51.うまく笑えない(52/151)
「寂しい……? 私が?」
一瞬何を言われたのか、フィーネは理解できなかった。もちろん意味は分かるけれど、まさか自分の感じているイヤな気持ちの正体が寂しさだとは考えもしなかった。 半信半疑の思いで聞き返すと、アリエッタはこくりと頷く。そしてまさに、フィーネのもやもやの原因を言い当てるように言葉を続けた。
「あの子……前にフィーネが指導してるって言ってた子でしょう?」 「……」
アリエッタの言う『あの子』が誰を指しているかは、わざわざ確認するまでもない。彼女は一度フィーネを追いかけてきた森の中でシンクに会っている。 彼女も計画の賛同者であるため、シンクの出身に関する嘘がばれても問題はなかったが、フィーネはなかなかすぐに認めることができなかった。
「そ、だね……アリエッタには前に紹介したもんね」 「うん」 「……だけど、あくまで一時的に預かっていただけなの」 「……」
どうしてアリエッタ相手にそんな風に強がってしまったのかはわからなかった。こんな自分はみっともないとか、心配をかけたくないとか思ってしまったのかもしれない。 フィーネはなるべく深刻そうに聞こえないよう軽く息を吐くと、努めて口角を上げた。
「私もただ前の生活に戻っただけだし、別に平気だよ。心配してくれてありがとう」
自分で言って、フィーネは頷く。そうだ。考えてみれば、元通りの生活に戻っただけなのだ。元の生活では寂しいなんて思ったことがなかった。血縁の家族と暮らしていなくても教団の孤児院には常に人がいたし、仮面のせいで遠巻きにされてもイオンやアリエッタなど一握りの理解者はいた。むしろ以前に比べればアニスやイオン様という友達だってできたし、特務師団でも仮面のままで受け入れてもらっている。 フィーネは平気だという言葉の通りに笑おうとしたが、やはりどうしても上手く笑うことができなかった。
「フィーネ、我慢しなくていいの。アリエッタも同じだから。イオン様に会えなくて、寂しいから……」
クイーンが不在で寂しがっているという若いライガが数匹、アリエッタに同調するようにこちらに集まってきた。彼女はそんな弟妹たちの頭を撫でると、フィーネにも、ね? と微笑みかける。 つられるようにしてライガに手を伸ばしたフィーネは、しばらく黙ってその柔らかな毛並みを撫でていた。それからゆっくりとしゃがみこんで、ライガの首に腕を回して顔をうずめる。
「……アリエッタ、ごめん」 「……」 それはあまりにも唐突な謝罪だっただろうが、彼女は黙って聞いてくれた。
「……イオンのこと、上手く間を取り持てなくてごめん」
フィーネは柔らかなライガのたてがみに顔を埋めたまま、アリエッタが感じていただろう寂しさを今更のように味わっていた。シンクに拒絶されて初めてアリエッタの気持ちを理解するなんて、自分でもどうかしていると思う。そしてそんな酷い自分を気にかけてくれるアリエッタの優しさが、痛くて苦しくてたまらなかった。
「私、無神経だった。全然、アリエッタの気持ちをわかってなかった」
最初にイオンの不調を教えてくれたのはアリエッタで、彼女に頼まれてフィーネはようやくイオンの元へ訪ねていくことにした。それなのに結局ろくに事情も話されず、イオンにも会うことすらできずにアリエッタは導師守護役を解任になった。さらにアリエッタ視点でいえば、フィーネだけアニスやイオン様と仲良くやっていることになる。今のイオン様が『アリエッタのイオン』ではないことなど彼女は知るよしもないのだから、手酷い裏切りだと思われても仕方がないだろう。
――入れ替わりのことはイオン自身に口止めされているから。 ――イオン様はアリエッタが本当に会いたい相手じゃないから。
そこで思考を止めて、深くは考えられていなかった。 隠し事をしている罪悪感はもちろんあったけれど、自分が直接アリエッタを傷つけている可能性にはちっとも気づいていなかった。フィーネはずっと他人と一線を引いて生きてきたから、仲良くなった相手に拒絶されるつらさも、いつも近くにいた相手と急に離れ離れになる寂しさも、正しく理解できていなかったのだ。 フィーネが顔をあげてもう一度、ごめん……と謝ると、アリエッタはぎゅっとこちらに抱きついてくる。その小さな身体で包み込むような抱擁は、温かい赦しに満ちていた。
「……イオン様はね、本当はフィーネのほうが大事なんじゃないかって、何度も、何度も考えたの」 「それは違う……! イオンは、」 「わかってる。私、イオン様のこと、信じてるモン」 「……」
諦めるのでも、憎むのでも、強がるのでもなくて。 優しいだけじゃない、不思議と芯を感じさせるアリエッタの声に、フィーネは小さく息を呑む。 見た目や口調のせいで勝手に幼いように思いこんでいた彼女が、自分より年上なのだと今更のように実感した。
「アリエッタは、強いね……」 「ふふ、ママの子だもん」 「私も、クイーンの子にしてもらおうかな」
本人不在で勝手なことを言ったのに、アリエッタはくすくす笑っていいよと言ってくれた。ライガたちもそれじゃあお前が妹だとばかりに、こちらに鼻先をこすりつける。 その勢いが強くて尻もちをついてしまうと、アリエッタはまた笑いながらフィーネに手を差し伸べた。
「あのね、全部終わったらね……フィーネも、アリエッタが昔住んでいたところで暮らす……?」 「全部?」 「うん。フィーネも、イオン様を預言から自由にするために頑張ってくれてるんでしょう? 総長が言ってた」
やはりシンクの予想通り、アリエッタはイオンの為に計画に参加しているらしい。 何も知らない、屈託のない笑顔を向けられて、フィーネは返す言葉を持たずに黙り込む。けれども嬉しそうなアリエッタは、そんなフィーネの異変には気づかないようだった。
「預言がなくなったら……イオン様は導師を辞めていいんだって。アリエッタの昔のおうちも、総長が復活させてくれるんだって。そしたら、そしたらね、イオン様とママや弟妹たちとフィーネと、一緒に暮らせたらいいなって」 「……」 「えっとね、あの、第五の子も呼んでいいよ。あの子ちょっと怖いけど……フィーネが寂しくないように」 「ありがとう。来てくれるかはわからないけど……本当に、そうなったら……そうなったらいいのに」
フィーネはまたしても上手く笑えなかった。 たとえ計画が上手くいって預言を滅ぼすことができたとしても、イオンは――。
「大丈夫。きっと、来てくれる……仲直りも、できるよ」
フィーネは俯いて、小さく頷いた。話すことが優しさなのか、話さないことが優しさなのか、今のフィーネにはどうしても判断がつけられなかったのだった。
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mokuji
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