66.過ぎたる望み(67/151)
「甘いもの、嫌いだった?」 「……好きでも嫌いでもないよ」 「一応、甘いものが駄目だったとき用に、干し肉も用意してるんだけど」 「どういうセンスしてるんだよ……」 「だって、干し肉なら外の任務にも持って行けるし」
確かに合理的ではあるが、少なくともプレゼントにそれはない。だいたいどっちに転んでも食べ物だというのがこれまた彼女の残念さを表している。 別に今更フィーネが残念だろうと、シンクは不快になりはしないけれど。
「お祝いに干し肉って、関わるうちに頭の中までライガになったんじゃないの」
それでもいつもの癖でそんな言い方をすれば、フィーネは眉を下げてごめん、と謝った。
「私も最初は形の残るものにしようと考えたんだけど、響律符は前にあげちゃったし。それに……よく考えたら私、シンクが何を好きなのか、何が欲しいのかとか全然知らなくて」 「そんなの謝ってもらうことじゃないね。謝りぐせ、まだ直ってなかったワケ?」 「う……じゃあ、シンク風に考えると……普段から何が好きか言っておかないシンクのほうが悪いってことでいい?」 「い、いいわけないだろ。人を他責思考みたいに言わないでくれる?」
少しフォローすればすぐ図に乗る。いや、おそらく本人は大真面目に言っているだけで、これっぽっちも悪気はないのだろうが。 しかしフィーネが時々挑発まがいの失礼な発言をするせいで、彼女から自分が一体どんなふうに見えているのかぎくりとすることがある。もちろん好かれるような振る舞いをしていない自覚はあるが、それでも露骨な評価を突きつけられるのは心臓に悪かった。
「別に欲しいものもないし、何が好きかなんて……」
シンクは言いながら、似たようなことをアッラルガンドにも聞かれたな、と思いだした。そう言えばあっちのお人好しも食べ物の話をしていたっけ。あのとき答えたのは……というところまで遡って、シンクは一人で眉間の皺を深くする。あのときは相手がアッラルガンドだからこそ言えたが、フィーネに向かって言えるわけがなかった。
「……ボクだって、知らないよ。これと言って好きなものもない。むしろ、嫌いなものばっかりだ」 「それなら、好きでも嫌いでもないケーキは当たりのほうだね。よかった」 「アンタって……よくわからないところで楽観的だからムカつく」 「?」 「いや、いい……。それよりこれ、変な魔物は入ってないだろうな?」
一応、取り出してみたカップケーキは、見た目には何の変哲もないものだ。飾り気こそないものの、こんがりと綺麗な焼き目がついている。 フィーネは疑われた形になるにも関わらず、なぜか自信たっぷりに笑顔を浮かべた。
「安心して、それはアニスと一緒に作ったやつだから」 「ふーん、あの導師守護役とまだ仲良くしてるんだ」 「うん。私、普通の料理はできるんだけど、なぜかお菓子作りだけは毎回失敗するから。アニスに手伝ってってお願いしたの」
(それはたぶん、大雑把だからだ……)
フィーネの奇跡的なまでの適当さは、流石に菓子作りとは相性が悪いらしい。内心で呆れながらも、ケーキの安全を確認できたシンクは、ようやく一つ口に運んでみることにした。
「美味しい?」 「……普通。可もなく不可もなくって感じだね」 「焼き目もいい感じでしょう。オーブンはね、ディスト様が改良してくれたんだよ」 「っ、ごほっ、様!?」
驚いた拍子にケーキの欠片が気管に入りかけて、シンクは盛大にむせる。ケーキの生地に口の中の水分を持って行かれたのも災いした。
「大丈夫!?」 「っ、問題ない、けど、」 「けど?」 「アンタ今、なんて言った?」
息を整えて、呑み込み直して。 シンクは目の端にうっすらと生理的な涙を浮かべながら、フィーネを問い詰める。
「え……だから、オーブンはディスト様が、」 「なんなのその呼び方、鳥肌が立つんだけど。ていうかまさか、アレとも仲良くしてるワケ?」
ちょっと話をしないうちに。 ちょっと離れているうちに。
フィーネはソファーをライガにあげてしまうし、見たこともないドレスを着ていたし、おまけにディストとまで繋がりができているし。
「仲良く、かはわからないけど……普通に話せるようになったかな。個性的だけど、案外いい人だってわかったし」 「……」
シンクはフィーネの答えを聞いて、急速に機嫌を悪くした。ディストが鬱陶しいからではない。もちろん彼を嫌いな理由のひとつであることには違いはないが、ディストが自身の製造に関わっているからでもない。単純に、自分の知らないところでフィーネの世界が広がっているということが、どうにもこうにも受け入れがたかった。
「あぁ、そう。アンタも変わり者だもんね。変人同士、気が合うんだ?」 「……シンク、なんで急に怒ってるの?」 「別に怒ってなんかない」 「ディスト様のこと、そんな嫌いだったの? でもシンク、だいたいの人のこと嫌いだよね」 「っ、それはそうだよ」 「じゃあ、そんな特別怒らなくてもよくない?」 「だから、怒ってないって言ってるだろ」
今日は望んで喧嘩をしたいわけじゃない。この前みたいに、喧嘩をすることで状況を打開したいと思ったわけではない。 シンクはせめてこれ以上余計なことを言わないように口を噤んだ。フィーネも黙ってしまったから、部屋には気まずい沈黙が流れる。そうして、こんなつもりじゃなかった、とシンクが後悔したとき、
「……あのね、」
何かを考え込んでいたらしいフィーネが、ぽつりと言った。
「私それ、知ってるかも」 「……いきなり何の話?」 「私も最初、シンクが遠いところに行っちゃったみたいでイヤだったよ」 「っ、」
シンクは思わず息を呑んだ。それは酷く稚拙な表現で、ずいぶんと子供じみた感想だったけれども、かえってすとんと胸に落ちた。まさかこの感情をフィーネに言語化されるなんて思ってもみなかった。
「……そりゃ、叩き上げのアンタは面白くないだろうね。ボクがいきなり副師団長だなんてさ」
それでも認めたくない気持ちが勝って、シンクはわざと話をそらす。フィーネもまた自分と同じように思っていたのだとわかると、胸のもやもやはすうっと波のように引いて行った。
「いや、そういう意味じゃ、」 「残念だけど、ボクはアンタより先に出世してやるつもりだから。今から悔しがるアンタの顔が目に浮かぶよ」
見透かされたことが気恥ずかしくて。でも、やはりどこか嬉しくて。 誤魔化すように意地悪く笑えば、フィーネは少しほっとしたような顔になった。
「シンク、機嫌直った?」 「はぁ? 直ってない!」 「あはは、怒ってないんじゃなかったの」 「……」 舌打ちをするのも、認めたみたいで癪である。 フィーネもフィーネで、無理にシンクに認めさせようという気はないみたいだった。別に私はシンクに抜かされてもなんともないよ、なんて、そのまま当たり前のように会話を続ける。
「私はただ個室が欲しくて副師団長になっただけだし、偉くなったら書類仕事が増えるよね」 「……向上心のない奴。聞いて呆れるね」 「むしろシンクは何を目指してるの?」 「何って、そんなの……決まってるだろ」 「預言を滅ぼす?」
今この場には二人しかいないのに、フィーネは不意に声を落とした。いや、二人しかいないからこそ、それは密か事めいて聞こえた。
「……アンタが先に仲間だって言いだしたくせに、もう怖気づいたワケ?」 「ううん。でも、預言を滅ぼしたそのあとは?」 「……」
そんなこと、今まで考えたこともなかった。そもそも預言を滅ぼすという発想自体かなり無茶なものなのに、そんなずっとずっと先の、あるかもわからない未来のことなんて考える余裕もない。
(それにやっぱり、フィーネは知らないのか……?)
ヴァンの計画は、ただ第七音素を消し去って終わりではない。星の記憶に支配された人間を、丸ごと全部入れ替えるつもりなのだ。 シンクが戸惑い、どう答えたものか返事に窮していると、フィーネは少し躊躇いがちに口を開いた。
「預言が無くなったらさ、教団も神託の盾もなくなっちゃうでしょ? そしたらその、私たち行くとこないし……もし、よかったらの話だけど……シンクもアリエッタの故郷に一緒に行かない?」 「……」 「アリエッタが誘ってくれたんだ。イオンは行けないだろうけど……それでもせめて、皆で一緒にいたほうが寂しくないと思うから。アリエッタを一人にもしたくないし……」
(……そんな世界は、未来永劫やってこない。来るのは預言に縛られることのない、レプリカだけの世界だ)
ふざけた夢物語だ、と嗤ってやれればどんなによかっただろうか。これが他の奴だったなら、シンクはきっとそうしていたことだろう。 (でもひょっとして、預言を持たないフィーネなら……全部終わったその時、もしまだ自分の身体がもっていたら……)
「……まだ何も始まりもしないうちに、よくそんな話ができるね。腑抜けてるんじゃない?」
一瞬よぎった都合の良すぎる空想に、シンクは自己嫌悪をする。それでもギリギリのところで、彼女に現実を突きつけるのは踏みとどまった。ヴァンが彼女に告げていないのなら、フィーネは知らなくていいということだ。そして彼女のささやかな夢を打ち砕く役割を、好んでしたいとも思えない。
「いいじゃない、考えるくらい。それに、ある程度先のことも考えておかないと、終わった後に燃え尽きちゃうよ。そういう人をいっぱい見てきた」 「あっそ。じゃあお気楽なのはアンタに任せるよ。こっちはもっと他に考えなきゃいけないことがあるんでね」
シンクは唇を歪めて笑った。今度ばかりは気取られてたまるものか、見透かされてたまるものか、と必死だった。 ほんの一瞬でもこの復讐が終わった後にまだ、フィーネと一緒にいたいと思ってしまったなんて――。
劣化品にはきっと、過ぎたる望みなのだ。
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mokuji
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