アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


61.傾聴せよ(62/151)

 ヴァンにとってのレプリカは、預言スコア中毒になってしまったこの世界の人類に対する劇薬だった。いや、たとえその効き目こそ苛烈なものだとしても、実質的には唯一の特効薬と言ってもいいだろう。
 ユリアは――ヴァンの祖先は約二千年もの時をかけて、人類をすっかり傀儡にしてしまった。たとえ最初は些細な内容でも、ひとつ預言スコアが当たればその次も信じたくなる。まるで信じられないような出来事でも、当たるという結果が積み重なれば信じぬ者はいなくなる。預言スコアは麻薬のように少しずつ、その依存性を増しながら人々に浸透していった。そして人類からすっかり意思を奪って、あのホドの悲劇を見過ごさせたのだ。


(導師のレプリカは手間をかけただけあって、どれも優秀だな……)

 手間をかけたし、選抜もした。ルークのときには間に合わなかった刷り込みという新しい技術も試した。その甲斐あってか、素体の優秀さがあってか、七番目もシンクも今のところ大きな問題を起こしていない。それでもこうして面談という形でシンクを呼び出したのは、一重にレプリカという存在が真に劇薬足りえるのかを、この目で見極めるためでもあった。

「シンク、第五での生活は順調か?」

 執務室でも隠し部屋でもなく、ダアトの礼拝堂に呼び出されたことで、明らかにシンクは出方をはかりかねているようだった。もちろん、礼拝堂と言っても今日は重要な儀式があるとして、一般人の立ち入りは禁止されている。中はギャラリーという形で二階に分かれた造りになっていて、ヴァンとシンクはその回廊から下の祭壇の様子を見下ろしていた。

「……話ってそのこと? だったら何も、こんなところでしなくても良かったんじゃないの」

 仮面でその大半を覆われているために、シンクの表情を窺い知ることはできない。だが、彼の緑のまなざしが、目下の少年に痛いほど注がれていることはまず間違いないだろう。
 礼拝堂では導師イオンが――七番目のレプリカが、大人たちに言われるまま預言スコアの読み上げを行っている最中だった。

「そう言えばお前はまだ、見たことが無かったと思ってな。あれが代わりの導師だ。よく顔を覚えて、決して接触しないようにしろ」
「覚えてって……同じ顔じゃないか。服だって被験者アイツとおんなじだ」

 シンクは小馬鹿にしたように鼻で笑う。それから、七番目の話はしたくないとばかりに、ヴァンの最初の質問に答えた。

「心配しなくても、怪しまれるようなヘマはしてない。あのお人好しの師団長は、アンタがそこまで警戒するほどの男じゃないよ。放っておいても向こうのほうから近づいてきて、むしろ鬱陶しいくらいさ」
「そうか。仕事についてはどうだ? 訓練だけしていた頃と違って、急に負担も増えただろう。あの男はどうにも真面目過ぎて、余計な仕事を抱え込むからな」
「別にこれくらいどうってことないよ。……ていうか、なに? 本当に面談のつもりなの?」

 怪訝さをこれでもかというほど声に滲ませて、シンクは腕を組んだ。

「面談だとしたら、おかしいのか? 私は騎士団の主席総長で、お前の上司にあたる。配属されたばかりの新人の様子を伺って何が悪い」
「……別に悪くはないよ。七番目の姿を見せることで、アンタがボクを甚振ろうって気じゃないならね」
「フ、お前はあれを見てもまだ羨ましいのか?」

 今度はヴァンが鼻で笑う番だった。何も惑星預言プラネットスコアを読ませようというわけでもないのに、今日の客はわざわざ高い対価を払って導師を指名したらしい。しかも対価とは別に金だけの話ではなかった。より正確な預言スコアを得るために、客は進んでモースの後ろ盾となり権力を与える。そして預言スコア信者の力はさらに強まり、その分だけより一層世の中に預言スコアが広められる。
 ヴァンは眉一つ動かさないで、愚かな傀儡たちを見下ろしていた。死んだように生きている彼らの為に、もはや自分が表情を歪めることすら馬鹿馬鹿しいと思っていた。

「さすがの私でも、あの生活はどうかと思うぞ。導師様などと祭り上げられても、所詮は分刻みの予定をこなし、決められたとおりに動く傀儡と変わりない。そのくせ敵も決して少なくはない。本人はあれほど温和に振舞っているにも関わらず、な」

 同じ一つの事柄を信じていても、ある程度人が集まれば争いというものは必ず発生する。預言スコアを絶対的なものとして受け入れる『保守派』と、預言スコアをよりよい未来のための判断材料として使う『改革派』。教団は今、その二つの派閥が水面下で熾烈な争いを繰り広げており、今はモースがけん引する『保守派』の力がかなり強まっている。そうした状況から、劣勢の『改革派』は今後より過激な行動に出ることも考えられ、ヴァンは『改革派』のトップとして、あの温和なレプリカを飾りにするのも一つの手ではないかと考えていた。

「そりゃ、確かにボクのほうがある意味自由かもしれないけど、」

 聡いシンクは、そのあたりの背景を薄っすらと感じ取ったのかもしれない。珍しく、一旦彼は己の身の自由を認めてみせた。そのあとに続く言葉は、相変わらず卑屈な内容だったけれども。

「でもそれだって、所詮はボクが役に立っている間だけの話だ。綺麗事はたくさんだよ」
「現状に不満があるのか?」
「無いわけがないだろ」

 素っ気ない、吐き捨てるような返事だ。確かにシンクは早い段階からそういう一面があったが、ヴァンは思わず興味を引かれて顔を上げる。

「素顔こそ隠さねばならぬが……名も得て、力も知識もつけて、お前は他の同胞たちよりよほど恵まれているだろう? 能力だって、生まれたときはともかくも、今はお前のほうが上かもしれん」

 階下ではちょうど、預言スコアを読み終えた七番目が脱力したように椅子に腰を下ろしたところだった。導師の選定は第七音素セブンスフォニムの素養の高さで行ったが、実際あれほど身体が弱いとどこまで使い物になるか怪しいところである。
 シンクもつらそうに息を整える七番目を見て、少し驚いたようだった。代替品の能力に一番幻想を抱いていたのは、モースでもヴァンでもなく、シンクだったのかもしれない。ただ、それでも彼はヴァンの言葉を一笑に付した。

「……おべんちゃらは結構だよ。一度は棄てたくせに、アンタの価値観を押し付けられるのはごめんだね」

(価値観、か……)

「ほう。それでは逆に、お前が何を考えているのか聞くとしよう。この機会に好きなだけ話してみるといい」
「……」

 もともと嫌味やあてつけを口にする程度には反抗的であったが、ここまであからさまなのは初めてだ。
 ヴァンがそうやって耳を傾けるとは思ってもみなかったのか、シンクは僅かにたじろいた気配を漂わせる。それでも長い長い沈黙の後、何か覚悟を決めたように一度唇をぎゅっと引き結んで、彼は口を開いた。

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