アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


52.善人はお嫌い(53/151)

 目は時として、口よりも雄弁だという。
 たとえば昨夜の過ごし方について尋ねた際、相手が左上に視線を向けたのであれば単に記憶を辿っているのかもしれないが、もしも右上を見ていた場合、その人は嘘をついている可能性がある。感情的な部分で言えば、視線は軽蔑や緊張、関心もよく表すだろう。嫌いなものからは目をそらし、興味があるものは無意識のうちに目で追ってしまう。それが人間というもので、そんな人間を映し取って造ったレプリカも、どうやらそのあたりは同じ性質を持っているらしかった。


(嫌われてるって、ただの被害妄想だったんじゃないの)

 顔の向きは正面の昼食のほうを向いたまま、目の端にフィーネの姿を捉えてシンクは内心でひとりごちる。昼時の混雑する食堂では二つ向こうのテーブルの会話までは聞こえなかったけれど、どうやら今日の彼女は特務師団の面々と食事をとっているらしい。もちろん仮面はいつも通りつけたまま。しかしただ黙々と食べるのではなく、食事以外に口を動かして、話に頷き、時に笑いさえしてごく普通に他人と過ごしている。

 それを見てなんとなく騙されたような気分になったのは、シンクの身勝手だろうか。思えば一緒に暮らしていた頃は、フィーネが他人とどんな風に接しているのかまともにこの目で見たことがなかった。一応アリエッタやアニスという友人がいるのは聞いていたし、特務でも歓迎会を開きなおしてもらえる程度には仲良くなったのだろうと思っていたが、シンクに『預言スコアを滅ぼす仲間』だと言った彼女はもっと孤立していたのではなかったのか。得意な音素フォニムを教えてくれたのも、FOFでの連携を考える際にまず思い浮かぶのがお互いだからではなかったのだろうか。

 見れば見るほど面白くない気分になるのは分かりきっているのに、意識は皿の上に集中してくれない。元はと言えばシンクのほうからフィーネに話しかけるなと言ったのだが、それと彼女が他人と楽しそうにしていることとはまた別の話だ。
 シンクは眉間に皺を寄せながら、ほとんど義務的に料理を口に運んだ。そもそも強引に誘われでもしなければ、いつも通り食堂で過ごすつもりなどなかったのである。

「で、話ってなんなのさ」

 シンクは頬杖をつくと、目の前に座っている壮年の男を睨みつけた。仮面のおかげで直接視線がかち合わないとはいえ、声や態度からこちらが不機嫌なことはありありと伝わっているだろう。しかしながら行儀についてとやかく言われる筋合いはない。というのも、向こうから誘ってきたくせに当のアッラルガンドはちっとも喋らず、痺れを切らしたシンクが水を向けた頃にはお互い食べ終わっているような有様だった。

「仕事の話だっていうから、わざわざここに残ったんだけど」
「……仕事というか、お前はもう少し集団での行動に慣れたほうがいい。そう思ったから誘ったんだ」
「はぁ?」

 つまり、要件は無いということなのだろうか。重要な話ならこんな人の多い場所でするはずがないとは思っていたが、それにしてもとんだ肩透かしだ。

「大きなお世話だよ」

 シンクは呆れ、付き合っていられないとばかりに席を立とうとする。が、見ればちょうどフィーネたちが出るのとタイミングが被りそうだったため、浮かしかけた腰を下ろした。

「だいたい……集団って言ってもアンタと二人だし、別に会話するわけでもないし、こんなのただの相席と変わりないね」
「今のはなんだ?」
「うるさいな、別になんでもないよ。座り直しただけ」
 
 筋の通らないことを嫌う、という前評判のわりには、アッラルガンドは部下に偉そうな口をきかれても腹を立てる様子はなかった。厳めしいのは顔立ちくらいで、それだってむしろ精悍という誉め言葉が似あうくらいだろう。ただ、その代わりと言ってはなんだが、あまり気の利いた会話をするのは得意ではないようだった。

「誘っておいて、黙ってしまったのはすまなかったな。正直、話題に困ったんだ。歳も離れているし、お前はどうも普通の子供とは違うようだから」
「フン、逆に子供扱いされても迷惑だね」

 初々しい新入りを期待していたのなら、それこそお生憎様というやつだろう。シンクが鼻で笑ってやると、彼は肩を竦める。ついでにほんの少し、困ったように眉を寄せた。

「だが今日、他の部下が同席していないのはお前の日頃の態度が悪いせいだぞ。一応声はかけたが、副師団長がいるなら遠慮すると断られた」
「だろうね。嫌いな相手と食べたんじゃ食事が不味くなる。アンタもボクなんかと食べるより、第五の奴らと過ごしてたほうが楽しいんじゃないの」
「お前ももうその第五の人間だ」
「他の奴らはそう思ってないみたいだけどね」

 忠誠心は美徳だが、それはあくまで自分に向けられていればの話だ。将来的に第五を自由に動かしたいシンクにとっては、今のうちに使える者と使えない者を分別しておきたい。実際、積極的に仲良くしないまでも、シンクの実力を認め始めている者がいるのは肌で感じていた。反対に、どんなにシンクがきちんと職務を全うしようとも、感情論だけで受け入れない者がいるだろうことも理解している。
 先ほどから一向に取りつく島も与えない態度のシンクに、アッラルガンドは深いため息をついた。

「だから、少しは歩み寄れと言ってるんだ。お前は実力もあるし、他の仕事だって頑張っている。そのことは部下たちも認めているんだ。初めは一体どんな奴がくるもんかと思ったが、お前が来てくれて俺も正直助かったと思っている」
「なら、それで満足してくれるとありがたいんだけど。わかってるでしょ? ボクはここに仲良しごっこをしにきたわけじゃない」
「……お前が疑うようなことは何もない。それを知るためにも、もう少し俺たちと関わるべきだ」
「……」

 さすが潔白を証明するために、自ら話を大きくした男なだけはある。馬鹿正直で、真面目。話し合えば誰とでも分かり合えると思っている、おめでたい人間だ。
 シンクはなんとなく気分が滅入るのを感じて、ぼそりと呟いた。

「ボクと関わったところで、アンタたちに何もメリットはないよ」

 こんな性格の男なら、おそらく消滅預言ジャッジメントスコアのこと知ってもヴァンの側に着くことはないと思った。だったらどうせいつかは敵になる。敵になるなら、初めから嫌われていたほうがいい。
 それなのに何も知らないこの男は、お人好し特有の綺麗事を吐いた。

「メリットがあるとかないとかそういう話じゃないだろう。うちに来た以上、お前は俺の大事な部下だ」

 その押し付けがましい言葉に、なんのとなくフィーネっぽさを感じてしまったのがまた始末におえない。「あっそ」シンクは今度こそ、出口付近に彼女の姿がないのを確認して立ち上がる。

「でも、部下の代わりはいくらでもいるだろ」

 誰とでも仲良くやれるなら、誰でも大事になりうるはずだ。
 ほとんど八つ当たりに近い感情でシンクは言った。

「アンタの右腕だった前任も、きっとそう思ってるよ」

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