アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


69.見ないふり(70/151)

「え、あ、ごめん。なに?」
「もう、人が話してるときに自分の世界に入らないでよ。そうでなくても仮面があってわかりづらいんだからぁ〜」
「ごめん」

 話の途中に完全に上の空になっていたことを恥じ、フィーネは申し訳なく思った。確かに仮面のせいで、意識がそれていても気づきにくいだろう。せっかく友達になってくれたのに、結局フィーネはまだアニスたちに素顔を晒せていなかった。別に見せたところで差しさわりはないだろうが、深く追及してこない二人の優しさにいつまでも甘えさせてもらっていた。

「もう一回、いい?」
「しょうがないな〜。第五の新しい副師団長の話だよ」
「えっ!?」

 ただでさえぼうっとしていたところへ、不意打ちすぎる話題。シンクの名前をうっかり口に出さなかっただけまだマシだが、フィーネは驚いて固まってしまった。さっきまで預言スコアの考え方の話をしていたのに、急にどうしてシンクの話になったのか見当もつかない。

「えっと、うん。それで……第五の子がどうしたの?」
「ちっがーう。こっちが聞きたいの。この前フィーネ、廊下で何か話してたでしょ? フィーネが他の人と喋ってるのなんて滅多に見かけないし、なんかあったのかなって」
「あぁ……」

 シンクに話しかけていい、と許可をもらって以来、行く先で顔を合わせた際は、ちょっと会話をしたりもするようになった。きっと、アニスにはそういう場面を見られたのだろう。

「特に何かがあったわけではないけど……」

 フィーネはどうして興味を持たれたのかも分からず、返事を濁す。部屋で二人の時ならともかくも、廊下などでは当たり障りのない話しかしていないし、特別親しげにも振る舞っていないつもりだ。仮面の二人が話していたらそれだけで目立つのはわかるが、逆に仮面以外は特に面白味もない組み合わせに違いなかった。
 
「普通に、世間話とかしただけだよ」
「世間話!? すごいじゃん!」
「アニス、流石にそれは失礼なのでは……」
「いや、これはフィーネに対してだけの驚きじゃなくってぇ、イオン様は知らないと思うんですけど、あのシンクって子、性格がキツいって有名なんですよぅ」

 どうやらシンクの色々とアレな振る舞いは、導師守護役フォンマスターガーディアンとしてほとんど教団に詰めていることが多いアニスの耳にもしっかり伝わっているらしい。そんなシンクと普段人を避けがちなフィーネが普通に会話できていることは、彼女とってはかなりの驚きだったようだ。
 こちらを気遣うように伺うイオン様の優しさはありがたかったけれど、シンクの苛烈さを知るフィーネとしても、アニスの反応は頷ける話だった。

「言い方はキツいかもしれないけど、話してみれば案外いい人だよ」
「えー、フィーネってディストのときもそう言ってたからあんまりアテになんないなぁ。あ、でもでもぉ、お互い仮面同士だからそこで意気投合しちゃったり〜?」
「意気投合まではしないけど……」

 そもそも互いに素顔を知っているのだから、今更仮面の話なんてしない。けれどもそういうきっかけだったことしておいた方が、当たり障りはないだろうと思った。

「確かに仮面っていう共通点はあるね。それより、どうして急に第五の話なんかに?」
「えーっと、なんだっけ、ほら、」
「派閥の話から、ですよね。第五師団も最近なんだか一枚岩ではないという話で……」
「え、そうなんですか?」

 完全に初耳だったフィーネは、イオン様とアニスを交互に見る。シンクの件があるため、第五のことは多少他より注意を払っているつもりであったが、よもやそんな感じになっているとは全く知らなかった。

「そうそう、『大詠師派』『導師派』ってほど表立って対立してるカンジじゃないみたいだけど、なんてゆーの? 『師団長派』、『副師団長派』みたいな?」
「え! ち、ちなみにそれは、一体何で揉めてるの……?」

 シンクも少しずつ周囲と仲良くやれているのだと思っていたのに、いつのまにかそんな派閥が出来上がっているなんて。
 厄介な事になってなきゃいいけど……と不安を抱きつつ、フィーネはアニスの話を促したが、さすがのアニスでも詳しいことまでは知らないようだった。

「さぁ、なんだろうね。細かいことは知らないけどさ、第五の師団長って昔ながらの熱血タイプじゃん? だからイマドキの若者にはちょっとついてけないってゆーか……世代の違い? みたいな」
「確か、新しい副師団長は、僕たちとそう歳の変わらない方なんですよね」
「そうです。私の一個上だって聞いたから、イオン様と同い年ですね」

 アニスの何気ない言葉に、フィーネはまた内心どきりとする。これまでの話的に、イオン様はシンクの存在を知らないし、見たこともないようだった。一応、関係としてはある意味兄弟とも言えなくない存在だが、知ったとしてもお互い苦しいだけのような気もする。
 たとえ預言スコアの被害者という意味では同じでも、選ばれた側と選ばれなかった側ではやっぱり同じじゃない。そのことはフィーネ自身がよく知っている痛みだった。

「……」
「あれ、フィーネどうしたの? なんか急にしょんぼりしちゃって」
「ううん、なんでもないよ。なんか皆いろいろ大変そうだなあって思っただけ」
「まあねぇ、特務はそーゆーのないの?」
「うちはそもそも人数少ないし、アッシュ師団長も怖そうに見えて案外いい人だから」
「フィーネってば全部それじゃん……」

 アニスは思い切り呆れたような表情になったが、実際フィーネは誰のことも特に嫌いだと思ったことがない。自分が口下手ゆえに多少の苦手はあれど、抱くとすれば嫌いより、怖いだ。誰かを強く憎む度胸や根性もない。

(でも、シンクはそういう性格じゃない……。私がこうしてイオン様と会ってること、シンクに言っておかないと駄目なんじゃ……)

 言えばたぶん、シンクは嫌な気持ちになるだろう。でも言わないでおいたら、知った時にもっと傷つけるかもしれない。今更のように、シンクとイオン様が教団内で出会う可能性に思い至って、フィーネはハッとした。そして同時に、自分の狡さについても自覚することになった。

(言うのは、あとあとシンクを傷つけないようにじゃない。これもやっぱり私が、シンクに嫌われたくないからだ……)

 ただでさえ、人に嫌われるのはつらい。幼馴染のイオンやアリエッタ、友達のアニスやイオン様に嫌われるのはもっとつらい。でも、シンクに憎まれるようなことがあったら、つらいを超えて自分はとても耐えられないだろう、とフィーネは思った。どうしてシンクにだけそう思うのかはわからなかったが、それがきっと『友達』と『同じ痛みを共有している同志』との違いなのだろう。

「どんな人にでもいいところはあるものですよ。フィーネはきっと、それを見つけるのが上手いんでしょう」

 一人で勝手に落ち込んでしまったフィーネの代わりに、イオン様が慰めの言葉をかけてくれる。フィーネは今更思い出したように笑顔を作った。

「あとは……もっと色んな言葉で言えるように頑張りますね」
「確かに全部『いい人』じゃわかりにくいもんね」
「うん」

 たくさん本を読めば、たくさん言葉を学べるのかもしれない。人と関わることが増えれば、様々な感情や考え方に触れられるのかもしれない。
 この前、アッシュ師団長に励まされたことも思い出して、フィーネはなんとか前向きに考えようとする。狡くて臆病な自分は、今はちょっとだけ見ないふりをした。

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mokuji