アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


63.手本を真似よ(64/151)

 あんなもの、所詮はこちらを懐柔するためだけの甘言だってことはわかっている。身勝手に命を与えられたその瞬間から、向こうはいいだけ利用する気なのだということも肌身で感じている。
 それでも、期待されず、必要もされなかった存在にとって『希望』という言葉がどれほど魅力的なことか。


 騎士団本部に戻る道すがら、シンクは何度もヴァンの言葉を胸の内で反芻していた。嬉しかったからではない。感動したからでもない。それは美味しい料理をじっくり大切に味わうというより、そこにどんな食材が使われていて、どんな工夫が凝らされているのか、冷静に分析しようとする態度そのものであった。

(……なるほどね、ヴァンはこうやって人を引き込むのか)

 うまいやり方だ、とシンクは仮面の下で口元を歪める。これについては皮肉半分、賞賛半分というところだが、巧みな言葉に踊らされるのではなく、批評し学習することがシンクにできる唯一の仕返しだと思った。どのみち他に行く当てもない。預言スコアや世界に復讐する以外にやることもないのだ。
 ヴァンに従う以外にろくな選択肢がないのであれば、せいぜいこちらも利用させてもらおうではないか。

(どうせ、ヴァンに心から忠誠を誓っているのなんて、リグレットかアリエッタくらいのものだろうしね)

 この世界で絶対的とも言える、預言スコアに異を唱える者たちの集まりなのだ。皆それぞれ、複雑な事情や思惑があって当たり前。
 リグレットにだって預言スコアを憎むきっかけはあったのかもしれないけれど、今の彼女は単純な憎しみだけでなく、ヴァンとヴァンの理想のために尽くしているように見える。アリエッタは被験者オリジナルのためというのも大きいが、そうでなくても人間社会に導いてくれたヴァンに対し、恩義を感じているようだ。

(フィーネは被験者オリジナルのため。ディストは恩師の……いや、ほとんど自分のため。アッシュは預言を憎んでるって言っても、入れ替わらなきゃそのまま死んでただけのことだし、ラルゴは……まぁ、憎しみって意味では、まだボクに近いのかな)

 建前上、互いの事情を知る必要はないことになっていたけれど、シンクはヴァンから賛同者の背景を教えられていた。てっきりそれはシンクを仲間に引き込み、憎しみが味方に向かないようにするための手口なのだと思っていたが、今日の話では彼はシンクのことをもっともっと利用する腹らしい。今の任務を遂行したあかつきには、ヴァンが主席総長と兼務している参謀総長の座につくことを打診された。ただのレプリカ風情に任せるには重いそれを、信頼の証だととるか、新たに着けられる首輪だととるかは全部シンク次第だ。

(……それにしても気の早い話だよ。まだ第五での仕事も片付けていないってのにさぁ)

 役割を与えられることを望んでいたはずなのに、いざ目の前に積み上げられると億劫な気もしてくるから不思議だ。忙しいのが嫌なわけではないけれど、組織の上役に着けばつくほど、人をうまく使う能力が必要とされる。これまでみたいに他人の弱味を見つけて、心を抉って、手当たり次第に敵を作ってはいられないということだ。神や魔王にでもならない限り、力や恐怖で他人を支配するには限界があるだろう。

(だとしたら……例の件の犯人の処遇は、ちょうどいい練習台になるかもしれないな)

 ただ単に罰を与えるのではなく、うまく懐柔できたなら。シンク自身は師団内に味方がいなくても平気だけれど、相手にシンクが味方であると思わせることができたなら――。
 

 自室に辿り着き、扉に手をかけたシンクはハッとする。鍵が開いているのだ。
 けれどもシンクは慌てることもなく、むしろ薄い笑みを浮かべた。

 思った通り、執務室の次はこちらか。お人好しの考えはさっぱり理解できないけれど、こういう奴らの考えることは手に取るようにわかってしまう。ただ一つ残念なのは、同じ発想を持っていても、彼らがシンクより頭の出来がよろしくないということだろうか。

「自分から罠にかかりにくるなんて、ほんとゴクロウサマ」

 扉を開くと、複数の視線が入り口のシンクに向けられたが、誰一人として身動き一つしなかった。いや、正確にはできなかったと言った方がいいだろう。シンクがあらかじめ部屋の床のそこかしこに仕掛けておいた譜陣が、犯人たちの足をがっちりとその場に固定してしまっている。
 シンクは素早く室内に視線を走らせると、五人か……と呟いた。ぴりっと緊張した空気が流れたものの、彼らに言い訳をしたり赦しを乞う様子はない。ただ、シンクが完全に部屋に入って後ろ手に扉を閉めると、明らかに怯えた気配が漂った。

「今更そんなに怖がらないでよ。何の覚悟もなしに、こんなことをしたわけじゃないでしょ」

 動けないのは足だけのはずで、口の自由はきくはずだ。相変わらずだんまりなのを見て取って、シンクは腕を組み、壁に背を預ける。譜陣を仕掛けた際には犯人たちにしっかりと落とし前をつけさせるつもりだったが、さてどうしたものか。

「……軍隊にいじめはつきものだけどさ、相手は選んだほうがいいんじゃない? 一応、ボクはアンタたちの上官にあたるわけで、規律違反どころか下手をすれば抗命罪にだってなりうるんだよ。そのことわかってるの?」

 平たく言えば、上官に従わないことそれ自体が罪だということだ。最も罪が重いのは敵前での反抗とはいえ、徒党を組んでの反抗は平時でもやはり厳罰にあたる。
 シンクは順々に部下たちの顔を見回しながら、ヴァンが自分にした振る舞いを頭の中でおさらいした。「だけど、そうだね……」そうして彼らの反応を確かめるように、ゆっくりと口を開いた。

「そんなリスクを冒すほど、アンタたちはボクに腹を立てていたってワケだ。だったらこの際……不満に思ってること全部吐き出しなよ。今なら何を言っても、侵入の罪だけにまけておいてあげるからさぁ」
「……」

 他に不満を抱えている仲間の名を挙げろといわれるのではなく、不満そのものを聞こうとするーー。
 まさか、シンクがそんな態度をとるとは思ってもみなかったのだろう。兵たちは互いに顔を見合わせ、警戒の色を浮かべる。それでも複数人いることでかえって口火を切る勇気が出ないようだったので、シンクは追い打ちをかけるようにせせら笑った。
 残念ながら、シンクはヴァンほど優しい言葉を吐けない。吐いてやる気もない。

「そうだね、言った奴から譜陣を解除してやるよ。ま、そこで一生突っ立ってたいならお好きにドウゾ」

 こっちは別段急いでいない。最悪、寝るときは別の部屋か、野営をしたって構わないのだ。仮面こそ外しはしないもののグローブを脱ぎ、邪魔な兵たちを避けるようにしてシンクはベッドに腰を下ろす。
 読みかけだった本を手に取れば、彼らの警戒が困惑に変わるのが伝わってきた。けれどもシンクは、次に言葉を発するのは絶対に向こうだと決めていた。それまでいくらかかろうと待つ。罵倒も嘲笑もしないで、ただ彼らが話すのを待つ。



「……副師団長、」

 やがて兵の一人が意を決したように呼びかけてきたのは、それから十分も経たないうちだった。

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