アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


75.仮説(76/151)

 ベッドのマットレスとも野営の地面とも違う固さを背中に感じて、フィーネは半覚醒の状態で自分の顔に手をやった。視界が薄暗かったのは、どうやら部屋の照明の問題ではなくきちんと仮面を着けていたかららしい。

(ずいぶんと懐かしい夢を見ていた気がする……)

 かつては訪問日のみでさえ煩わしいと感じていた仮面を進んで着けるようになったのは、自分の生まれを自覚したあの日以来のことだった。顔を隠すことの必要性と意味を理解して――いや、当時フィーネ自身が隠したいと思って殊更に人目を避け始めたのだ。明らかに劣っているとして両親から捨てられた自分が、優秀な兄と同じ顔をしているのは皮肉以外の何物でもない。あの家の血を引いている素顔を世の中に晒す勇気がなかった。

 フィーネはまだぼんやりとしながらも、ゆっくりと身体を起こす。譜業装置の寝心地はいまいちだった。研究所の暗い部屋に、緑の光がちかちかと眩しい。

「……すみません、ディスト様。私、いつのまにか寝てたみたいです」

 こちらに背を向け、何やら装置を弄っているディストの背中に声をかけると、彼は振り返って眼鏡を手で押し上げた。

「別に構いませんよ。むしろじっとしていてもらえた方がデータは取りやすいってもんです」
「そう、ですか。それならよかったです」

 フィーネが第二師団にある研究施設に足を踏み入れたのは、実はこれが初めてのことだった。よその師団のことは詳しく知らなかったけれど、アリエッタの第三師団のように師団長に特色があるところは普通の体制とはまた事情が異なるのだろう。ディスト率いる第二師団は第六に次ぐ大所帯だったけれど、研究施設を独自に有していたり、人員も非戦闘員である研究員がいたりと一風変わった構成になっていた。

「それで……結果はどうでしたか」

 フィーネは声の出し方を思いだすようにしながら、恐る恐る質問をした。かなり逡巡した後にようやく自分の身に預言スコアが無いかもしれないことを打ち明けてみれば、彼は検査してみればどうです? とごくあっさりとフィーネを研究所に連れてきたのだった。

「あのねぇ、簡単に言ってくれますが、解析もそうパッパとできるものではないんですよ」
「す、すみません」
「でもまぁ、可能性はひとつ減らせましたよ。あなたは人間です。レプリカではなくてね」
「……」

 それはなんとなくわかっていたことだったが、改めて告げられるとほっとしたようながっかりしたような何とも言えない気持ちになる。人間であるということは、フィーネは確実にあの家の子供ということだ。それは今の自分の立場を思えば、逃げ場のない苦しくて切ない事実でしかない。
 一方のディストは黙り込んだフィーネに向かって、朗報を告げるかのように声を弾ませた。

「まあでもお聞きなさい。面白いこともありましてね」
「面白いこと?」
「ハハハ、そうですよ。なんと、あなたの細胞同士の結合には、第七音素セブンスフォニムも使われていたんです!」
「はぁ、それってつまり、どういう……?」

 フィーネは完全に装置の上から退けると、簡単に身づくろいをしてディストの傍へ行った。もちろん彼の手元を見てもフィーネにはちんぷんかんぷんなのだが、ただでさえ難しい話を遠い距離で行おうというのには無理がある。
 ディストはせっかくすごい発見を伝えたというのにフィーネの反応が思わしくなかったからか、ややムッとしたように口を尖らせた。

「だーかーら、普通の人間は第一から第六までの音素フォニムで元素を結合させていますが、あなたの結合には第七音素セブンスフォニムも多く使われているんですってば」
「……?」

 説明してもらっておいてなんだけれど、いまいち話が見えてこない。フィーネは自分の鈍さを申し訳なく思いつつも、必死で理解しようと質問を重ねる。

「あの、でも私はどっちかっていうと第七音素セブンスフォニムは使えないほうで……もっとちゃんとした第七音譜術士セブンスフォニマーなら、普通に第七音素セブンスフォニムも身体の中にあるものじゃないんですか?」

 勉強はきらい。難しいことは考えたくない。おまけに第七音素セブンスフォニム関連となれば、心理的にも避けて通りたい。
 そういうこれまでのフィーネの姿勢のツケが、今になって回ってきたのだろう。ディストは口をあんぐりと開けて、何か可哀想なものでも見るかのようにこちらを見下ろした。

「あなた……造りたてのレプリカ並みに知識がないですね。第七音素セブンスフォニムをフォンスロットに取り込み受け入れる能力と、身体が第七音素セブンスフォニムで結合しているのはまったく別の問題です! シンクだってまるごと第七音素セブンスフォニムでできているけれど、能力は低いでしょう」
「っ、ひどい……シンクのことを悪く言わないでください!」
「あ、あなたねぇ! 人がわかりやすく説明してあげてるっていうのになんです、ムキー!」
「あ、えっと……でも、だめなものはだめです!」

 確かにフィーネは教えてもらっている立場だが、それでも流石に聞き捨てならない。というか、頑張って理解しようとしていたところ、最後の暴言に意識が全部持って行かれた状態だ。

「いくらディスト様でも許せません。シンクは私よりずっと頭もいいし、努力して体術だってめきめき上達して……能力が低いなんてことないんですから」
「フン! 私は第七音素セブンスフォニムの素養の話をしてたんですよっ。でもまぁ、確かにあなたよりはあのレプリカのほうが頭は良さそうですね!」
「ほら、そうでしょう。もう二度とシンクのこと悪く言わないでくださいね」
「……」

 ディストにもわかってもらえたみたいで何よりだ。ただ、フィーネがここまで強く言い返すとは思ってもみなかったのかなんなのか、ディストは大袈裟に椅子からずり落ちた。

「嫌味も通じないとはやりますね……。まぁいいですよもう、本題はあなたの身体のことなんですっ!」
「えっと、なんでしたっけ……私の身体は他の人と違って、第七音素セブンスフォニムを使ってできている……?」
「そうです、その点はレプリカと近しい構造ですね」
「……身体が第七音素セブンスフォニムを使ってできていると、預言スコアって読めないものなんですか?」

 そもそもフィーネの疑問の始まりはそこである。なぜ自分には預言スコアがないのか。同じく預言スコアを持たないレプリカと造りが似ているということは、第七音素セブンスフォニムが何かしら邪魔をしているのだろうか。

「ふーむ、第七音素セブンスフォニムを阻害要因と考えるのは面白いですけどねぇ、この場合は第七音素セブンスフォニムで身体が構成された経緯について考えた方がいいかもしれません。大前提として預言スコアは星の記憶であり、レプリカに預言スコアが無いのは、彼らがこの世界に存在するはずがなかったものだからですよ」
「そっか……」

 身体の構成がどうとか、問題はそこではない。でももし、そのレプリカに預言スコアが無い理由が、フィーネにも当てはまるのだとしたら――。
 フィーネはずしん、と心臓のあたりが重くなるのを感じた。

「じゃあ私は……本来、存在するはずがなかったってことなんですか……?」

 それなら、疎まれて、捨てられて当然じゃないか。
 こちらの問いにディストは考え込みながら、膝の上で指を組んだ。

「まあそうなりますね。当時、私が知っていたのはあなたたちが一つの預言スコアに双子で生まれてきたということだけで、片割れのあなたに預言スコアが無いなんてことは知りませんでした。私自身は預言スコアが外れようが、どうでもよかったですからねぇ」
「……」
「でも今になってこうやって情報が揃うと、一つくらい仮説を立ててみたくなりました。なんてったって私は天才ですからね、ハーッハッハッハッ!」

 ディストは高らかに笑うと、おそらく彼なりの親切心でフィーネの疑問に一つの答えを用意した。

「さてフィーネ、あまり期待はしていませんが……フォニミンという物質を知っていますか?」


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