アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


62.生かさず殺さず(63/151)

「……アンタは、ボクを恵まれているって言う。確かに教育を受けさせてもらったし、足りない第七音素セブンスフォニムの素養を補うために譜陣だって描いてもらった。衣食住にだって不自由はしていないし、便利な仮面だって貰ったさ。だけど……だけどさ、そうやってボクがアンタのいう『恵まれている』を押し付けられてるのは、全部アンタたちがボクを造ったからじゃないか。勝手に造って、それで感謝しろだなんて、自作自演もいいとこだ」

 シンクの口調は相手を激しく責め立てるようなものでこそなかったが、訥々と語られたそれには確かに非難するような響きがこもっている。

(ここまで一端いっぱしの口を利くようになるとは……)

 ヴァンは内心で感嘆した。同じ子供じみた振る舞いにしたって、蝶よ花よと過保護に育てられて、いまだに幼い我儘を言うルークとは違う。従順といえば聞こえは良いが、自分自身の意見を持たず、大人に従うだけの七番目とも違う。
 同年代のフィーネや被験者オリジナルと、生身の心でぶつかったことが、ぶつからざるをえなかったことが、逆にシンクの精神的な成長に繋がったのだろうか。

「……そうだな」

 ヴァンは少し考えると、ゆっくりと諭すように語った。

「お前の言う通りだ、シンク。お前を恵まれているなどと断じたことは詫びよう」
「……」
「だが、やはりお前が真に怒りをぶつけるべきは預言スコアなのだ。預言スコアがあって、預言スコアに支配された愚かな者たちがいたからこそ、お前のような存在が生まれたのだ」

 それはもっと以前、フィーネにシンクを預ける前にも説明したことだった。ヴァンが消滅ホドの住人であったことを打ち明け、預言スコアに対する憎しみを語り、世界に対する復讐を持ち掛ければ、シンクは魅入られたようにじっと耳を傾けていたものだ。
 けれども今のシンクは、決して黙ってはいなかった。

「……預言スコアのことはもちろん憎いさ。だからアンタの計画に乗ることにしたんだ。でも、それと同じくらい……ボクはボクを造った奴らのことも憎い。こんな愚かな生を与えられたこと自体、憎くて憎くてたまらないんだよ」
「私を憎むのも、お前の自由だ」
「……ハ、それもそうだね」

 シンクは腕を組んだまま、小さく顎を持ち上げる。

「じゃあありがたく自由を満喫させてもらうよ。アンタたちがせっかく苦労してボクを仕込んだって、ボクが死ぬのも自由なんだからさぁ」

(こいつ……)

 ヴァンは思わず、心の中で唸った。レプリカが自死を選ぶ――造られた彼らが、それほどまでに高度に自己決定できるかもしれないというのはとても興味深い話だ。それはそれで自害回避のプログラムを検討する必要が出てくるものの、ルークからは知りえなかったレプリカの新しい真実に、ヴァンは酷く満足していた。今更ながらシンクのことを、火山から拾い上げてよかったとも思った。
 しかし、

「ほう……随分と思い上がったものだな。お前はお前程度の死で、本当に復讐を果たせると思うのか?」

 自我を獲得し始めたシンクを、ただつけあがらせるわけにはいかない。シンクがこちらを恨むのは勝手だが、そのせいで下手に計画に支障をきたしても困る。生かさず、殺さずが鉄則だった。

「死んで復讐が果たせるのなら、今すぐにでもそうすればいい。お前の代わりはいくらでもいる」
「……代替品にもなれなかったボクの、さらにその代替品か……。皮肉もここに極まれり、だね」
「そもそも、まずはお前を苦労して仕込んだのが誰なのか、よく考えることだな」
「……」

 ひとまず、自害回避のための誘導はこれで十分だろう。レプリカが人に対して『情』を抱くことは、ルークの例でもわかっている。シンクにはまだ利用価値があるのに、そう簡単に手放してたまるものか。
 最後の駄目押しとして、ヴァンはまるで大切な秘密を打ち明けるかのように声を潜めた。

「シンク、誤解があるといけないから改めて言っておくが……計画の最後には人類こそが要らないのだ。当然、私自身のレプリカも造る。その意味で、私はレプリカこそ、預言スコアのなくなった世界の『希望』だと思っているのだ」

 その考え自体は嘘ではなかった。預言スコアを葬り去ったとしても、ヴァンにとってこの世界の人間は預言スコアに操られたただの人形と変わりない。かつてホドを見殺しにしたほど自らの意思を持たぬ彼らが、預言スコアだけを滅ぼしたところですぐに『人間』になれるはずがないとも思っていた。

 だから同じ意思を持たぬ『人形』なのであれば、預言スコアの存在を知る今の愚かな存在たちよりも、シンクのようにいくらでも成長し、未来のある新しい『人形』に賭けたほうがよほどいい。新世界を作るに伴って、そこに住まう『人形』たちも生まれ変わった方がいいと思っているのだ。それは自分自身も、最愛の妹すらも含めて。ディストが恩師を『蘇らせよう』としているのと同じように、ヴァンにとってもレプリカは新たな生――生まれ変わりという感覚だった。実際、シンクはよくできている。性格で言えば、あの被験者オリジナルに一番よく似ていると思う。
 ルークの頃には刷り込みの技術は無かった。七番目のイオンはわざと従順になるようにしつけた。だが、抜き出した情報を元に造っているのだ。自然な形で成長すれば、レプリカは極めて被験者オリジナルに近づいていくのではないだろうか。

「『希望』だって……?」

 その口調こそ白けたふうではあったが、口の減らないシンクがそれ以上嘲ることをしなかったのは、どうしても抗いがたい魅力がヴァンの言葉にあったからだろう。
 ヴァンは鷹揚に頷いて見せる。
 
「そうだ。私は復讐のその先の、『希望』をもお前たちに見出しているのだ」

 生かさず殺さず、だ。


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