アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


41.呼び出し(42/151)

 教団から地下へと続く隠し通路。鍵と譜術で厳重に閉ざされたそこは、総長か彼の副官であるリグレットを伴わないと入ることができないようになっている。
 そういう事情もあって、フィーネがこの道を通るのはまだたったの二回目だった。

「……あの、本当に会ってもいいんですか?」

 普段であれば、話しかけるのにはだいぶ勇気が要ることだった。だが嫌な胸騒ぎがして黙ってもいられず、フィーネは前を歩くリグレットに向かって質問をする。最後にイオンに会って以来、その後も何度か面会できないか掛け合ってはいたものの、これまではついぞ叶うことがなかった。それなのに急にイオンのほうから会いたがっていると呼び出されて、身構えるなというほうが無理な話である。

「問題ない。閣下の許可は得ている」
「……」

 リグレットは前を向いたまま、足を止めることなく返事をした。その態度はいかにも軍人然としており、常のフィーネであれば憧れたものだったけれど、不安な今はなんだか突き放されたようにも感じてしまう。会いたいと思っていたくせに、いざとなると逃げだしたいような気持ちに駆られて、フィーネは無理矢理に足を動かしていた。

「……もしかしてイオンは今、とても悪い状態なのでしょうか?」
「良くはないだろうな。だが、お前もシンクの怪我を見ただろう? あれができる程度には導師もまだまだ健在だ」
「……」
「むしろ、私たちも急にどうしてもと言われて驚いてるんだ。あの導師は馬鹿ではないし、精神的にもよく保っているほうだろう。……フィーネが手紙に何か書いたわけではないのか?」
「私が? いえ、特に思い当たることは……」

 会わせてもらえない代わりに、せめてもの思いで時々したためていた手紙。一度も返事をもらったことがないためうやむやにされている可能性もあると思っていたが、リグレットはきちんとイオンに渡してくれていたらしい。しかし、元々口下手なフィーネが文章だと饒舌になれるということはなく、また近況報告をしようにもシンクやイオン様のことを書けないという縛りがあって、きっと大して内容のない手紙になっていたことだろう。
 フィーネは改めて自分が書いた手紙を思い返したが、やはりこれと言ってイオンの関心を引くような話題はなかったように思う。あるとすればせいぜいアリエッタの様子ぐらいだけれど、彼ならきっと予想している範囲のことに違いない。

「そうか。だが何にせよ会えばわかるだろう」
「……そうですね」
「あまり気を落とすな、というのは難しい話だろうが……私たちは限られた時間の中でできることをやるしかないんだ」
「はい」

 それはイオンの運命のみに限らず、このオールドラントの未来も含めてのことだろう。今のままではイオンは十三歳の年を迎えることなく死んでしまうだろうし、ND2020にはマルクトが瘴気に包まれ、その後キムラスカともども滅びてしまう。人間のレプリカという禁忌に手を出したこと、そして彼らに酷い扱いをしたことは未だに賛同できないけれど、イオンも総長も限られた時間の中でできることをやろうとしただけなのかもしれない。ただ預言スコアという大きな力に翻弄されて、何もできずに滅びていくのが許せなかっただけなのかもしれない。
 イオンの部屋の前に着くと、リグレットは励ますようにフィーネの肩に手を置いた。

「久しぶりに会うんだ、積もる話もあるだろう。時間は気にしなくていい」
「……」

 思いがけず優しい言葉をかけられて、フィーネはちょっぴり言葉に詰まる。印象の問題だったのかもしれないが、総長の忠実な副官である彼女がフィーネの気持ちに寄り添ってくれるだなんて思ってもみなかったのだ。

「……ありがとうございます」 

 これまで何度イオンに会いたいと言っても、なかなかその希望は叶わなかった。総長もモースも代わりの“導師”を作ることに忙しくて、大人は誰もイオンの運命を悲しんでいるようには見えなかった。一緒に泣いてくれるであろうアリエッタには決して話せないし、事情を知っていてもシンクやイオン様とこの感情を共有するのは無理な話だろう。
 フィーネは来たる喪失への恐れと悲しみを、ずっと一人で抱えるしかなかったのだ。

(どうしよう……。私は笑顔でいなきゃいけないのに、もう泣きそう……)

 せり上がってくる感情を鎮めるように、ゆっくりと深呼吸して。
 フィーネは扉をノックすると、覚悟を決めてノブを回した。


「……イオン、久しぶり」

 部屋の中は以前に来た時よりも、なんだか少し薄暗いように感じた。オレンジ色の、ずっと見ていると眠くなりそうな譜石の灯り。ベッドから上半身だけ起こしていた彼はすぐにフィーネのほうに顔を向けたが、挨拶を返しては来なかった。

「その、突然の事でびっくりしたけど……会えてよかった。体調はどう?」

 テーブルの所からベッドの傍に椅子を移動させ、腰を下ろしたフィーネは話しかける。もちろん、仮面はそのとき外した。仮面を外すとようやく、イオンはゆっくりと口を開いた。

「おかげさまで、預言スコア通りさ」
「……」
「だけど、今日はそんな話がしたかったわけじゃない」
「そう、だよね。何かあったの?」

 イオンが普段どんな生活をしているのか、フィーネは知らない。シンクのカースロットの件があって初めて、療養以外にダアト式譜術の指導を行っていたのだと知ったくらいだ。
 ただ一見したところでは、痩せこそしたもののシンクのように酷い怪我をしている様子ではない。シンクの性格上大人しくやられっぱなしでいるとも思えないので、そこはまだ単純に力量差があるのだろう。
 フィーネがじっとイオンが話しだすのを待っていると、彼は何も取り繕わずに表情を歪めた。

「今日呼んだのは、六番目の件だよ」
「え、」
「お前の可愛がっている、あの出来損ないの部下のことさ」
「それは、わかるけど……」

 わざわざ総長に無理を言ってまで呼び出した用件なのだ。てっきりイオンに関することなのだとばかり思っていた。ひたすら戸惑うことしかできないでいるフィーネを、イオンはどんな風に受け取ったのだろうか。丸みの失われた顔の中で、新緑色の瞳がぎらぎらと輝いていた。

「最近、僕はあれに指導をつけてやってるんだけどさ。あんまりにもお話にならないレベルだから、一体フィーネは何をやってるんだって一言文句を言ってやろうと思ってね」
「……」
「ヴァンはあれを使うつもりでいるんだよ。だったら、きちんと仕上げるのがフィーネの役割でしょ? なにもフィーネの寂しさを埋めるために、ペットを寄こしてやったんじゃないんだよ」
「……話って、まさかそれなの?」

 久しぶりにやっと会えたのに、話は仕事の、それも説教なのか。確かにフィーネはシンクの指導を任されているし、彼の実力不足が見えるならそれはフィーネの責任だと思う。が、ずっと手紙の返事も寄こさないでおいて、いざ顔をあわせて言うことがそれなのか。
 フィーネが愕然としながら聞き返すと、イオンはそう言ってるだろ、と不機嫌そうに返した。

「体力の落ちている僕にもいいようにやられて、よっぽど甘やかしてるんだと思ったね。あいつが計画から降ろされるのは一向に構わないけどさ、フィーネもヴァンから無能の烙印を押されたくはないだろ? 親切で忠告してやったんだから、感謝してほしいね」
「……感謝? 私はイオンの指導こそロクな物じゃないと思う。怪我を見たけど、甚振ってるようにしか思えなかったよ」

 いつもなら謝るだけのフィーネが、強めに言い返したからだろうか。
 イオンは意外そうに目を見開いて、口元をひきつらせた。 

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