44.隠されしセフィラ(45/151)
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旧ホドを中心に各地のセフィロトを結んでいくとカースロットの模様によく似た音叉の形が姿を現した。目玉の視線の先にあるのは、なんの皮肉かザレッホ火山だ。シンクは忌まわしい記憶を振り払うように、腹の奥底から息を吐く。次にどきどきしながら自分の喉に手をやって、その位置のフォンスロットに異常がないかを確かめた。 けれども、
(ここでもないだって……?)
膨れ上がった期待がしぼんでいくのは一瞬のことだった。やはり、解呪方法を求めすぎて、何でもかんでも関連付けて見てしまっていただけなのだろうか。 シンクは目の前の本を脇によけると、ため息とともに机に突っ伏した。 いくら考えたってわからない。こんなの、何も教わらずに解けるものなのか。 いい加減無茶な課題に嫌気がさした。が、七番目が解いたという話を思い出し、すぐに自分の能力が低いせいかと劣等感でいっぱいになる。
初めから、代用品にもなれないゴミにできるわけがなかった。もう解けなくたって別に構わない。どうせ放っておいたって、被験者は近いうちに死ぬ。術者との距離が関係する呪いなのだから、術者本人がこの世を去ればそれでもうおしまい。死にかけの人間の馬鹿馬鹿しいお遊びに、わざわざつきあってやる義理はないのだ。
「……っ、ふ、くっ……」
頭でそんな理屈を並べ立てて、シンクは必死に自分を納得させようとした。けれども理由をつければつけるほど悔しさや虚しさがこみ上げきて、我慢しようとしても嗚咽が止まらない。 役に立たないガラクタは、やっぱりあの時廃棄されるべきだったんだろうか。ちらりと横目でみたページの中で、カースロットの目玉が今からでも遅くないとでもいうようにザレッホ火山を見つめている。 確かにこんな惨めな思いをするくらいなら、いっそ死んでしまえば楽になれるのかもしれない。幸いにもここダアトからザレッホ火山は遠くなかった。今から火口に身投げすれば、この苦しさも全部なかったことになるかもしれない。
(どうせ、ボクが死んだところで……)
誰も何も、困りはしないだろう。このままローレライ教団は傀儡の七番目が治めて、シンクがいてもいなくてもヴァンは計画を進める。もしどうしても使い捨ての兵士が必要になれば、それこそまた欲しい時に造ればいい。どうしてもシンクでなければいけないことなんて、この世界には何もないのだ。そう考えてうすら寒い気持ちになったのに、伏せている体勢のせいで嫌でも包帯の巻かれた腕が視界に飛び込んでくる。 他人に期待をするなんて、馬鹿がやることだ。わかっているのに、それでもシンクは彼女の名を呟いていた。
「フィーネ……」
たとえフィーネの一番が、被験者なのだとしても――。自分が死ねば、彼女くらいは泣いてくれないだろうか。 それは普段のシンクであれば、間違いなく唾棄している浅ましい感傷だった。もしも彼女が泣いてくれるのなら、死ぬのもそう悪くないと思ってしまったことも含めて。
そういえば、元凶のフランシス=ダアトの死も自害だったと聞くが、こんな鬱屈した術を作り上げるくらいの人間性だ。彼もまた師であるユリアが泣いてくれることを期待して、自らの人生に終止符を打ったのだろうか。死が避けられぬ運命だとしても預言を残したのがユリア本人であるだけに、ダアトの場合はより一層彼女の心に深く爪痕を残したことだろう。 実際、十人もいた弟子の中でその名を地名として残されたのは、裏切り者の彼たった一人なのだから。
(たとえ世間に謗られようと、そうやって何かを残せたのならまだマシだ)
ひとしきり泣きたいだけ泣いたシンクは、重い頭でぼんやりと本の中の地図を眺める。 ここダアトの位置は、本当にザレッホ火山と離れていなかった。死火山ならともかくも、よくもまああれだけ活動的な火山の近くに本拠地を構えようなどと思ったことだ。セフィロトはそれぞれ『ダアト式封咒』、『アルバート式封咒』、『ユリア式封咒』の三つで封印されていると聞くから、管理する意味合いもあったのだろうか。 すっかり泣き疲れてとりとめのない思考を始めたシンクだったが、そこで不意にひらめくものがあってハッとする。またがっかりする羽目になるのでは、と心が先に身構えたが、それでもゆっくりと身を起こした。
「この目玉が見つめているのは、本当にザレッホ火山なのか……?」
果たしてフランシス=ダアトほどの男が、ただセフィロトの管理のためだけに拠点の位置を決めるだろうか。だいたい『ダアト式封咒』で封印されているのはここだけではないはずだ。 シンクはもう一度、人体のフォンスロットの図と地図を見比べる。ここに記されているのはあくまで主な要点だけで、すべてが載っているわけではない。 先ほどの重ね合わせに則れば、ダアトの位置はちょうど鎖骨と鎖骨の間くらいに位置していた。
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「まさか本当に、こんなところに……」
一般には知られていないだけで、隠されたフォンスロットがあると言うのだろうか。今まで一度も意識をしたことのなかったその部分へ、シンクは最後の望みを賭けてみる。第七音素を呼び込むイメージだ。涙はすっかり乾いていて、頬がつっぱる感覚がした。
「ぐっ……」
そしてシンクの考えは、今度こそ正解を引き当てたようだった。 ひとたび意識を集中させ始めた途端、ものすごい勢いで音素が流入してくる。だがそれは第七音素だけでない。一番多いのは、風の第三音素、次いで地の第二音素で、おそらく適性の高い音素が優先して集まってきているのだと考えられる。流れ込んだそれらはそのまま全身を駆け巡り、主要なフォンスロットに順に到達していった。まずはもっとも近い、肩回りや眼に。そして腕や腹、最後には足のほうにも。その凄まじいまでの奔流は、へばりつく呪いを押して洗い流すようなものだった。
そしてもちろんシンクには、劣化しているとはいえ第七音素の適性もある。そこから先は地獄だった。第七音素が流れ込んでくると、ヴァンに描かれた胸の譜陣が焼け付くように熱を持ち、額から汗が滝のように流れる。シンクは自分の胸元をぎゅっと握りしめると、小さく喘鳴を繰り返した。
(もういい、止まれ、止まれったら……!)
カースロットは今ので消えた。隠されたフォンスロットを解放し、音素を身体中に巡らせることが解呪の方法だったのだ。いかにも武闘派だったというダアトらしい力技な方法だが、これでもうシンクは忌まわしい呪いとはおさらばだ。 けれどもシンクがフォンスロットを閉じようとしても、音素の流入は止まらない。もはや解呪できた喜びよりも焦燥感でいっぱいになり、シンクは椅子から転げ落ちた。
もしも、もしもこのまま御しきれないレベルの第七音素を受け入れてしまったら、この身体は一体どうなってしまうのだろう。そもそもがレプリカの体は第七音素で構成されているのだ。音素には同じ属性同士で引き合う性質があることを考えると、流入した第七音素がプラネットストームに戻るとき、逆にシンクの側が引っ張られて乖離してしまう可能性は……?
(仮にそうだとしても、だから何だって言うんだ……?)
シンクは床に横たわったまま、乾いた笑いを漏らした。 自分は消えたっていい。初めからこの世界に必要とされていない。むしろ生まれてきたくもなかった。預言に支配された世界も、預言にすがって生きている世界の奴らも、みんなみんな大嫌いだ。自分を必要としないこの世界が憎くて憎くてたまらない。 シンクが苦痛から逃れようと身をよじると、ばさりと音を立てて本が目の前に落ちてくる。ページに書き込まれたカースロットの目玉は、シンクのことをあざ笑っていた。たとえ呪いを解いたとしても、憎しみの感情からは決して解放されることはない。なぜならそれは初めから、シンクの中にあるものなのだ。
(クソ……! やっぱり、まだ死ねない……! 振り回されて惨めなまま、何もしないで死ぬのはごめんだ……!)
生きるための原動力となるのは、何も明るく美しい感情だけではない。 シンクは力を振り絞ると、床に手をつきなんとか身を起こした。多少時間はかかってもいい。ただ絶対にこの音素をねじ伏せて、自分の物にしてやる。フィーネが変な褒め方をしたように、気に入らない奴はたとえローレライでも殺してやる。
そういう心持ちでいれば、不思議とどんな辛いことにも耐えられるような気がした。
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mokuji
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