アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


46.誰かがやらねば(47/151)

 一応協力してもらった手前、シンクはフィーネにカースロットの件が解決したことを報告した。その際、どうやって解いたかの細かい説明は省いてしまったけれど、フィーネも特に深く追及してくることはなかった。単純に解き方自体には興味がないのか、ダアト式譜術のことは聞いてはいけないと思っているのか、どちらなのかはわからない。
 もう呪いに煩わされることがないと聞いたフィーネは、良かったと安心したように言って、次に上官らしくおめでとうと言った。本を駄目にしたことを言うと一瞬固まっていたけれど、それで手のひらをかえすようなこともない。別に彼女が出した課題ではないので祝われるのも妙な感じがしたが、シンクは黙ってそれを聞いた。単に何と言っていいか、適切な言葉が思い浮かばなかっただけとも言える。
 
 一方、訓練については相変わらず絶対安静というのがフィーネの意見で、これは口論のタネになった。カースロットの件が片付いてしまえば、本ばかり読むのも時間を無駄にしているような気がするし、おまけに被験者オリジナルの心変わりのせいでウンディーネの日の特訓までなくなったシンクは暇を持て余していたのだ。

――別に身体を動かさなくたって、譜術の練習くらいはできる。

 しつこくそう言い募れば、最初は駄目だと突っぱねるばかりだったフィーネも案の定折れた。呪いを解く過程でフォンスロットの扱いについて散々学んだこともあり、いざ訓練を再開すると詠唱時間の短縮など思った以上に進歩が見える。教えてないのに……と少し複雑そうな顔をする彼女を見るのは、とても気分が良かった。
 そのうち、負傷を想定して右半身のみ使っていいとか、上半身だけで避ける練習だとか、あれこれ適当な理由をつけて体術の訓練も復活した。もちろん毎回お決まりのように難色を示すフィーネだったけれど、喧嘩腰ではなく論理的に詰めれば、最終的にはシンクの意見が通ったものだ。

 そうして軽い訓練から復帰しつつ三週間も経てば、顔を始めとした全身のあざは綺麗に消えていた。腕の火傷も新しいピンクの皮膚に生まれ変わり、今では痛みよりも痒みを我慢しなければならないといった状態だ。おそらくこの分では、跡が残るようなこともないだろう。火傷が落ち着きを見せるとフィーネの過保護もだいぶ和らいで、ようやく元の日常が戻ってきたような気がした。
 シンクがヴァンから呼び出しを受けたのは、ちょうどそんな折りであった。


「ご苦労だったな、シンク」

 訓練室ではなくヴァンの執務室に通されたことも驚きだったが、会うなり労いの言葉をかけられ、シンクは思わず身構える。わざわざ最初に優しい言葉をかけるなんて、この後に続くのは限りなく面倒な話である予感しかしない。
 それでも一応、なんのこと? と問えば、ヴァンは緩く微笑を浮かべた。

「お前のこれまで、すべてに対して言っている。並々ならぬ努力が必要だったことだろう」
「別に……したくてやったわけじゃないね。お情けで生きるのも楽じゃないってだけさ」
「それでも、実際にお前は自分の価値を証明して見せたのだ」
「……」

 所詮はこちらを懐柔するための甘言だ。真に受ける方がどうかしている。
 それでもひとまずヴァンのお眼鏡に叶ったことを思うと、どこかホッとしてしまっている自分がいた。もちろん今度は無抵抗でいてやるつもりはないけれど、もしもヴァンが要らないと言えば、シンクはまだいつでも抹消できる程度の存在でしかないのだ。そのことは被験者オリジナルとのやりとりの中で、散々痛いほどに自覚させられている。

「それで……? お忙しい主席総長サマが、わざわざそんなことを言うためだけにボクを呼んだんじゃないだろ」
「やれやれ、お前の成長に驚いているのは本当なのだがな。まぁ、今回については内示も兼ねている」
「ということは、いよいよ騎士団に入るってことか」

 頃合い的にはむしろ、遅いくらいだと思っていた。このままフィーネの下で武を磨いていても、戦力になるだけで計画の駒になれるわけではない。必要なのは単純な強さだけではなく、役割だ。そして結局のところシンクが強くなりたいと思っているのも、役割を得るためだった。

「お前にはこれを与えよう」

 ヴァンは言って、来た時から彼の机の上に置かれていた正方形の黒い箱を手に取った。箱の厚みはそれほどなく、シンプルな見た目のせいで一体何が入っているのか見当もつかない。

「なに?」

 躊躇いながらも受けとって質問すれば、ヴァンは開ければわかると言わんばかりに頷いた。仕方がないので、シンクは恐る恐る蓋を持ち上げる。

「……仮面?」

 一瞬、金色にも見えたが、金にしては淀んだ黄色だ。薄いがそれなりに重みもあるので、素材は真鍮あたりだろうか。今現在、借りているフィーネの仮面は目元のみを覆うものだが、これは顔のほとんどが隠れるほど大きい。鼻先に向かってマスクの幅が細くなっており、どことなく鳥の嘴を彷彿とさせたが、それ以上に特徴的なのは仮面に施された赤銅色の模様だろう。よく見れば似通っているわけでもなかったが、嫌でもカースロットの模様が頭によぎった。

「これまで以上に、顔を見られぬよう気をつける必要があるからな」
「言われなくてもそのつもりだけどさ……。その割に、随分と人目を引くようなデザインにしたもんだね」

 隠せる範囲が広くなるためうっかり隙間から顔が見えてしまうというリスクは低いだろうが、反対にここまで覆われているとこちらの視界もかなり悪くなるだろう。確認のためにシンクはその場で着けてみて、それからあっと驚いた。内側からは普通に、仮面に遮られることなく景色がよく見えたのだ。

「派手なのは特殊な譜業を組み込んだせいらしい。まぁそれは言い訳で、単にディストの趣味かもしれんが」
「……へぇ、あの変人、レプリカ以外も造れるんだ」

 神託の盾オラクル騎士団第二師団長、通称死神ディスト。シンクはもちろん直接会話をしたことがあるわけではなかったが、自分を造った音機関が誰の手によって製造されたかくらいは知っている。騎士団内ではただの変人としか思われていないようでも、さすが、腐っても偉い学者の先生らしい。
 素の感想ですら皮肉たっぷりなシンクの口調に、ヴァンは呆れたように肩を竦めた。

「気に入らなければ、別にそれを使わなくても構わない。ただ流石にフィーネと同じ仮面では、お前もやりにくいだろうと思ってな」
「……まぁ。仮面ってだけでも大概なのに、同じ師団でお揃いってのもね。造った奴は気に入らないけど、そこは我慢して使ってあげるよ」

 ここで変にごねる方が、むしろみっともないかもしれない。ヴァンの前では妙に虚勢を張ってしまうことを自覚しながら、シンクは新しい仮面を被り直す。
 そうして話はこれで終わりだろうかと思った矢先、配属の件についてだが、とヴァンが切り出した。

「お前が行くのは特務師団ではない」

 それだけでもシンクにとっては意外なことだったのに、続けられた言葉はもっと衝撃的だった。

「お前には第五師団の、副師団長のポストについてもらう」
「……は?」

 第五師団といえば、部隊の規模的には中程度だが、それでもざっと二千人程度の人員はいる。そこに一兵卒として配属されるのならまだ理解できたが、いきなり副師団長をやれと言うのは一体どういうことなのだ。
 しかしながらヴァンは冗談を言ったつもりはないらしく、真面目な顔で説明を始めた。

「現在、第一から第六、そして特務を含めた師団の中で、我々の息がかかっていないのは第五と第六のみとなっている。第六のカンタビレについては存外察しのいい女で手間をかけずに済んだが、第五のアッラルガンドは頑固で融通が利かない男だ。このまま捨て置けば、いつか必ず邪魔になると考えている」
「……アンタの言いたいことはわかる。でも、自分で言うのもなんだけど、ある日突然仮面をつけた妙な子供が配属されたかと思いきや、それがいきなり副師団長だなんて誰が受け入れるんだよ」
「受け入れてもらうのではない、受け入れさせるのだ。お前にならそれができる」

(違うね。それができなきゃ、要らないってことだろ……)

 シンクは咄嗟に胸の内でそう呟いて、一瞬黙り込んだ。下手に言葉になどすれば、無言の肯定が返ってきそうだった。

「比較対象がいないから自覚がないだろうが、お前の格闘技術や譜術については既に一般兵の水準を大きく上回っている。素顔を隠す都合で一人部屋を与えるにも、やはりそれなりの地位が必要だからな」
「……確か、第五の副師団長職は空位じゃなかったはずだ」

 ヴァンが神託の盾オラクルの師団を掌握したいなら、特務師団に補佐職などを新設せずに最初からフィーネを第五に移せばよかったのだ。元第六の副師団長であった彼女であれば、第五の同じ職位を務めるのは傍目にも妥当な人事だっただろうが、空きが無かったというのが実情だろう。
 シンクが指摘すれば、ヴァンは少し笑ったように見えた。

「その通りだ。だが、前任の副師団長殿は不祥事を起こされてな。来月には正式に処分が下るが、除名となることが決まっている」
「ああそう……何をやらかしたか知らないけど、ずいぶんと都合のいい話だね。それで余計な嫌疑を避けるために、アッラルガンドも後任の人事には口を出せないってわけだ」
「フ……お前がそう優秀だと助かるな」

 こんなことで褒められても嬉しくない。つくづく教団は腐っているなと思うだけのことだ。シンクはほとんど顔が見えないのをいいことに、仮面の下で思い切り苦い顔をしていた。

「でも、期待してくれてるとこ悪いけど、ボクは頑固親父のゴマすりなんてするつもりはないよ。結局、第五の頭がアッラルガンドである限り、あまり状況は変わらないと思うけどね」
「それはそうだろうな。だからこそ私はフィーネではなく、お前に第五を任せたのだ」
「?」

 まるでシンクでなければ務まらないような言い方に、意味が分からず首を傾げる。もしそんな仕事があるのだとしたら、それこそシンクにとって都合の良すぎる話だ。
 ヴァンは終始一貫して真剣な顔つきだった。いや、真剣という言葉で表現するには、少々目が据わりすぎていたかもしれない。

「……なっ」

 そうして告げられた任務の内容に、シンクは思わず絶句する。ヴァンはというと相変わらずの淡々とした態度で、フィーネには向かないだろう? と同意を求めるように言った。

「……そうだろうね」

 世の中には必ず、嫌でも誰かがやらなければならないことが存在する。
 残念なことにその内容を聞いても自分でなければならない必然性はなかったが、シンクはその『誰か』の役割をフィーネにさせたくはないと思った。
 引き受ける理由はそれだけでも十分だった。

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