アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


68.派閥(69/151)

 新緑を思わせる、明るく柔らかな微笑み。

「お久しぶりです、フィーネ」

 彼の言った通り、ずいぶんと久しぶりに見るその笑顔に、フィーネもつられるようにしてゆるく口角をあげた。

「お久しぶりです、イオン様。お忙しいところお邪魔してすみません」

 イオンのときも滅多なことでは足を運ばなかったため、改まって導師の部屋に通されるとその豪華さにちょっとそわそわしてしまう。決して華美なわけではないのだけれど、宿舎のいわゆる生活の為の部屋とは違って、ここにはゆっくりとくつろげるような雰囲気があるのだ。

「いえ、こちらこそ急にお呼び立てしてしまって……でも、フィーネが来てくださってとても嬉しいです」

 真正面から歓迎の意を示され、フィーネはちょっぴり言葉に詰まる。部屋の雰囲気が良いのは家具や調度品のおかげではなく、部屋の主の性格が反映されているのかもしれない。

「わ、私もイオン様に呼んでいただいて嬉しいです」
「あーもう、二人ともいつまでやってんですかぁ」

 ごと、とわざと大きめの音を立てて、目の前に紅茶の入ったカップが置かれる。自分も席についたアニスは思い切り頬杖をついて、不満げに唇を尖らせた。

「せっかくのお休みなんですから、そーゆー堅苦しいのはナシ! そうじゃなきゃ、今すぐにでもベッドで安静にしてもらいますからね」
「ははは……」
「安静にって、まさかイオン様も体調が優れないの……?」

 のほほんとした気持ちが一転、本当の幼馴染のことがあるだけに、フィーネの心臓はどきりと嫌な音を立てる。彼とは泣いて和解した日以来、きっともう会えないのだとは覚悟を決めていたが、もしかしてこちらのイオン様も何か深刻な病を抱えているのだろうか。
 すがるような思いで顔を向ければ、イオン様は慌てたように、首を振った。

「いえ、特別悪いというわけではないんです。ただ、僕に体力がないために疲れやすいだけで」
「そう、ですか……」
「体力だけの話じゃないです。最近は派閥だなんだのに巻き込まれて、身体だけじゃなく気も休まらないんですから」

 ひとまず病気ではないと聞いて安心したが、派閥というのもなかなか剣呑な話だ。しかしながらあまり教団内の政治に明るくないフィーネでも、昨今イオン様をとりまく環境が厄介そうなことには気がついている。

「『保守派』と『改革派』、でしたっけ」

 正直なところ、預言スコアを持たないフィーネにはそのどちらも実感がわかなかったけれど、今、教団内で預言スコアに対する考え方はきっぱりと二分されている。

「『大詠師派』と『導師派』、とも言われてるよ」

 アニスはひどく嫌そうに、フィーネの発言を引き取った。

「ほんとくだらない……うちのイオン様を巻き込まないでほしいよ。でもだからって、『大詠師派』がこれ以上幅を利かせるのも許せないって気持ちもわかるし……」
「イオン様、そんなに表立って戦ってるんですか?」
「いえ、戦うわけではありませんが……様々な考え方があっていいのだと思いますよ。誰か一人が正しいということはないですし、僕はただ、そういう『大詠師派』ではない人たちの受け皿になれればと……」
「言っときますけど、ローレライ教団で一番偉いのはイオン様なんですからね!」

 以前食堂で話したときと同じく、アニスは可愛らしい怒りを募らせている。そしてその勢いのまま、フィーネに向かって、ねぇ、と同意を求めた。

「フィーネも当然、『イオン様』派だよね!」
「えっと、モース様かイオン様なら、イオン様のほうが好きだけど」
「ありがとう。でも、こういうのは好き嫌いで決めるものではなくて……」

 言いながら、イオン様は少し困ったように眉を下げる。だがそこで不意に、はっとしたような表情になった。

「そういえば、フィーネは以前、僕に預言スコアのことをどう思うか尋ねましたよね」
「え、そうなの?」
「あ、いや、あれは……」

 あれは確か、アニスと一日だけ役職を交代して、初めてイオン様と二人きりで話した日。あのときはイオン様がイオンやシンクとあまりに違って見えたから、つい無茶なことを言って食い下がってしまったのだった。しかし思わず聞いてしまった『預言スコアが無ければいいと思ったことはないか』という問いは、今から考えると迂闊だったと言わざるを得ない。
 フィーネは乾いた口内を湿らせるように、淹れてもらった紅茶に口をつけた。

「ごめんなさい。その……深い意味はなかったんです。イオン様の考えを聞いてみたかっただけで……」
「ええ、わかっていますよ。ただ、僕も未だに、僕としての答えを見つけきれたわけではないなと思いまして」
「え? イオン様は『預言スコアは数ある未来の選択肢のひとつ』だって、そう思っているんじゃないんですか?」
「ええ、まぁ……『改革派』はそうですね。僕も、そのほうが健全で前向きな考え方だと思います」

 『改革派』は、とどこか他人事のような返事をして、イオン様は曖昧に笑った。きっと彼は優しさと責任感から『改革派』を背負う形になっただけで、フィーネと同じように自分事として実感を持っているわけではないのだろう。元々この世界に存在する予定のなかったレプリカには、預言スコアが無いのだと総長が言っていた。それを聞いたとき、フィーネは自身で歪んでいると自覚しながらも、レプリカという存在に親しみを抱いてしまった。

(そういえば、どうして私には預言スコアが無いんだろう……)

 レプリカが預言スコアを持たないのは、きっとこの世界の摂理を超えて人工的に造られたから。けれどもフィーネはレプリカではない、はずだ。レプリカとしてわざわざ造ったものならば、どちらが預言スコアの子であるか大騒ぎせずともわかるだろう。

(世界に弾かれたとか、選ばれなかったとか……そう思うだけで苦しいから、無いものは無いんだって今までちゃんと考えたこともなかった。私、ずっと考えるのを避けてきたんだ……)

 そうやって気づくと、いかに自分が思考停止していたかよくわかる。とはいえ、いざ考えようと思っても、フィーネの乏しい知識では納得のいく答えが見つけられるかどうかもわからなかった。誰かに相談しようにも、預言スコアが無いなんてことを話せる相手はそれこそ限られている。

「ねぇってば、フィーネ、聞いてる? フィーネ〜!」

 そのとき、アニスの高い声が耳を突いて、フィーネは急に現実に引き戻された。


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