アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


56.恩人(57/151)

「あ、あの、ディスト師団長、もうちょっと声の大きさを落としていただけると……」
「なに、あなたでしたらディスト様で構いませんよ! 薔薇の、と常につけていただいても結構ですがね!」
「ええと、ディスト様、ですから……」
「あぁもう、ディストってばうるさい。周りの迷惑考えてよねっ」

 ズバッとかビシッとか、そういう擬音が聞こえそうなアニスの助けに、フィーネは心の中で感謝を捧げる。彼自身は悪い人ではなさそうなのだが、はっきり物を言えないフィーネからすると苦手なタイプだと言わざるを得ない。
 当然、アニスの言葉にディストはまたぷんぷん怒り出したのだが、アニスはとても慣れた様子だった。

「なんです、アニス! シンクといい、あなたといい、少しはフィーネ奏手の態度を見習ったらどうです!」
「あ〜はいはい、ごめんってば。で、シンク響手だっけ? あの子には何して嫌われたの?」
「キーッ、まったく! どうして私が悪い前提なんですか!? 私はただ、製作者として仮面の調子を聞いただけで――」
「えっ、あれ作ったの、ディスト様だったんですか?」

 突然の別れを告げるとともに、お披露目された派手な黄色の仮面。フィーネはてっきり総長あたりがシンクに与えたものだと思っていたが、予想外の出所に驚いてつい口を挟んでしまう。一方、目の前のディストはフィーネが興味を抱いたことに対し、いたくご満悦という様子だった。

「そうなんですよ! あれには特殊な譜業を凝らしていましてね。ま、あの程度、この天才の私にかかれば実に簡単な仕事だったのですが」
「へぇ〜、私のトクナガみたいに改造してあげたんだ。どうすごいの?」
「ハッハッハッ、驚いてはいけませんよ。なんとあの仮面! 内側からはっきりと周囲が見渡せるのです!」
「えっ、すごい」
「ええ? それだけ?」

 フィーネとアニスは同時に正反対のリアクションをし、思わず互いに顔を見合わせた。普段から仮面をしているフィーネとしてはすごいことだと思ったのだが、アニスはそんなに? と首を傾げている。

「なーにがそれだけですか! まったくアニスは全然わかっていませんねぇ!」
「だって、トクナガの改造に比べたら大したことないっていうかぁ。ディストのことだから、もっと光線ビームとか出るのかと」
「大きさを考えなさい、私の可愛いメカじゃないんですから!」
光線ビームの出るシンク……」

(なにそれ、強そう……ちょっと見てみたい……!)

 一人で想像してワクワクしていると、アニスと言い争っていたディストはふとフィーネの顔に視線を止める。その時点で、何を言われるのかはもうほとんど予想がついた。

「そういえば、あなたの仮面も改良してさしあげてもいいですよ」
「ええ! フィーネ、絶対やめておきなよ! 変な機能つけられるよ」
「つけませんよ、機能美に反します! 視界を良好にするだけで別に光線ビーム機能とかつけたりしませんから!」
「やっぱり光線ビームはだめですか……」
「えっ、そこ残念がるとこ……? フィーネってやっぱちょっとズレてない?」

 ちょっと引いた様子のアニスの困惑に、フィーネも困惑し返す。出ると出ないなら、出るに越したことないと思ったのだが、この感覚はおかしいことなのだろうか。
 
「まぁ、フィーネがいいならいいけど……」

 首を傾げて見せれば、アニスはそうぼやく。そしてふと食堂にかけられていた時計に視線をやり、あっ! と声を出して立ち上がった。

「私、そろそろイオン様をお迎えにあがらなきゃ! じゃあまた、面白い機能がついたら教えてね!」
「えっ!?」

 確かにシンクの件は聞きだしたので、アニスの目的は達成されたのかもしれないけれど。
 まだ話慣れていない相手と二人きりで取り残されることになって、フィーネは再び目を白黒させる。本当ならアニスが抜けたタイミングで解散するのが一番よかったのだろうが、ディストはまだまだ喋り足りないといった風にフィーネに話しかけてきたのだった。

「で、どうします? あなたのその仮面もこの私が改良して差し上げましょうか? 視界はばっちり良好ですよ! たとえこの先目が悪くなっても、度数調整も可能ですから!」
「そ、それはすごい……。でも、あの……申し訳ないのですが、見えすぎるのもそれはそれで怖い気もするので……」
「怖いですって? 別に人体を透過して骨や内臓が見えるってわけじゃありませんよ」
「いえ、そうではなくてその……人の表情とか」

 仮面はフィーネを覆い隠してくれるだけでなく、見たくないものを見ないようにするためにも都合がいい。戦闘時のことを思えば単純に死角が多くなるためデメリットだが、それについてはもう慣れてしまっている。代わりに聴覚や気配には敏感になっていて、おかげで今では特に不都合を感じることもない。
 断り文句としてはかなり妙な返事だったけれど、フィーネは正直に気持ちを話した。多少変な奴だと思われるくらいでないと、彼の勢いに押し負けるような気がしたからだ。

「なるほど、新生児の視力は0.01から0.02程度と聞いたことがありますが、とりわけ人の顔は早い段階で認識するとも言いますしね」

 だが、ディストという人物は、フィーネの遥か上を行く変人であるらしかった。

「……はい?」

 いきなり赤ん坊の話をされて、フィーネは理解できずに固まる。子供扱いされたのか。それにしても新生児は言い過ぎではないか。仮面をしていることで視界は悪くはなるけれど、さすがに視力まで悪いわけじゃない。
 フィーネがなんと返したものかわからずに黙り込んでいると、ディストは大袈裟な動きで腕を組み、顎に手をやった。

「生まれてすぐ、随分と険しい顔の大人たちに囲まれていましたからね。あなたは」
「っ!?」

 なんで、そのことを知っているのか。
 いや、正確にはフィーネ自身ですらも小さすぎて覚えてはいない記憶だ。捨てられたという結果から、あくまでそうであっただろうな、というくらいの話。それなのに素性調査で知りえた情報にしては、ディストはまるで見てきたことを話すかのような口ぶりだった。

「わ、私のことを知っているのですか……?」
「ええ、知っていますよ。私もマルクト出身ですが、教団へ来る以前、あなたのご実家には色々と研究の便宜を図っていただきましたからね」
「そんな繋がりが……」
「まぁそれ自体はお互い様な面もありましたが……あなたは個人的に感謝してくれてもいいのですよ。なんてったってあなたを教団に預けるように進言したのは、この私なのですから」
「!」

 それでは、彼はフィーネにとって、命の恩人みたいなものだ。あのとき、何もわからぬままに殺されなかったことが、フィーネにとって幸福だとするならの話だが。
 
「……」

 まるで、不意に冷たい手で心臓を撫でられたような気分だった。思わぬところから自分の過去の話が出てきて、フィーネは感謝どころか満足に呼吸すらできている実感がない。救いだったのは、ディストの発言が悪意によるものではなかったことと、彼が仮面の改良の件について自分の中で結論を出してくれたことだろうか。
 
「まああなたも不憫なひとです、仮面の件は見送りましょう」

 最後にあっさりとそう言われて、フィーネはぎこちなく頷くことしかできなかった。


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