73.距離感(74/151)
(施錠忘れか……? 不用心だな)
拳士であれば、そうそう頻繁に出入りすることのない武器庫。それでも責任者として定期的に管理の状況を確認しているシンクは、その日細く開いたままになっている扉を発見し、胸の内で小言を呟いた。 当然、安全管理上の問題もあるし、火薬類の品質の問題もある。基本的に武器庫は第四音素を利用した譜業装置を用いて湿度管理をしているため、長時間の開けっ放しは厳禁なのだ。あとで最後に出入りした者の記録を照会する必要があるな、と考えながら、シンクは部屋に近づいていく。就業時間は一応過ぎていたため、ノブに手をかけるその瞬間まで、まさかまだ誰かが中にいるだなんて想像もしていなかった。
「あの人も必死なんだろ、名誉挽回したくて」 「!」
中から聞こえてきた声に、シンクは反射的に息を潜める。流石に一般兵クラスとなると数も多く、声だけで個人を識別はできなかったが、それでもここの武器庫は第五の管轄なのだ。部下の誰かであることは間違いないそいつらは、まさかシンクが扉の前にいるとも知らないで好き放題に愚痴をこぼしていた。
「ま、副師団長の件があってから、一気に風当り強くなったもんな」 「ひでーよな。以前は第五は理想的な騎士団だってあんなに褒めてたくせに、急に裏切り者扱いなんだからさ」 「でも教団本部の対応見てると、漏らしたのが預言関連だって話、マジっぽいよな……」 「だとしても、それは副師団長だけの話だろ。俺らが今まで人々の安全のために尽くしてきたことまで無かったことになんのは納得いかねーよ」
ここで彼らの指す『副師団長』とは、シンクではなく前任の副師団長のことだろう。一枚岩だった第五の結束力と、これまでこつこつ築き上げてきた信頼に致命的な一撃を与えたあの事件。結局、ヴァンは何をやったのか詳細に語らなかったけれど、第五に配属されてその影響を肌身で感じて、シンクは改めてヴァンのことを恐ろしい男だと思った。
「だから名誉挽回で、ロニール雪原の魔物討伐ねえ……」 「ぶっちゃけ、やる気出ないよな。どうせろくに感謝されるわけでもないし、その感謝だって結局うわべだけだったって今回よくわかったし」 「ていうか、マルクト軍がやればいいよな」
弱きを助ける騎士道精神も真っ青。聞こえてきたのは笑ってしまうくらい正直な意見だった。だが、この前シンクも同じことをアッラルガンドに進言したばかりだ。凶暴化した魔物とやらがどれほどのものかは知らないが、今回は神託の盾が率先して出張る内容ではない。もっとも実際に直接議論した限りでは、アッラルガンドの目的は『名誉挽回』なんて損得勘定にまみれたものではなく、だからこそ余計に性質が悪いと思ったが。
「でも今んとこ副師団長は反対してるんじゃなかったけ? あれ、ほんとに行くのかな」 「どうだろうな。新しい副師団長は前と違ってイエスマンじゃないけど……やっぱ最終的な権限はアッラルガンド師団長にあるんじゃないか?」 「イエスマンどころか、ノーマンだよなむしろ。最初はなんだこいつって思ったけど、あれはあれで見ててスカッとするときがあるから困る」 「師団長にも遠慮ないからなぁ」
(困るってなんだよ……)
愚痴の現場に居合わせたというだけでも決まりが悪いのに、急に話題が自分のほうへと移って、いよいよシンクはこの場を離れるべきかどうか迷った。上官ともなればある程度不満を抱かれて当たり前だと思っているし、自分自身の振る舞いについても自覚があるから叱ろうとは思わない。が、それにしたって剥き出しの本音を聞くのはなかなかに気まずいものがある。とりあえず湿度だけなんとかして中の確認は改めて出直すか、とそっと扉を閉めようとすると、その間にも中の兵たちはシンクのことで盛り上がり始めた。
(ま、ある意味これも仕事のうち……)
シンクは本当にこれ以上は聞くまいと立ち去るつもりだった。 次の、どこかの馬鹿の発言が耳に飛び込んでくるまでは。
「そういや副師団長と言えばさ、フィーネ奏手とどういう関係なんだ? 前から気になってたんだけど、誰か知らない?」
握ったドアノブが、みしりと嫌な音を立てた。ただその音以上に心臓がばくばくとうるさい。愚痴大会はいつのまにか無責任な噂話に移行したみたいで、シンクは扉を閉めきることもできず、耳をそばだててしまった。
「フィーネ奏手って、第六の? あ、今は特務だっけか」 「そうそう。最近、よく二人が廊下で話してるの見るんだよな」
(そんなには話してないだろ!)
確かに会話を解禁して以来、廊下や食堂で顔を会わせるたびにちょっと話すようにはなったものの、そんなものは本当にちょっとだ。そもそもが仕事や昼休憩中のことなので長々と立ち話しているわけでもなんでもないし、フィーネはともかくシンクは忙しい。他人にとやかく言われるほど、よく話しているなんてことはない……はずだ。 けれども、シンクがいくら胸の内で抗弁しようと彼らに届くはずもなく、好奇心に彩られた会話は続いていく。
「俺も見た。で、不思議に思ってた。仕事って言っても、俺らが特務と何か一緒にやることなんてないじゃん?」 「だよなぁ。仮面二人で目立つってのもあるけど……。てか、歳も近そうだし、まさかフィーネ奏手もマルクトの秘密部隊出身だったりするのか?」 「マジか……。確かに二人とも拳士だし、訓練兵だったころの知り合いってのはありそうだよな」 「でもフィーネ奏手って結構昔からいるよな? 秘密部隊が解体されたのはピオニー陛下が即位されてからって話だし……」 「脱走してきたとか? それで昔の仲間に再会した的な」 「なんだそれ、すっげえ」
(すごいのはアンタらの妄想力だよ……)
なんだかよくわからないが、あれよあれよという間にフィーネにまで大袈裟な設定がついた。答えを知っているシンクからしてみれば呆れるしかない妄想なのだが、彼らはなぜか今ので勝手に納得してしまっている。
(ま、別にフィーネが誤解されようが知ったことじゃないけど……)
これでまた、彼女が周囲から遠巻きにされるネタがひとつ増えたというところだろうか。だから自分に関わるなと言ったのに、ご愁傷サマ、としか言いようがない。 結局残って聞くことになってしまった部下たちの会話は、フィーネに飛び火しただけの結果だった。
「なるほどねぇ。でも、昔の仲間ならちょっと納得だわ。あの距離感」 「わかる。すげー近いよな。見ててちょっとこっちがどきどきする」 「仮面してると遠近感おかしくなるのか? って思ってたけど、他の人とはそんなことないもんな」 「まず、あの二人が他人と喋ってるのそんな見ねーよ」
あはは、と最後は若干馬鹿にしたような笑いが起きて、面白くないといえば面白くないのだけれど。
(距離、近いか……?)
自覚のなかったことだけに、シンクはそこに引っかかった。というか、立ち話の距離なんてたかが知れているとしか思えない。『よく』話しているだとか、距離が『近い』だとか、単に彼らが面白がって大袈裟に言っているだけではないのか。
(……馬鹿馬鹿しい、時間を無駄にした)
シンクは頭を振って思考を切り替えると、今度こそ離れようと扉を引いた。 そのときだった。
「シンク、そんなとこで突っ立って何してるの?」 「!?」
咄嗟に扉を閉めることには成功したが、動揺してバタンと大きな音を立ててしまう。シンクが勢いよく振り返れば、バインダーを片手にフィーネが不思議そうにこちらを見つめていた。
「っ、馬鹿! 急に大きな声だすなよ!」 「え? 大きい声なんて……シンクのほうがうるさいけど」 「タイミングが悪いんだよ」
おそらく、彼女も同じように確認作業に訪れていたのだろう。第五の武器庫ほどの規模でないにしろ、特務にだって一応そういう設備はあるものだ。理不尽に叱られたことになるフィーネは、ただひたすらにびっくりしていた。
「え、ごめん。何か取り込み中だった……?」 「ああもういいから、来て」
とにかくこの場を離れよう。音を立てて扉を閉めてしまったので、中の奴らが様子を見に来ないとは限らない。 シンクが強引に腕をとって歩き出すと、二、三歩だけよろめいて、フィーネはすぐに歩調を合わせてきた。
「一体何事なの? 私まだ作業終わってないのに……」
先ほど、大きい声を出すなと言ったからだろうか。声を潜めて耳元で囁かれ、思わずシンクはばっと腕を離す。
「っ、近い!」
そうして大袈裟なくらいに距離をとれば、フィーネはますます困惑した顔になった。
「えぇ……ほんと、なんなの。意味わかんない」
彼女からしたら、それはそうだろう。ただシンク自身も意味が分からないと言ってしまいたいほど、やたらと動揺してしまっていた。
「私、そんなシンクを怒らせるようなことしたかな?」 「違う、けど……今はちょっと忙しいから、」 「うん、私もまだ確認終わってないの。だからもう、戻っていい?」 「……あぁ」
結局、忙しいのはフィーネのほうだったみたいで、シンクのしどろもどろな回答にそれ以上突っ込んでくるようなことはなかった。シンクもようやく少し冷静さが戻ってきて、今のは悪かったなと思い始めたけれど、シンクが謝るよりも先に彼女はくるりと踵を返してしまう。
「じゃあなんかよくわかんないけど、また後でね」 「……」
(『後で』、か……)
相変わらず全然怒らないな、と呆れつつ。 当たり前のように告げられたその三文字を、シンクは胸の内で何度も反芻していた。
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mokuji
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