アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


37.暗部(38/151)

 神託の盾オラクル騎士団本部は、そもそもが教会の地下にある。基本的には関係者以外が足を踏み入れることを認めておらず、地上の荘厳で優美な教会の佇まいに対し、地下は軍隊色が強く質素で殺伐とした雰囲気があった。流石に普段過ごしている寄宿舎のほうはまだまともな生活感があるけれど、今シンク達が向かっているところは、まさに教団の影の部分と呼ぶに相応しいところだろう。

――教団内で人に見られる恐れが無くて、多少暴れても問題がないところ。そういう場所を知ってたら案内してよ

 説明をしたシンクは、まさに自分が求めているのは被験者オリジナルとの訓練場なのではないかと思った。が、まさかあの場所を使うわけにもいくまい。だいたいあそこは被験者オリジナルの存在を隠している都合上、ヴァンかその副官であるリグレットを伴わなければシンクとて勝手に侵入することはできなかった。

――暴れるって……訓練はしばらく控えようって言ったばかりなのに

 一方でシンクの頼みを聞いたフィーネは、顎に手をやって当然のように難色を示した。

――私も協力するって言ったのを無しにする気はないけど、そういうことならシンクの体調が良くなってからね
――違うよ、訓練をしたいわけじゃない
――じゃあどうして暴れるなんて……
――だから、その……魘されていた夜みたいになる可能性があるから言ってるんだ

 意を決して告げれば、フィーネははっと息を呑む。
 自らあの夜の事を持ち出したことで、シンクの本気度が伝わったのだろう。少し居住まいを正した彼女は、顎に手を添えたまま今度は考え込む。

――……暴れることは確定なの?
――あぁ、そうだよ。今回はわざと発動させるつもりだからね
――発動ってどういうこと?
――まさか本当に、ボクがただ悪い夢を見て飛び起きたとでも思ってたの? 全部、ありがたい訓練だったんだ。忌々しい憎しみの呪いを解くっていうね

 カースロットの話をしても、被験者オリジナルの名前を出すのは最後まで躊躇われた。それでもシンクにかけられたものがダアト式譜術なのだといえば、フィーネは全てを理解したらしい。しばしの無言の後、彼女は肩を落としてそうだったの……と呟いた。

――わかった。場所のほうはどうにかする。だけどやっぱり、身体が良くなってからじゃダメなの?
――無駄だね。また来週のウンディーネの日になれば、余計な怪我が増えてるだけさ。死を待つだけの導師サマは、憂さ晴らしをするくらいしか楽しみがないようだからね
――……

 フィーネはそれを聞いても、被験者オリジナルを非難することも擁護することもなかった。シンクの怪我に対して酷いとは思っているようだが、付き合いの長い被験者オリジナルへの感情もそれなりにあるのだろう。
 彼女はひどく複雑そうに口角を下げ、深い溜息を吐いた。

――それで……私はシンクが暴れそうになったら止めたらいいの?
――最悪の場合は抑止力としても期待してるけど、フィーネにはボクが暴れた時に腹に浮かぶ譜術を写しとってもらいたい。解呪のための手掛かりが欲しいんだよ
――簡単に言うなぁ……シンクを抑えながらってなるとかなり大変そうなんだけど……あ!
――なに?
――ちょうどいい場所、あるかもしれない

 そんなやり取りを経て、シンクはフィーネに言われるまま、フード付きのローブを頭からすっぽりと被ることになったのだった。
 それも、なんともいかつい合金製の手錠付きで。



(確かに、ボクが出した条件は満たしてるだろうけどさ……)

 捕虜などを閉じ込めておく、いわゆる牢屋のようなものがこの神託の盾オラクル騎士団本部にも存在していたらしい。
 水はけが悪く、かび臭い地下のさらに奥深く。
 コツコツと固い床を踏み鳴らし、フィーネはシンクを極秘任務の重要参考人として連行した。

「特務師団の奏手フィーネです。事前の通達通り、尋問室の使用許可を願えますか?」
「はっ、かしこまりました」

 尋問室は牢屋の奥に併設されているらしく、入り口付近の牢屋番とはどうしても接触が避けられない。フードを被って俯かせられているシンクは周りの様子を確認することはできなかったものの、今のところはフィーネの所属や地位もあり、特に疑われてはいないようだ。

「こちらが尋問室の鍵になります」
「ありがとう。それから、私が部屋を使用している間、少し席を外してもらえないでしょうか」
「え……!? ですが、そういうわけにも……」

 持ち場を離れろ、という突然の命令に、当然牢屋番は動揺した。一応仮面をしているとはいえ顔を上げられないシンクからは、フィーネの腰から下しか見えない。彼女は大きく一歩を踏み出すと、牢屋番とつま先同士が触れ合いそうな距離にまで詰めた。

「じゃあ絶対に、どんな音がしても、何が聞こえてきても、部屋を覗かないと約束していただけますか?」
「ヒ、ヒィッ! いえ、その……どうぞ、ごゆっくり! えっと、私は……少し休憩に行ってまいりますので!」

 言いながら、じわじわと二、三歩後退した牢屋番は、最後には早口になって逃げるようにその場を後にした。すれ違い様の勢いでローブの裾がはためいたのを、フィーネがぎゅっと押さえる。

「……あそこまで脅す必要あったの?」

 周囲に彼女以外の気配が無くなったのを確認して、シンクはやや呆れながら口を開いた。

「お、脅してないよ。聞いてたでしょ。別に覗かないって約束してくれるならそれでよかったよ」
「そう? 事情を知ってるボクでも、これから一体何されるんだよって思ったけど」
「違うってば。暴れるのは確定って言ってたから、変に騒ぎになって見に来られたりしたらまずいと思って……」
「ま、いいけどさ。しばらくアンタには悪い噂が立つだろうね」

 シンクが肩を竦めると、手錠がじゃらりと音を立てる。フィーネはそこまで考えていなかったのか、はたまた本気で脅しのつもりではなかったのか、少し不貞腐れたように唇を尖らせた。

「……別にいいよ。どうせ元々悪い噂しかないんだし、私、悪い奴を目指すんだから」
「はいはい、アンタは極端なんだよ。ほら、早く行くよ」

 来た時とは逆に、彼女の前を歩く形で奥の尋問室へと向かう。そして足で蹴るようにして扉を押し開けたシンクは、中の様子を見て一瞬言葉を失った。

「……さすが、あの導師サマが平和の象徴だって言われるだけのことはあるね」

 尋問室と言えば、普通は会話するための机と椅子が置かれているものではないのだろうか。
 剥き出しの石の壁に打ち付けれられた手枷。椅子は椅子でも、不自然なベルトがいくつも取り付けられた、やたらと造りのしっかりした椅子。
 おどろおどろしい器具こそ置かれていなかったものの、そこはまさに拷問部屋と呼んだほうが相応しいような内装だった。


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