アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


55.可愛い怒り(56/151)

「はわ〜、イオン様ってばほんとに天然でぽやぽやしてて、見てるこっちがモヤモヤするっていうか〜」

 各々トレーの上に食事を並べて席に着くと、開口一番アニスはそう言って深いため息をついた。昼の休憩はあるとはいえ、導師守護役フォンマスターガーディアンである彼女は毎日食堂でゆっくりできるわけではない。今日はイオン様が上層部と会食であり、別に警備がつくというのでたまたま居合わせたフィーネと一緒に昼をとることになったのだ。

「控え目で人を思いやる気持ちに溢れてるのは結構なことなんだけど〜」

 アニスはいかにも仕事の愚痴っぽく話していたが、結局はイオン様のこと案じているのがまるわかりである。聞かされているフィーネとしては可愛らしい不満にしか聞こえなかった。

「教団で一番偉いのはイオン様なのに、なんていうか、ねぇ?」
「イオン様の負担を減らすために、周囲も気遣ってくださってるんだと思うよ」
「まぁ……確かに、イオン様はあんまり丈夫な方ではないけど……」

 お互い言葉を濁したが、アニスが言いたいのは大詠師モースの専横が目に余るということなのだろう。事実、モースは最近預言スコアの読み上げに制限をかけるなどし始めており、導師であるイオン様を差し置いて我が物顔で振舞っている。ただの騎士団員でしかないフィーネの耳にすらその振る舞いは伝わってくるのだから、常にイオン様と一緒にいるアニスはもっと嫌な思いをしているに違いなかった。

「だいたい預言スコアの制限かけるにしたって、それならもっとお金とればいいのにって思っちゃう」
 
 が、ここで不意に話の風向きががらりと変わる。急な話の転換についていけなくなったフィーネは、仮面の下でぱちぱちと瞬きをした。

「え、お金?」
「そうだよ。別に預言スコアなんて知らなくたって生きてはいけるんだし、信仰心にかこつけないで商売としてきっちり売り買いすればいいのに」

――預言スコアなんて知らなくたって生きていける。

 まさか、アニスがそんなことを言うとは思ってもおらず、フィーネは勇気づけられる思いだった。が、流石に大声で話せる内容ではなく、アニスに向かって小さく首を振ってジェスチャーする。そもそも教団はあくまで営利団体ではないのだ。

「商売はちょっと……今の時点でも、預言スコアの内容は結構金額で左右されてるしね……」
「……うん、わかってる……ごめん。でも、寄付って形があると、預言スコアを読んでもらうとき以外でも私財を投げうっちゃう人もいるしさ。おまけに悪い奴がそういうのに便乗して、詐欺を働いたりもするし……」
「確かに教団の為にそんないい人たちが苦労するのは……なんていうか心苦しいね」
「でしょ!? そりゃ騙される方が悪いって考え方もあるんだけどさ……」

 アニスは何か、過去にそういう被害に合ったことがあるのだろうか。やけに感情のこもった様子で話す彼女に、尋ねてみてもいいものか迷ってしまう。だが、フィーネがうまく切り出せないでいるうちに、アニスの話はまた一周して戻ってきたようだった。

「でね、そう! イオン様見てると、いかにも騙されやすそうだからなーんか放っておけなくてぇ。フィーネもそう思わない?」
「え、まぁ、そうだね。ふんわりした雰囲気の人だもんね」

 『イオン』に対して騙されやすそう、などと思ったことは一度もないが、確かに『イオン様』は人を疑うことを知らなさそうだ。アニスの心配はわかる気がするなぁ、と頷いていれば、彼女は不意にじっとこちらを見る。

「……なんか、前から時々思ってたけど、フィーネってホントにイオン様と幼馴染なの?」
「え!?」
「だって幼馴染なのに、この前も読書が好きかどうか知らないなんて……」

 鋭いアニスの指摘に――いや、フィーネが杜撰すぎるのかもしれないが――思い切り狼狽してしまう。それでも黙り込むのは肯定になると考えて、フィーネはなんとか言い訳を捻り出そうとした。

「いや、その、幼馴染って言っても立場が違うから……。接点があったのはほんの小さいときの話なの……! イオン様はあの通り律儀な人だから幼馴染って言ってくれてるけど、世間一般でいえばそうじゃないのかも……」
「でも、筋肉馬鹿とは言うんだ」
「……たぶん私がよっぽどだったんじゃないかな? そ、そうだ! 本と言えば、この前借りた本、イオン様怒ってなかった?」

 話をそらしたいというのも本音だが、聞こうと思って確認し忘れていたのも本当。シンクがカースロットを解呪する際に、色々と書き込みしてしまった本のことだ。純粋なお詫びと、ダアト式譜術の痕跡を気取られるわけにはいかないということで、フィーネは同じものをケセドニアから取り寄せて弁償した。そして本来、直接会って謝るべきところだったのを、色々と都合が合わずにアニスに託していたのだった。

「あぁ、あれね。別に少々汚した程度で気にしなくていいのに、って感じだったよ」
「いやいや借り物だし。でもそっか、怒ってないなら安心した」
「イオン様が怒るところなんて想像つかないよ〜」
「確かにそうだね」

 フィーネが同意して笑えば、アニスも笑顔になってくれた。なんとか誤魔化せただろうか。フィーネは人の秘密をペラペラ喋る方ではないと自負しているものの、つい思慮が足りずにうっかり口を滑らせてしまうことがある。というか、こういう抜けたところがあるからこそ、シンクにも話しかけるなと言われてしまったのかもしれない。
 そう考えてフィーネが心の中で一人反省会をしていると、まさに今思い浮かべ通りの声と言葉が耳に飛び込んできた。

「だから……話しかけないでって言ったよね?」

 思わずびくりと反射的に背筋を伸ばした。けれど、どうやら今のはフィーネに向かって向けられた言葉ではないらしい。振り返ってみれば、最近食堂でも見かけるようになったシンクが、心底うんざりした様子で浮かぶ椅子に腰かける男に相対していた。

「わぁ〜、なになに? もしかしてトラブルのよ・か・ん〜?」
「……え、なんでアニスちょっと嬉しそうなの?」
「えへへ、バレたぁ? あの子でしょ、第五に新しく来たっていう。なんか相当癖のある性格だって聞いてるけど、ディスト頑張れ〜」

 そういえば、アニスはディストと仲がいいのだと前に話していた。そのわりになんとも面白がる様子なのが謎だったけれど、フィーネもフィーネで気になってもう一度振り返る。
 シンクのあの態度はいつも通りと言えばいつも通りで、正直まだ可愛いほうの怒り方なのだが、仮にも相手が師団長職であることを思うといかがなものなのだろうか。
 案の定、ぷんすこ! と煙が出そうな勢いで、ディストは大きな声を出した。

「まったくなんですその言い草は! 私は話しかけないなんて了承していませんよ!」
「こっちだって、アンタの無駄話に付き合うのを了承した覚えはないね。じゃ、ボクは仕事に戻るから」
「あっ、ちょっと! お待ちなさい!」

 けんもほろろ、とはまさにこんな感じを指すのだろう。見ていたフィーネは頭を抱えたくなったが、当のシンクは気にせずその場を去っていく。ある意味ちょっと、その気持ちの強さが羨ましい。

「ディスト〜! こっちこっち!」

 だが、フィーネがシンクに思いを馳せている間に、状況は思わぬ方へ進んでいく。面白がったアニスが手を振ったことで、ディストはこちらに気づき、そのまま滑らかに椅子に乗って移動してきたのだ。

「おやおや、アニスじゃありませんか。自らこの私に声をかけるなんて、素晴らしい心掛けですね」
「まぁ、普段はかけようとは思わないんだけどぉ、ちょっと今のアレ、話を聞きたいな〜って」
「ええ、ええ。構いませんよ」

 食堂の椅子を一つどかして、できたスペースにディストが収まる。いきなり喋ったことのない相手、それも第二師団長と同席することになり、フィーネは完全にパニックに陥っていた。
 一瞬、先ほどのシンクの態度を謝ろうかとも思ったが、表向きフィーネとシンクは無関係。ディストは事情を知っているかもしれないものの、アニスに変に勘繰られるのは避けたい。

「そして、誰かと思えば止水のフィーネではないですか」
「うぇっ!?」

 混乱しているうちに相手にばっちりと認識され、焦ったフィーネは変な声を出してしまった。
 なんたることだ。気持ち悪いやつと思われる前に、きちんと返事をしなくては。
 そしてそんな風に動揺したまま、二つ名をつけて呼ばれたのだからこちらも倣ったほうがいいのかもしれないと、勢いに任せてしまったのが良くなかった。

「えっと、は、はい! 薔薇のディスト様」
「……」
「……」

 それを聞き、ぴたりと時が止まった様に固まったディスト。
 彼は次の瞬間、弾けるように高らかに笑った。

「ハーッハッハッハッ! なんと! よくわかっている人じゃないですか! 気に入りましたよ!」
 
 その大声は食堂中に響き渡るほどで、フィーネはさらに冷や汗をかく。喜んでもらったのだからそう悲観することはないはずなのだが、あーあ、とアニスが呟いたことで、何とも言えない失態をやらかした気分になったのだった。


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