……えっと、まぁ……うん」
「それで、ディストはなんて」
「…………なんてって言うか、検査してもらって……私は人間だって」
「まぁ、そりゃそうだろうね」

 そんなことはわざわざ調べるまでもないことだろう。シンクがあっさり受け流すと、フィーネはますます困ったように眉尻を下げる。彼女が一体何を不安に思っているのかわからなくて、シンクはちょっぴりイライラした。

「じゃあ、実家と関わりがあるって言ってた件は?」
「それは……」
「報告するって話でしょ」
「……」

 それだって、部屋に呼ぶのと同じように約束をしたわけではないけれど。
 シンクが強めに促せば、フィーネは背中を丸める。しかし躊躇っているときは、なんだかんだで彼女は口を割るのだ。最初から話す気がない場合には、案外はっきり嫌だと言うのを知っている。

「……フォミクリーに必要な物質を仕入れてもらってたんだって。その……私、ディスト様がフォミクリーに関わってる人だってこと、知らなくて……」
「はぁ、今更って言いたいとこだけど、それでそんな歯切れが悪かったってワケ」
「だって、私またデリカシーなかったなって……」
「そんなのいつものことでしょ」
「だけどそれだけじゃなくて……。そのことを知っても、私、ディスト様のことを憎めなかった」

 そうぽつりと呟いたフィーネは、まるで懺悔でもするかのような調子だった。

「ディスト様がいなかったら、私たちこうしてここにいなかったんだなって思うし」
「別にそれで何の問題もない。いないほうが良かったくらいだ」
「私も、自分についてはそう思う」
「……」
「でも、」
「それ以上言うな」

 自分でも思った以上に強い口調になって、シンク自身が一番驚いていた。咄嗟に冷静にならなくてはと思ったのに、動揺する心のまま勝手に言葉が溢れていく。

「アンタのくだらない感傷に付き合う気はないよ」

 今は憎しみを糧にかろうじて立っているのに、フィーネの言葉に依存したくない。その先の言葉を切望しているようでいて、それを聞いてしまったらもう、自分はどこにも進めないのではないかという恐怖がわいた。フィーネの背景に預言スコアが無関係でないとしても、やっぱり彼女の動機は被験者オリジナルのためなのだ。フィーネの人柄に心を許そうと、同志として肩を並べようと、そこだけは勘違いするわけにいかない。勘違いしたが最後、惨めな結末しかないことはわかりきっていた。

「……ごめん。こんなの、押し付けだよね」
「……」
「うん、別の話をしようか」

 シンクがやや過剰とも言える態度を取ったのに、フィーネはむしろどこかホッとした様子に見えた。実際、無理に促されただけで、彼女自身もこの話はあまりしたくなかったのかもしれない。
 フィーネはええと、と左上に視線をやり、なんとか次の話題を探しているようだった。

「そうだ、ロニール雪山の討伐任務」
「……フィーネの耳にも入ったんだ」

 シンクが普通に話に乗ったことで、フィーネは更に安心したような顔つきになる。気を使わせたとは思ったものの、むしろ彼女の性格的にはそうさせないほうが難しい。フィーネは小さく頷くと、すっかり切り替えたように討伐任務の話を始めた。

「シンクとアッラルガンド師団長で意見が分かれてるって聞いたよ」
「うちにとっては余計な仕事でしかないからね」
「私も正直そう思うけど、アッラルガンド師団長がすごく悩まれてたから」
「……待って。話したの?」

 別に同じ神託の盾オラクルなのだから話す機会があっても不思議ではないが、なんだか嫌な予感がする。それにこれからのことを思えば、アッラルガンドとはあまり関わらないに越したことがなかった。

「余計なこと、話してないだろうな?」
「うーん、話したかも」

 念のためにシンクが確認すると、案の定フィーネはバツが悪そうに目を伏せた。

「成り行きで、シンクと仲良くしてること言っちゃった」
「他には?」
「他は大丈夫だと思う……あ、いや、私もロニール雪山の件はマルクト任せでいいんじゃないかとは言ったけど」
「それは他の奴も言ってることだしね。まあ、最終的には行くことになるんだけどさ」

 むしろ、土壇場で行かないなんてことになったら困るのはこちらだし、星の記憶からしても行くことになっている。それなのにわざわざシンクが反対してみせたのは、単純にパフォーマンスの一環でしかなかった。
 だがシンクの言葉を聞いたフィーネは、何を勘違いしたのか大袈裟に目を丸くする。

「うそ、シンクが折れるの? 成長したね」
「……その言い草は引っかかるけど、一応あっちが上官だからね」
「私が休息を命令したときは、色々ごちゃごちゃ並べ立てて聞かなかったじゃない」
「はぁ、そんなふうに思ってたワケ?」
「だって本当のことだし。素直に人の言うこと聞くようなタイプじゃないでしょう」
「……」

 自分にやや天邪鬼なきらいがあるのは認めるが。
 はっきり面と向かってそう言われると、やっぱりあまりいい気はしない。

「アンタが従順すぎるだけでしょ。いい子はやめるんじゃなかったの、優等生サン」

 フィーネに売り言葉のつもりはないだろうが、シンクがきちんと喧嘩を買うと、彼女はやや不服そうに口をすぼめた。

「やめるっていうか……アッラルガンド師団長の前だと改めていい子にはなれないなって感じた」
「……あれはあれで、害があるくらいのお人好しだからね」
「シンク、心配されてたよ。総長に利用されてるんじゃないかって」
「……は?」

 ここへきて思いがけないフィーネの発言に、今度はシンクが目を丸くする番だった。

「ヴァンに利用されてるだって? アッラルガンドがそう言ったのか?」
「前任の副師団長の件があるからだと思う」
「そこは問題じゃない、利用はしてるしされてるさ。クソ……なんでそんな大事なこと、先に言わないんだよ」

 勘づかれたシンクにも非があるとはいえ、計画の同志としてそれこそ真っ先に報告すべきことだろう。自分は何一つ尻尾を出していないつもりだったが、やはり師団長なだけあって人を見る目は伊達じゃないらしい。
 
「ごめん」

 謝ったフィーネは単にしおらしくなっただけでなく、とても疲れているように見えた。

「確かにシンクの言う通りだよ。なんだか最近色々なことがありすぎて、頭がうまく回ってなかった」
「……」

 それはいつものことだろ、という混ぜっ返しは置いておいて。ますますアッラルガンドを放っておくわけにはいかなくなったな、と思う。
 考えこんでしまったシンクに向かって、フィーネは躊躇いがちに言葉を続けた。

「あのさ……総長はアッラルガンド師団長のこと、どうするつもりなんだろう」
「……さあね」
「前に各師団を計画の賛同者で固めるって言ってたけど、あの人を説得なんてできるのかな」

 正直に言ってしまえば、無理だと思う。アッラルガンドという男を知れば知るほど、相容れないという確信は強まるばかりだ。けれども、

「やるしかないだろ」

 シンクは嘘をついた。ぶっきらぼうに、それでいてなんでもないことのように。

「あの男一人につまずいているようじゃ、預言スコアを滅ぼすなんて夢のまた夢だ」
「……うん、そうだね」

 フィーネは小さく頷いて、口を閉ざした。シンクもまたこれ以上話の接ぎ穂を見つけられずに沈黙する。
 このとき、シンクもフィーネも互いに自分の踏み込まれたくないことにばかり意識が向いていて、相手の様子にまでは気が回っていなかったのだった。


prevnext
mokuji