アンチ・アンチナタリズム
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76.紛い物(77/151)

 レプリカを造る技術、フォミクリーを考案したのはジェイド・バルフォアという名の博士らしい。彼はわずか九歳という若さでその技術を編み出し、その頃には既に無機物の複製には成功していたという。

「ジェイドは私の親友であり、最大のライバルなのですよ」

 ディストはそのバルフォア博士について語るとき、普段の三倍以上は饒舌だった。二人はケテルブルク出身で、いわゆる幼馴染の関係らしい。そしてそのままグランコクマの帝国譜術・譜業研究院でも共に勉学に励んだ仲であるとか。

「もともとフォミクリーというのは譜術でしてね、第七音素セブンスフォニム以外の六つの音素フォニムによってレプリカを作製していたんです。ですがこの方法だと、無機物はよくても生物レプリカを造るときには欠陥がありました。まぁそこでこの私、天才ディスト様の譜業の技術が必要になってくるわけです!」

 ところどころ思い出話を交えつつ、フォミクリーについて滔々と語るディストは、良くも悪くも無邪気な研究者であった。馬鹿なことにフィーネはこのときディストが話をするまで、シンクやイオン様の誕生にこの目の前の男が関わっているとはこれっぽっちも知らなかったのである。イオンに連れられてレプリカたちが造られる様子を盗み見たとき、そこにディストの姿は見えなかった。どこか別の場所で音機関を制御していたのか、はたまた総長自身で操作できたのか、そんなことは今更どうだっていい。ただ、第二師団長は譜業技術に明るく、こちらの陣営だということを知った後でも、誰があの巨大な音機関を作ったのかを考えることすらしなかった自分に愕然とする思いだった。

「現在の生物レプリカには第七音素セブンスフォニムのみを使っていましてね、被験者オリジナル第七音素セブンスフォニムを注入したあとレプリカ情報を抽出して、その情報を元に音機関で作成するんです。情報を抽出するときに必要なのが、フォニミンなのですよ」

 フォニミン、と言われてもフィーネにはそれがどのようなものかわからなかったが、エンシェント鏡石という特定の鉱物に多く含まれる物質なのだそうだ。ただフォミクリーは軍事利用に転用も可能なため、国の許可された機関でなければ、無機物に対する研究ですら認められていない。加えて、エンシェント鏡石は強度が一定ではないために採掘が非常に難しく、非常に高値で取引されるものらしかった。

「以前、あなたのご実家には研究の便宜を図っていただいたと言いましたね? エンシェント鉱石の主要な産地はキムラスカ領にありまして、マルクトでは非常に入手が難しく、できてもかなり値の張るものでした。だから私はジェイドに帝国研究院なんて辞めて、二人でキムラスカに移ろうと言ったのに! あのいけ好かないお気楽皇子が出奔は許さないだなんてしつこくって! ……とまぁ、色々苦労していたところ、あなたのご実家がフォニミンの輸入にご尽力くださいましてね。夫人がキムラスカから嫁いでこられたらしく、その縁故を利用させてもらったんですよ」

 軍事研究には莫大なお金が投入される。特に、先代のマルクト皇帝はかなりの野心家だったので、この協力によってフィーネの実家も相応に潤ったことだろう。ディストにしたって、そのバルフォア博士にしたって、研究の為の材料が手に入るのは非常にありがたい話だったに違いない。
 熱く語るディストとは対照的に、フィーネは冷え冷えとした気持ちになっていった。シンクの嘘の経歴が、まるで笑えない冗談ではないか。

「本当に……マルクトは生物兵器を作ろうとしていたんですね。レプリカを戦争の道具に……」
「フン、上はそのつもりだったようですね。でも、私やジェイドにとっては戦争なんてどうでもよかったんです」
「ならどうしてそんな研究を……!」

 これで知の探究だなんて言葉が返ってきていたら、もしかしすると手が出ていたかもしれない。だが目の前のディストはとても純粋に、懐かしむような表情で、取り戻すためですと言った。

「亡くなった私たちの先生を、レプリカとして蘇らせる。それが私とジェイドの目的です。私は今も諦めていませんし、ジェイドだってきっと実現できるとわかればまた協力してくれるはず……!」

 死者を蘇らせる。自分の大切な人を、死という運命から取り戻す。
 それは言葉にするとあまりにも幼稚だけれど、だからこそ根源的な類の望みかもしれなかった。少なくともイオンの死が直前に迫る中で、フィーネは即座にディストの考えを否定することができなかった。フィーネだってもし望みを叶えられるだけの知識や技術があれば、生物フォミクリーという技術に手を出してしまっていたかもしれない。
 その技術によって造られる、レプリカという存在の苦しみを知らなければの話だが。

「レプリカは……レプリカです。イオンと、シンクやイオン様は別の存在です」

 だから、あなたの先生は蘇ることはない。
 流石にそれを言うだけの勇気はフィーネにはなかった。だが、ディストはその先の言葉を散々聞き飽きたとでも言うようにフン、と鼻を鳴らす。

「私はフォミクリーにはまだ改善の余地があると考えているんですよ。今のレプリカは被験者オリジナルの記憶を有していませんが、私とジェイドが研究を続ければいつかきっとできますとも!」
「いつかのために……? 技術の完成までに多くのレプリカが傷ついて、捨てられて、死んでいったとしても?」
「研究に失敗はつきものですからね。進歩の課程で『紛い物』ができてしまうのは、ある程度仕方がないことでしょう」
「っ、紛い物なんかじゃ、」

 無い、と言えるのだろうか。少なくとも造った側には目的がある。望みの完成形がある。その望みに沿うものでなかったのなら、造られた側がなんと泣きわめいて主張しようとそれはまったく意味をなさないことなのではないか。
 フィーネはかつて聞いた父親の言葉を思い出し、胸が詰まって反論できなかった。シンクのためにも、イオン様のためにも、フィーネはここでディストに違うと言わなければいけないのに。
 それなのにディストがあまりにも大事そうにその先生のことを話すものだから、真に望まれている本物には勝てないのだと、深く思い知らされる気分だった。

「そっちからすれば……紛い物かもしれません。でも、好きで紛い物に生まれたわけじゃない……」
「おやまぁ、あなたが自分で私と同じ仮説に辿り着くとは思いませんでしたよ」

 フィーネとディストの話は、残念ながら噛み合ってはいなかった。けれども勝手に脱線して、勝手に感情を揺さぶられているのはフィーネのほうだ。
 ディストは少しの意地の悪さもなく、ただ当初の目的通り、フィーネが預言スコアを持たない理由についての仮説を披露し始めた。

「エンシェント鏡石は脆いものの、その名の通り鏡のようにきらきらとした鉱物でしてね。フォニミンの精製が難しい屑石や欠片を何か他のことに利用できないかと、当時あなたのご実家は色々と試しておられましたよ」
「……」
「女性の化粧について私はあまり詳しくありませんが、真珠なども同様の使い方をするらしいですね。エンシェント鏡石の粉末を混ぜた化粧品は肌が美しく見えると、夫人が自慢していたのを覚えています。結局、その後は精製技術のほうが向上して、化粧品なんぞに回すより研究に回した方が金になるとなって販売はしなかったようですが……」

 ディストは屑とはいえ貴重な鏡石がそのような使われ方をしたことを、今でも根に持っているようだった。途中、やや恨めし気な口調になりながらも、無反応のフィーネに向かって語り続ける。話の中で懐かしんだり恨んだりしながらも、基本的に彼は自分の研究を語るのが楽しくて仕方がないみたいだった。そして困ったときに自分を頼り、話を聞いてくれるフィーネに対して、彼なりの友情を感じているようでもあった。

「フフ、本当は内緒なのですが、まぁあなたと私の仲ですからね。教えてもいいでしょう。実は私の作った音機関は、母体を模して造ったんです。そりゃ人間を造ろうっていうんだから当たり前と思うかもしれませんが、一番最初に思いつくことができるのは、やっぱり本物の天才だけなんですよ」

 フォニミンという、情報を写し取る物質。ディストの話す過去が一体いつを指すのかわからなかったけれど、もしそのとき本物の母体があったのなら音機関は不要だろう。
 フィーネはまだぐちゃぐちゃの感情のまま、ほとんど儀礼的に口を開く。

「でも、私はレプリカではないってさっき……」
「そうです。そこがミソなんですよ! あなたは特殊な構成をしているけれど、レプリカではない。奇跡的に条件が揃った結果、フォミクリーと同じ現象が起こり、本来生まれるはずのなかった命が映しとられたのではないでしょうか!」
「!」

 それでは、それではやっぱり、紛い物はフィーネのほうだ。
 ひどい眩暈がする。ぐわんぐわんと耳鳴りもした。フィーネは仮面の下で固く目を瞑る。そんなことをしたって現実は消えてくれないのに、震える唇をかみしめた。

預言スコアは最初から一人分で間違っていなかった! あなたはきっと、死産するはずだったんですよ!」

 先に耳を塞がなかったのを、ひどく、ひどく後悔した。

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mokuji