アンチ・アンチナタリズム
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43.重ね合わせて(44/151)

 ローレライ教団の総本山であるここダアトの地名は、惑星預言プラネットスコアを残したユリア=ジュエの弟子――フランシス=ダアトの名に由来すると言われている。彼はユリアの弟子のうちの一人で、地名にその名を残すと決めたのもユリア自身だ。けれどもダアトは他の弟子たちとは違い、『七賢者』には数えられていない。ダアトが師であるユリアを裏切って、彼女を投獄したという過去を持つためだ。

 ユリアは譜術戦争フォニックウォーを終結させた後、瘴気対策として『外殻大地フロート計画』を発案した。だが、ユリアのあまりに秀でた才能のために人々は彼女を神格化し、それを快く思わなかった時の大国が、ダアトをそそのかして買収したのだ。
 しかしながら後世の研究では、ダアトが師を裏切って手に入れた対価はごくごく知れたものだったと考察されている。だからダアトは金のためにユリアを売ったのではなく、彼自身の個人的な感情として、神格化されていく彼女を受け入れられなかったのではないかという説もあった。俗物的な言い方をしてしまえば、ユリアはとても美しい女性だったのだという。

 ユリアを裏切った後のダアトは、彼女の残した第一から第六の譜石と譜歌を軸にローレライ教団を設立した。ユリアほどの才はなくともダアトにも第七音素セブンスフォニムを扱う力はあったし、未来を知っているということはそれだけで強大な力になる。ダアトは始まりこそ大国に買収されたものの、ローレライ教団を完全な独立組織として運営し始めた。外れることのない預言スコアに入信する者は後を絶たず、その勢いは他のユリアの弟子たちですらも手出しができないほどで、運営はとても順調かに見えた。
 設立のわずか三年後、彼が自ら死を選んでしまうまでは。
 
 一説には、ダアトは譜石に書かれた内容の的中ぶりに、改めてユリアの才に恐れをなしたのだと言われている。自分の過ちを認めた彼はユリアを解放し、和解を申し入れた。ユリアもまたその和解を受け入れたが、彼はそのまま自責の念に駆られて命を絶ってしまった――というのが、最も広く歴史家たちに支持されている話である。
 だが譜術を主な研究対象としている研究者たちの中には、晩年のダアトは精神に異常をきたしていたのではないかと考える者もいる。彼の残したダアト式譜術は教団によって秘匿されているため真偽のほどは不明だが、兄弟弟子にあたる人物の手記から、ダアトが人間の精神に干渉するような譜術の研究をしていたという記述が見つかっているのだ。

 ダアトは元々ユリアの弟子たちの中でも、武闘派で知られた男だった。だから、彼が急に譜術の基礎研究を始めるのは少々道理に合わない気がするが、彼の心変わりには譜石に記された預言スコアが関係していたのかもしれない。
 現代においても人の生死に関わる預言スコアを詠むことは許されていないものの、ユリアの譜石を盗んだ彼はきっと、自分の避けられない死を知ってしまったに違いなかった。


△▼


 フォンスロットはすべての物質に存在する音素フォニムの要点であり、人体における最大のフォンスロットは眼であると言われている。そこに譜陣を刻み込めば更に三倍以上もの効率で音素フォニムを集められるとのことだが、そのあまりの危険性から譜眼に関する文献は今では禁書扱いだ。
 もちろん、フィーネの借りてきた本にも、そういう禁術まがいの内容は載ってなどいなかった。載っていたのはいかにも教科書的な話で、人体における主なフォンスロットの位置である。

 実際、それは音素フォニムを扱う者ならば、誰でもある程度は体感として理解しているものだった。人によってわずかな位置のズレはあれど、眼以外の主なフォンスロットは、喉、両肩、両の二の腕、それから心臓。人体最大の臓器である肝臓の付近に二点とあとは臍の下、いわゆる丹田の位置にも二点。両足の腿や足首のあたりにも存在していて、同時に解放するフォンスロットが多ければ多いほど、取り込む音素フォニム量も増え、術や技の威力が増していく。反対に、カースロットや譜業を用いてこのフォンスロットが阻害されれば、人は思うように音素フォニムを扱うことができなくなるというわけだ。
  
 フィーネの本ではそんな人体の図解と並べて、このオールドラントのフォンスロット――セフィロトについても解説されていた。
 理論上、フォンスロットはすべての物質にあるものなのだから、当然大地にもツボのような要点が存在する。中でも特に強力な十箇所がセフィロトと呼ばれており、ここを通して地核から大量のエネルギーである記憶粒子セルパーティクルが噴き出しているのだ。創生歴時代には既にこのエネルギーを活用したプラネットストームという永久機関が開発されており、この技術なしでは現代の譜術や譜業はここまで進歩していなかっただろう。
 十箇所のセフィロトの位置は、以下の通り。永久機関の始点ラジエイトゲートと終点アブソーブゲート。それからシュレーの丘、ザオ遺跡、アクゼリュス、タタル渓谷、メジオラ高原、ザレッホ火山、ロニール雪山。ホドは今はもう大地のほとんどが失われて、わずかばかりの諸島を残すのみとなったが、セフィロトの存在する場所だ。



(こんなこと、ボクはとっくに知っていたっていうのに……)

 セフィロトはヴァンの計画においても、いや、来るND2018の崩落においても、最重要地点だ。だが、学んだ知識は別々のものとして脳に仕舞いこまれていて、大地のセフィロトと自分の身体にあるフォンスロットを重ねて考えてみたことはなかった。本の中では、あくまで暗記の苦手な者向けの覚え方として記載されていただけだったけれど、オールドラントの中心に位置するホドのセフィロトと心臓付近のフォンスロットを重ねれば、なるほど確かにだいたいの位置が一致するようになっている。これでカースロットが人体のフォンスロットにかけられる術でなければ、ただ面白い話だというので終わっていたことだろう。






(ボクにかけられたカースロットの位置は脇腹……。大地で言うなら、ザオ遺跡にあたる箇所になる)

 シンクは一度自分の腹に手を当てて、確かめるように目を閉じた。これまではなんとなく術の発動時のみ働きが阻害されるのかと思っていたが、譜業での阻害と同じ原理だとしたら、今もこの位置のフォンスロットは上手く開けない状態になっているはずである。しかしながらこうしてシンクが集中すれば、脇腹のフォンスロットにもきちんと音素フォニムが流れ込んでくるのを感じる。シンクは目を開けると、今更のように舌うちした。

 真の呪いの元凶はここにあるのではない。そう悟ったのだ。

(ダアト式譜術は、その名の通りフランシス=ダアトが考案したものだ。フォンスロットに呪いをかける発想を持った人物が、人体と大地の強力な要点を蔑ろにするはずがない。術式にも当然組み込むはず……)

 シンクはフィーネが不在なのをいいことに、彼女の本を拝借してカースロットの描かれた紙と見比べる。旧ホドが心臓なのであれば、この模様の中心である目のような図形を重ねるのが妥当だろうか。脳内で重ねるだけでは不十分で、シンクは直接本のページに書き込んでいく。本を貸して貰えなくなるかもしれないなんていう危惧がすっぽり頭から抜け落ちるほど、目の前の手掛かりに夢中になっていた。そして気づくと、声に出して呟いていた。


「これは……」

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mokuji