アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


53.常に考えている(54/151)

 身を翻し、勢いよく飛び掛かってくるライガをいなして、怪我をしないようにころりと地面に転がす。そんな同じ動作の繰り返しがどうにもツボにハマったようで、ライガ達は飽きもせずにフィーネにダイブしては、ころんころんと何匹も転がって楽しそうに尻尾を振っている。フィーネもフィーネで、何度ひっくり返しても立ち上がってくるライガ達が負けず嫌いのシンクに重なって見えて、ちょっぴり笑いを堪えながらその遊びに付き合っていた。シンクの場合は倒す度に苛立ちを募らせていたため、ライガのお遊びと比べるのは失礼かもしれないが、それでもなんとなく懐かしいと思ってしまう。
 すぐ傍で柔らかい笑顔のアリエッタが見守ってくれていることも、気分が明るくなる理由のひとつだった。

「フィーネ、楽しそう」
「うん、楽しいよ」

 アリエッタに言われて初めて自覚した『寂しさ』が、綺麗さっぱりなくなったわけではない。それでもフィーネは少しずつ、この新しい感情との付き合い方を掴みはじめていた。直接言葉を交わすことはなくても元気そうな姿を見れば安心するし、誰かがシンクの実力を褒めるのを聞けば、フィーネも自分のことのように嬉しい。

 しかも今日は珍しいことに、シンクが食堂にいるのを見かけた。ちょうどフィーネは特務師団の皆と一緒で、遠くからその姿を見ただけだったけれど、アッラルガンドと一緒に食事をするということはシンクもようやく第五に馴染み始めたということだろう。
 そのときも少し寂しさを感じたが、少なくとも自分でイヤだと感じる類のものではなかった。

「フィーネにたくさん遊んでもらったあとはね、この子たちも寂しがらずにぐっすり寝るから……すごく、助かってる」
「寝かしつけもアリエッタがやってるの?」
「……うん、この時期はね。アリエッタがママの代わり」

 ということは、アリエッタがこのライガ用の宿舎で寝泊まりしているということだろう。地べたで寝ることくらい慣れているのかもしれないが、どうせなら。
 いいことを思いついたフィーネは、彼女に向かってとある提案をした。

「私の部屋にあるソファー、ここに運ぼうか? アリエッタ、それで寝る?」
「でも……ここに置くと、みんなが爪たててぼろぼろにしちゃうかも……。いいの?」
「気にしなくて大丈夫だよ、別に返さなくてもいいし」
「でもあれ、イオン様のためにフィーネが買ったものでしょう?」
「ええと、その……イオンも今は忙しいみたいだし使ってないんだ」

 フィーネがそう言うとアリエッタは眉を寄せ、何かを堪えるみたいに唇を引き結んだ。

「そっか……そうだよね。イオン様ももう、フィーネの部屋に遊びに行ったりしてないんだね」

 彼女は表情を取り繕おうとしたようだったけれど、声が弾むのまでは隠し切れていなかった。どうやらアリエッタにとっては、寝やすい環境よりもその情報のほうが嬉しいことだったらしい。また知らないところで彼女を傷つけていたのかもしれないな、とフィーネはひっそり反省して、それから話をまとめにかかった。これ以上、イオンの話題をするわけにもいかない。

「よし、じゃあ早速ソファーを取りに行こう。アリエッタ、ちょっとこの子達に一旦止めるように言ってくれる?」
「わかった」

 アリエッタが指示を飛ばすと、先ほどまで大はしゃぎしていたライガ達は途端に大人しくなる。名残惜し気な目と残念そうに垂れた尻尾が可哀想で、フィーネはすぐに戻ってくるよ、と伝わるかわからないなりに声をかけた。

「運ぶの、手伝うって」
「ほんと? 助かるよ」

 確かにフィーネとアリエッタでは、体格的に運ぶのは一苦労だ。ライガが手伝ってくれるならそれに越したことはない。
 そういうわけで、遊んでいたうち一番大きいライガとアリエッタとフィーネの三人で、フィーネの部屋へと向かうことになった。フィーネがあれ? と内心焦りだしたのは、廊下ですれ違う人々が壁に背をつけるようにして避けるさまを見てからのことである。
 とうとう曲がり角で鉢合わせした兵士に大きな悲鳴をあげられたあと、フィーネは声を潜めてアリエッタに囁いた。

「あの、あんまり意識したことなかったんだけど、他の宿舎は魔物禁止なんだっけ……?」
「うーん……食堂は前にダメって……。やっぱり、大きい子は狭くなるから迷惑だったのかも……」
「アリエッタがついてるし、危ないことは何もないよね」
「うん」

 とはいえ、あまりにも大袈裟な反応をされるとこちらもなんとなく早足になる。廊下の角に来るたびに誰もいませんようにと念じながら曲がっていると、あるとき急にフィーネの視界いっぱいに黒衣が広がった。

「わ、すみません!」

 ぶつかりこそしなかったものの、それくらい近い距離だと相手の顔を見るのにほとんど真上を向かねばならない。二メートルを優に超える恰幅のいいその男性は、こちらを見下ろして眉をあげた。
 フィーネは咄嗟に怒られる、と思った。

「ラルゴ……!」

 だが、フィーネが再度謝るよりも早く、アリエッタのほうが先に彼の名を呼んだ。それは会えた嬉しさの滲む、親しみのこもった声音だった。

「アリエッタ、散歩中か?」
「フィーネの部屋にソファーを取りに行く、です。フィーネが、アリエッタにくれるって」
「それはよかったな」

 黒獅子ラルゴーー。
 第一の師団長を務める彼は、その二つ名に見合うような厳めしい雰囲気の武人だ。
 しかしながら目の前で繰り広げられた会話は想像以上に和やかなものであり、フィーネはちょっと呆気に取られてしまう。見た目からなんとなく怖い印象があり、フィーネはいつもカンタビレの陰に隠れていたため、彼がこんなふうにアリエッタに優しく話しかけるような人物だとは思ってもみなかった。
 
「ただ、その大きさのライガを連れ歩くのは控えたほうが良いな。少し騒ぎになっているぞ」
「ごめんなさい」
「まぁ、アリエッタが一緒ならば特に問題はないだろうが」

 そう言いながら顎髭を撫でたラルゴの視線が、自分に向いたのを察してフィーネは背筋を伸ばす。

「す、すみません……」

 またもやフィーネは条件反射のように謝った。シンクに謝りすぎだと散々指摘されたのに、癖になっているみたいでなかなか抜けない。アリエッタが懐いている様子からしてきっと見た目ほど怖い人ではないのだろうが、フィーネは仮面の下で思い切り目を泳がせていた。
 
「フィーネ奏手か。今は特務に移ったんだったな」
「はい、そうです」
「総長から話は聞いている。今後とも、アリエッタと仲良くしてやってくれ」
「え、えっと、はい」

 突然、総長の話を出されて混乱したが、よく考えればこの場にいる全員が計画の賛同者か。シンクの話では師団長はほぼこちら側の仲間だと聞いている。フィーネがぎこちなく頷くと、それがおかしかったのかアリエッタはくすくすと笑った。

「フィーネ。ラルゴはいい人、です。師団長になって困ってたアリエッタを、よく助けてくれた」
「別に悪い人と思ってるわけじゃ……」
「いや、怖がらせてすまない。この人相と体格じゃよくあることだ」
「そ、それを言うなら、私も仮面つけてて怪しいので!」
「自分で言うのかそれ……」

 彼は若干呆れたような顔になったが、少なくとも気分を害した様子はないようだ。フィーネが内心でほっとしていると、ラルゴはそのまま仮面と言えば、と少し声を落として話を続けた。

「シンクはフィーネ奏手が指導したのだと聞いた。大したものだな」
「!」

 ライガ騒ぎのせいで周囲には誰もいない。それでもフィーネはちょっとぎくりとして、う、とかあ、とかよくわからない音を発した。

「第五の大隊長どもを初日で倒したとか」
「それはその……彼の筋が良かったのと彼が頑張った結果かと」
「はは、随分と控えめだな。第五の奴らが弱すぎる、と言ってた本人とは対照的だ」
「シンクと話したのですか?」
「あぁ、少しだがな。フィーネの訓練に比べたら生ぬるいとも言っていた。それで指導したのが誰だかわかった」

(シンク、ちゃんと人と喋れてるんだ……)

 フィーネの人付き合いの下手さとシンクのそれはまた別方向なのだが、フィーネは勝手に感動していた。彼が自分とは違う師団に配属になると聞いて、フィーネが真っ先に心配したのは人間関係なのである。

「そうですか、安心しました。うまくやれてるのか心配だったから」

 思わず、本音がぽろりとこぼれると、ラルゴは怪訝な表情になった。

「本人からは何も聞いていなかったのか?」
「えっと、話しかけるなって言われてて……。たぶんその、色々秘密にしないといけないことが多いから仕方ないんですけど」
「それはまた……難儀な奴だな」
「まぁ……?」

 難儀という言葉を、フィーネは脳内の辞書で引いてみる。たぶん、面倒とかそういう意味だったと思う。確かにシンクは結構面倒なところがあるけれど、既にそれが知られているくらい他の人とも関わっているのだなと思うと、安心と同時にやっぱり少し寂しくもある。シンクだけがどんどん外の世界に行ってしまうような気がして、フィーネは無意識のうちに隣のライガを撫でていた。

「ガウ」
「え? それは違うんじゃないかな」
「アリエッタ、今のなんて?」
「えっとね、子離れしなくちゃって」
「……」

 人間たちの間に、微妙な沈黙が流れる。
 
「えっと、確かに気にはしてるけど……ほとんど歳は変わらないからちょっとショックかも……」

 生まれてからの年数はともかく、身体的にはそうだ。なんだかんだ事あるごとに思い出したり気にかけたりしているせいで、ライガには間違って伝わってしまっていたのかもしれない。
 しかしそれならどうしてこんなにシンクのことばかり考えているのかと言われると、うまい理由や妥当な関係性が見つからなかった。
 友人だからとか順当に上官だからとか。考えてみたけれど、過去にはどちらもシンク本人に否定されている。

「でも、え……そんなまさか……」
「親の感情とは違うだろうな」

 考え込んでうっかり自信を失くしたフィーネの代わりに、ラルゴが言い切った。

「フィーネ奏手のそれは、親の心配とはまた別物だ」
「そう、ですよね……!」
「あぁ、間違いない」

 彼はそう言って苦笑する。
 そしてなぜか突然に、ふっと寂しそうな顔をしたのだった。


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