49.効果てきめん(50/151)
今日から自由に教団内を歩いていい。 ヴァンにはそう言われていたけれど、朝目覚めたシンクは食堂には向かわなかった。単純に食欲が湧かなかったのもあるし、わざわざ朝っぱらから好奇の視線に晒されに行ってやる義理はないと思ったからである。
あの日荷物をまとめてフィーネの部屋を移った後、シンクはすぐに第五の居住区へは向かわず、着任日までヴァンの用意した隠し部屋で、細かな打ち合わせをしたり仕事を手伝ったりして過ごしていた。その過程で謎の仮面の少年では体裁が悪かろうと、適当な経歴を捏造したのはシンクの案である。 人殺しのために育てられた子供――。 言った自分でも半分冗談、半分自虐のつもりでしかなかった。けれどもちょうど前年にマルクトの皇帝が代替わりしたこともあって、どうやらこの設定はそれなりに受け入れられたらしい。仮に信じない者がいたとしても、実力差を見せつけてしまえばそれで終わりなのだから、この嘘の精度は大した問題ではないのだ。 初日からシンクは完全に事を構えるつもりで、第五師団の訓練場へと向かった。
「気の触れた前任がやらかしたってのは聞いてるよ。正直、外部から来たボクには関係のない話だけどさぁ、面倒だから大詠師サマに目を付けられるようなマネは勘弁してよね」
第五の奴らは査問会で処罰が決定された今でも、あの副師団長の無実を信じているらしい。最初の挨拶から容赦なく話題にしてやれば、団結力が高いと噂の兵士たちは面白いくらいに無言で怒気を発する。 「……シンク、お前が何を聞かされてここに来たか知らんが、あいつは気が触れたわけでもやらかしたわけでもない」
そんな兵士たちの心情を代弁するように、アッラルガンドが厳かに訂正をした。やはり頭を務めるだけはあって、彼は冷静さを失わないままだった。
「ふぅん。でも実際、証拠も証言も揃ってるんでしょ。だったら気が触れたことにしておいたほうが、アンタたちにとっても都合がいいんじゃない?」 「……」 「それともなに? 第五は正気で反預言の活動でもやってるってわけ?」 「ありえないことだ。ユリアに誓って、そのようなことはない」 「ユリアにねぇ……」 「今は信じてもらえなくとも構わんさ。俺たちに偽りがないことは、今後お前が自分の目で確認していけばいい」
アッラルガンドはそう言って、話は終わりだと言わんばかりに兵士たちに指示を飛ばし始めた。「よし。それでは、いつも通り訓練を開始する」熱血漢と聞いていたわりには、ずいぶんさらりと流されたものだ。 シンクはじろりと仮面越しに睨み上げ、内心で舌打ちをする。怒って感情をあらわにするのではなく、馬鹿正直に返してくるタイプが一番やりにくい。 とはいえ、下の奴らはそれなりに扱いやすそうだった。シンクは指をぽきぽき鳴らすと、最初が肝心だからね、と薄く笑った。
△▼
「シンク、響手……!」
昼食は流石に食堂に向かった。と言っても食べるのは自室に持ち帰ってにするつもりで、ちっとも長居する気はなかったのだが、入り口のところでまさかのフィーネが待ち構えていたのである。一瞬、いつものように呼びかけそうになった彼女は、とってつけたようにシンクに与えられたばかりの階位を口にした。
「……なに?」
一応無関係を装おうとするだけの頭はあるのか、でもあまり意味がなさそうだなとか、だいぶ失礼なことを考えつつも、とりあえずシンクは立ち止まった。正直に言えばフィーネの勢いに気圧されたのと、久しぶりに彼女の姿を見て気が緩んだというのもある。 フィーネのほうもいざ顔を会わせるとうまく言葉が出てこなかったのか、えっと、その……と口ごもった。
「初日からやらかしたって聞いて……私、居てもたってもいられなくて」
なるべく周囲に聞こえないように声を落とした彼女は、仮面を着けていてもわかるくらい気づかわしげな態度だった。目元しか覆っていないのだから当然と言えば当然だが、こんなにも彼女は表情豊かだったろうか、なんて思う。 シンクはそんなフィーネの様子を見てため息をつくと、人聞きの悪いこと言わないでくれる? と同じように声を潜めた。
「こっちはただ、乞われたから手合わせをしてやっただけだよ」 「でも、」 「アンタだって特務でやったことだろ。初日で力の差をわからせるってのが、一番手っ取り早いんだよ」
特務師団とは規模が違うため、全員を打ち負かしたわけではないけれど、それでも各大隊長を叩きのめせば効果は十分だろう。シンクはふざけた前評判通りの働きを披露して見せただけだ。 しかしながらフィーネはシンクの発言を聞くと、やっぱり……と肩を落とした。
「違うの、それ見習っちゃダメなやつ。私のときはたまたま特務の人たちが良い人たちだったからよかったけど、第五の場合は事情も複雑だし……」 「言われなくても、自分の配属先のことくらい知ってる」 「いつもみたいに煽るようなことも言ったんでしょう? 年齢だけで舐めてかかってくる相手に実力を見せるのは必要な時もあるけど、師団内に誰も味方がいないという状況は良くないよ。それに、」 「はいはい、説教なら間に合ってるってば。ほら、退いて」
早速、煽った件がフィーネにまで伝わっているということは、第五の奴らはあれで相当頭に来たらしい。 シンクは話を遮ると、そのまま道を塞ぐ彼女を避けるようにして食堂の中に足を踏み入れる。途端に視線がこちらに集中するのがわかったが、仮面でこちらの表情が見えないことを思うとそれほど気にはならなかった。
「シンク、話はまだ、」 「ちっ」
追いかけてきたフィーネが腕を掴もうとするのを、シンクは身を捩ってかわした。そしてくるりと振り返り、わざと辺りに聞こえるくらいの声を出す。
「フィーネ奏手、いい加減にしてもらえる? ぶつかった件はもう謝ったでしょ。それとも因縁つけて絡むのが、騎士団流のご挨拶ってわけ?」 「!」
そう言ってやれば、今更彼女は衆目を集めていることに気が付いたみたいだった。シンクはほんの少しだけ仮面をずらすと、ゆっくりと唇を動かす。
――ボクに話しかけるな。こっちまで嫌われるだろ。
別にシンクはフィーネとは違って、他人にどう思われようが構わない。騎士団の人間と慣れあうつもりもないし、むしろ預言をありがたがる奴らなんてこっちから願い下げだ。 それでもあえてこんな言い方をしたのは、フィーネにはこれが一番効くと思ったからだ。余計な心配するなとか、気にかけるなとか、言っても無駄なことはこれまでの付き合いでわかりきっている。だが自分の存在が迷惑になっていると思えば、彼女は黙って引き下がるだろう。 果たしてシンクの予想通り、フィーネは伸ばしたままの格好になっていた腕をだらりと下ろした。
「……いいえ、ごめんなさい。私のほうこそ、ぼうっとしてたの」 「……」
話を合わせたフィーネの声は、譜業人形みたいに感情がこもっていない。そして彼女は数歩後ずさったかと思うと、背を向けて食堂を出て行ったのだった。
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mokuji
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