アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


54.好物(55/151)

 
 教団の業務に関わるどころか、地上の教会にすらろくに足を踏み入れたことのないシンクにしてみれば、神託の盾オラクル騎士団はただの軍隊と何ら変わりない。攻め落とすべき敵国や、教団を脅かそうとする国家こそないものの、いわゆる戦略目標というやつは預言スコアの遵守ということになるのだろう。

 教団が持つ第六譜石までの未来には、この先未曽有の繁栄が待っていることが記されていた。つまり、オールドラントが残した星の記憶通りに事を進めれば、そのまま記憶通りの最高な結末を迎えられるはずだというのが預言スコアを狂信する者の考え方であり、その信仰のもとでこれまでありとあらゆる武力衝突や災害、疫病が看過されてきたのだ。当然、そのような人命に関わる内容は教団内でもごく一握りの上層部しか知らないことであったが、騎士団の日々の活動はそうした来るべき災いを防がず、なるべく最小限の被害におさえるような形に誘導されていた。キムラスカとマルクトの両者がやりすぎてしまうことのないよう武力干渉するのも、ただ単に平和を愛する故ではなく、その二国が筋書き通りに事を進めるための大事な役者だからである。そうした内々の理由もあって、戦後には復興支援に精を出すのも教団の大事な仕事であった。



(さすがに、ケセドニア北部の復興にまだかかりそうだな……)

 北部戦はシンクが造られる前の出来事だが、この戦争に教団はキムラスカ側として参戦していたらしい。結果はキムラスカの敗北で、神託の盾オラクルの兵もほとんど壊滅に近いほど損耗したが、上は全部わかったうえで介入を決めているのだから、やはり狂気じみた話でしかない。今こうやってシンクが騎士団の仕事の一環として、復興支援のための物資運搬や人員配備の計画を練らされているのも馬鹿馬鹿しいとしか言いようが無かった。

「基本的には第六の報告通りに手配すればいいが、迷うような点があれば遠慮なく聞いてくれればいい」

 そういったアッラルガンドの机にも、遠征に行った第六師団からと思われる紙の束が山のように積まれている。執務室にはお互いしかいなかったが、明らかに二人でさばく量ではないように思われた。

「迷うって言うか、この報告……だいぶ杜撰じゃない? 復興支援の募金も集めているとはいえ、教団の資金だって無尽蔵じゃないんだけど」
「第六がどんぶり勘定なのはいつものことだからな。気風みたいなものだ」
「……」

 シンクはフィーネの作る料理を思い出して、なんだか妙に納得してしまう。だが私生活ならともかくも、仕事で大雑把な報告をあげるのは問題があるだろう。第六の副師団長の後任がどんな人物かは知らないが、アッラルガンドが気風とまで言うのなら、フィーネの時代もこんな感じの報告書を上げてきていたに違いない。シンクはぱらぱらと書類をめくって、やっぱりおかしいとため息をついた。

「だいたい、これらは本来第六の仕事じゃないか。遠征に行くにしたって、なんで兵站をやる人間を置いて行かないんだよ」

 預言スコアの関係で大きな軍事行動における情報収集や記録はモース直属の情報部隊が担当し、普段の諜報活動としては特務師団が請け負っているとはいえ、それ以外については他の正式な軍隊のように総務、兵站、作戦を請け負う専門部署があるわけではない。そのため、それらの実質的な運営は各師団にて行う形となっていて、今回も普通で言うなら第六内で片付けるべき事柄なのだ。ざっくり言えば、全員で前線に行く馬鹿がどこにいる、という話である。

「それも気風だろうな。第六は武闘派ぞろいだが、そのせいかみんな机仕事は嫌がるらしい。それに前の副師団長は若かったからな。子供に任すには少々荷が重いからカンタビレに手伝ってくれと頼まれて以来、うちが第六の兵站も任されている」
「その理屈ならボクに任せるのもおかしいだろ……」
「なんだ、子供扱いしてほしいのか?」

 にやり、とアッラルガンドの口元が吊り上がったのを見て、シンクは反対に口角を下げた。「別に。アンタの矛盾を指摘してやっただけだよ」要はカンタビレにうまく丸め込まれただけのお人好しのくせに、もっともらしいことであるかのような口ぶりに腹が立つ。

「まぁ、俺もやってくる後任が十代前半と聞いたときには全部一人でやるつもりだったんだがな。思いのほかシンクが事務仕事こっちの面でも頼れそうだったから任せることにした」
「……フン、せいぜい利用したいだけ利用すれば。第六のおもりは気に入らないけど、命令されればやってあげるよ」
「またお前はそういう言い方をする……」

 アッラルガンドは呆れたような顔をしたが、シンクからするとまた説教か、という気分である。突き放すような態度をとっても、嫌味を言っても、この男はシンクへの接し方を変えない。前任の副官のことを持ち出して煽った時ですら、怒るではなく傷ついたような顔をしただけだった。シンクとしては抉るつもりで言ったのだからそれでも構わないはずだったけれど、どうにもこうにもすっきりしない。
 また余計なもやもやを抱えるのはごめんだと、シンクは先手を打って説教を遮ろうとしたが、それよりも早くアッラルガンドは手を打った。

「よしわかった、一息休憩でもいれるか」
「はぁ? いきなりなんなの」
「食堂に行って、甘いものと珈琲でも出してもらおう」
「……休憩の中身を聞きたいわけじゃない。行きたいならアンタ一人で行けば」

 第五の運営に関わる業務は片付けたが、今日中に処理すべき仕事はまだまだ残っている。そもそも、今の話の流れでどうして休憩に行くことになったのかも理解できない。

「イライラしているときには甘いものとカフェインが効く」
「単純なアンタと一緒にしないでくれる?」
「いいから行くぞ、命令だ」
「……」
「命令されればいいんだろう」

 存外、人の言ったことを覚えていて揚げ足をとってくるタイプらしい。いかにも渋々といった態度で、シンクは椅子から立ち上がった。そうして二人揃って執務室を出ると、アッラルガンドはまた余計なお節介のために口を開いた。

「珈琲は飲めるか? 牛乳でも構わない。カルシウム不足もイライラの原因と聞いた」
「原因はアンタだってわかってるんだよ」
「そうか。甘いものはどうだ、好きか?」
「……好きでも嫌いでもない」
「シンクは何の食べ物が好きなんだ」
「はぁ、だから……なんなの、食べ物で懐柔しようってつもり?」

 結局子供扱いするつもりなのかと不快感をあらわにすれば、アッラルガンドは首を横に振った。

「懐柔なんて大袈裟な話じゃない。親睦を深めるためには、相手のことを知るに限ると思っただけだ」
「知るってねぇ……それにしたって食べ物を聞いたくらいで何も変わらないと思うけど」
「家族や趣味を持たない人間はいても、飯を食わない人間はいない」
「……」

 確かに、家族のことや趣味を聞かれてもシンクには答えられない。流石に長く在籍しているだけあって、騎士団には様々な事情の人間がいるということをアッラルガンドはよく理解しているのだろう。
 それはさておき、いかにも答えるまで諦めないという気配を感じて、シンクはげんなりとした。下手に長引かせるよりも、適当に返事をしたほうが消耗は少ないかもしれない。

「……シチュー」
「なるほど。お前はカレー派じゃなくて、シチュー派なのか」
「ただし、グリーンローパーが入っていないならね」
「?」

 この男には既に結構振り回されている。たまにはこちらが妙なことを言って困惑させてやるのも面白い。
 シンクはフンと鼻で笑うと、面倒な次の質問が来る前に、少し歩調を早めたのだった。

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