アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


38.強制発動(39/151)

 どっちがいい?と端的に聞かれて、シンクは思わずフィーネをまじまじと見返した。

「どっちって……」
 
 思わず漏れた呟きには、質問の意図があったわけではない。それなのに彼女は額面通りに受け取ったのか、ご丁寧に目の前のものを指で一つずつ指し示す。

「壁か、椅子か」
「……アンタって、普段からこういうのやってるわけ」
「ううん。存在を知ってるだけ。第六にいた頃は使ったことなかったよ」
「……」

 シンクはそれには何も返さなかったが、少し迷ってからのろのろと椅子に腰を下ろした。ここまでにつけてきた手錠は、実際には鍵などかかっていない。だからこちらは自分で外すことができたけれど、この椅子の拘束はそうもいかないだろう。

「確かにシンクは足癖が悪いから、椅子の方がいいかもしれない」

 フィーネは勝手に納得すると、足元にかがみこんで片足ずつ順にバンドで固定し始める。自分から頼んだこととはいえ思いがけず本格的なそれに、シンクは複雑な気持ちで彼女を見下ろすしかなかった。

「……ホント、教団ってなんなわけ。宗教団体の皮を被った、悪の組織だって言われても驚かないよ」
「教団っていうか、軍だからね、うちは」

 足の次には腕も固定されて、最後になぜか仮面まで外される。シンクはすぐさま抗議したが、仮面をつけて下手に頭突きでもされたらお互いに怪我をする、というもっともな理由で却下された。

「……じゃあ、アンタも外してよ。ボクだけ外すのはなんか嫌だ」
「ええ、なにそれ。まぁいいけど……」

 お互い仮面を外したことで、改めて視線がかち合う。

「……」

 彼女の瞳に映る自分の姿に、単なる屈辱とはまた違う感情が込み上げてくるのを感じ、シンクは今更猛烈に後悔した。

(なんなんだよ、この状況……!)

 しかし、この非日常極まりないシチュエーションに動揺しているのはシンクだけのようで、フィーネは淡々と話を進めていく。

「模様はお腹に出るんだよね」
「……そうだけど」
「じゃあ、ちょっと脱がすよ」
「はぁ!?」

 咄嗟に手を払おうとしたが、早速、拘束具が出番とばかりにシンクの動きを封じた。

「ちょっ、いいから、自分でやる!」
「いや、そしたらまた腕外さないといけないし……。それだけ顔が酷いことになってたら、あざのひとつやふたつ気にしないよ」
「っ、そういうことじゃないんだよ!」
「えっと……じゃあ何が問題なの?」

 フィーネは仮面を外したことを失念しているのか、やや面倒くさそうな表情を正直に浮かべている。そのあまりに直球で遠慮の欠片もない質問に、シンクは唇を震わせた。

「だっ、だから……逆の立場で考えてみなよ」
「逆?」
「アンタがボクに……四肢を拘束されて、服を脱がされる」

 ここまで言って駄目だったらいい加減に怒ろう。というか、前々からかなりデリカシーに欠ける部分があったけれど、本気で何とも思っていないのか。
 軽く絶望的な気分になっていたシンクだったけれど、フィーネはここでようやく意味を理解したらしい。わかるやいなや今までの態度を一変させて、さっと顔を赤らめた。

「い、言い方の問題でしょ! そんな、変なことするわけじゃないんだし!」
「そう思ってるなら、赤くならなくていいだろ」
「違っ、これはシンクが変なこと言うから……わかった、もういいよ、一回片手だけ外すから自分で脱いで」

 がちゃがちゃとバンドのベルトを外す音だけが、尋問室に響き渡る。そのあと自由になったシンクが服の裾をまくって再び拘束されるまで、どちらも一言も発しなかった。

「……なんか、既にすごく疲れた」
「それはこっちの台詞だよ」
「で、どうやってその術を発動させるの?」
「ちょっと静かにして」

 幸い、ここは被験者オリジナルとの距離も遠くない。昨日手ひどくやられたばかりだし、そうでなくても奴の顔を忘れられるはずもないので、少し目を閉じてじっとしていれば嫌な記憶は望まずとも蘇る。そもそもカースロットが無くてもシンクは自分を作ったこの世界の全部が憎くて憎くてたまらないのだから、その憎悪に身を委ねるのは難しいことではないはずだった。

「……」
「……」
「……シンク?」

 こんな、妙な状況でなければ。
 シンクは視覚からの情報を遮断するようにぎゅっと目を閉じて、被験者オリジナルの表情や言葉を必死に思い出そうとした。が、どうにも上手く集中できない。じわじわと胃の中が気持ち悪いような感じはするものの、いまひとつこれといった決め手に欠ける。

「……なんかムカつくこと言って」

 結局、ほとんど苦し紛れに、フィーネにむかってそんな無茶ぶりをした。

「ええ!?」
被験者オリジナルと比べていいから。アイツにできて、ボクにできないこととか。……アイツを褒めるのでもなんでもいいからさ」
「そんなこと急に言われても……」
「長い付き合いなんだろ、あんな奴でもアンタの前では優しいんじゃないの」
「う、ううん……確かにアリエッタには優しかったけど……」

 フィーネはそう言うと、真剣に考えこんでしまった。

「イオンのいいところ……。えっと、物知りで頭がよくって、愚痴は言うけど根は真面目だし、世渡りも上手かな。それに、ほんとは守護役なんかいらないくらい強いし、人の気持ちにも敏感だと思う」
「……」
「直接はなかなか優しくしてくれないけど……昔、憶測で私に酷い噂がたったときはきちんといさめてくれたりもしたな……流した当人は左遷されて、その後いつのまにかいなくなってたけど……」
「誰も怖いエピソードを話せなんて言ってない」
「だって、仕方ないよ……イオンの優しさはそういう優しさなんだから。私はそういう優しさでも嬉しいし好きだよ」

 被験者オリジナルの名前を出して、庇うように言われて、ほんの少し脇腹がうずいた。ただ、どちらかと言えば胸が締め付けられたような気分になって、シンクは自分の膝先に視線を落とす。

(そうか、フィーネは……)

「……駄目だね。話にならないよ。その程度じゃ全然発動しそうにない」
「ええ、これでもだいぶ頑張ってるのに」
「頑張りが必ずしも結果に結びつくわけじゃないってことでしょ」

 シンクはそこまで言って、少し躊躇う。が、すぐに迷いを振り切るように深く息を吐いた。

「……仕方ない。アンタ、火の譜術は……えっと、苦手なんだったか。じゃ、戻って松明でも持ってきてよ」
「松明?」

 ここに来るまでの道中で見かけたゆえの発言だが、突然の要求にフィーネは不思議そうな顔になる。それでも彼女は手早く仮面をつけなおすと、素直に尋問室から出て行った。
 そして、

「……持ってきたけど」

 程なくして戻ってきた彼女の手には、頼んだ通り煌々と明るく輝く松明が握られている。シンクは一人覚悟を決めて、ひそかに唾を呑み込んだ。
 
「……ゴクロウサマ。じゃ、もっとこっちに近づいてよ」
「こう?」
「アンタごとじゃなくていい。そのまま火をボクのほうに近づけて」
「でも、危ないよ。火傷するって」
「いいから。むしろそのつもりなんだよ」
「!」

 自由が利かず、自ら炎を引き寄せられないのがもどかしい。フィーネはシンクの言葉に驚いたのか、手を止めて固まってしまった。彼女の動揺を反映するように、目の前で炎がちらちらと揺らめく。シンクはフィーネに発破をかけるつもりでわざと怒鳴った。

「聞こえなかったわけ? 早くやれってば!」
「できないよ、そんなこと」
「ふーん、約束破る気なんだ? アンタ、協力するって言ったよね?」
「だけど、」
「必要なことなんだよ、だからこうして頼んでる」

 実際、シンクの態度は頼んでいるというようなものではなかったが、松明の熱は確実にシンクの記憶を呼び覚ますのに役立っていた。焚き火と違い、樹脂の力を借りた黄色い炎は、暖かいを通り越して十分に熱い。フィーネがためらったせいでまだ距離があるというのに、炎の舌が今すぐにでもシンクの肌を舐めそうな、そんな錯覚に陥った。

「火山の再現でも……するつもりなの?」
「……」

 こんなときばかり察しのいいフィーネがやけに腹立たしく思えたが、これもいい兆候なのかもしれない。
 シンクは軽く舌打ちをし、震えを誤魔化す。額から冷たい汗が噴き出すにつれて、自分が正解に辿り着いているという確信が深まった。

「……こっちだって、好きでこんなことやろうとしてるわけじゃない」

 必要なことなんだよ。
 シンクはもう一度、そう繰り返した。

「頼むから、一思いにやって」
「……」

 固く目を瞑って、シンク自らあの記憶を辿ろうとする。カースロットの作用か、はたまた五感に刻み込まれているのか、熱気を引き金に、臭いも痛みも恐怖も全部なぞるように思い出せる気がした。
 熱源が顔の近くを離れ、腕のほうへと近づけられる。

「っぐ……」
「……」
「っ、やめるな!」

 目を瞑っていても、フィーネの動揺は手に取るようにわかった。

「……二度と、二度とこんな酷い頼み事しないで」
「ぐ……ぁああ」

 熱い。痛い。怖い。
 シンクがきちんと意識を保っていられたのは、どうやらそこまで。
 最後の瞬間、椅子が軋む激しい音と一緒に聞こえてきたフィーネの声は、深い嘆きと怒りに満ちていた。


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