アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


36.同じ病を抱えてる(37/151)

 被験者オリジナルと対峙したときに模様を調べることができていれば、わざわざフィーネの手を借りなくても済んだことだった。
 だが実際には物理的にも精神的にもじっくり調べられる余裕があるはずもなく、それどころかむしろ酷い怪我を負わされて、無様に帰ってくるしかなかった始末。当然悔しかったし、自分が情けなかった。それでも前と違ってひたすら惨めな気持ちにならなかったのは、フィーネの件で被験者オリジナルの鼻を明かしてやることができたからだろう。フィーネがシンクに怒ったのだと知るや、これまでのどんな煽りよりも明白に被験者オリジナルは激怒していた。アイツも自分と同じわだかまりをフィーネに抱いていたのだと知って、怒った彼女を知っていることが得意でならなかった。
 そのお陰で燻っていた淡い期待に、賭けてみてもいいかもしれないと思えたのだ。


「おはよう、シンク。体調はどう?」
「見苦しいなら仮面つけるけど」
「そうじゃないよ。だけど……結構元気そうだね。安心した」

(どこをどう見て、何で判断してるんだよ……)

 もちろん昨日氷で冷やしたとはいえ、あざは消えないし腫れも収まっていない。起き上がると体中のあちこちが痛みを訴えたが、シンクはぐっとこらえて朝食の席に着いたのだ。明るくなってから見た自分の顔は、シンク自身ですらもぎょっとする有様で、なるべくフィーネとは視線を合わせないようにして食事の手を進めた。彼女の方も安心したとは言ったものの、なにも怪我を軽く見ているわけでは無いようだった。

「訓練はしばらく休みにしよう」

 そんなことを言われて、シンクは下唇を噛む。

「……そんなわけにはいかない。ボクが何のためにここにいると思ってるのさ」
「強くなるためでしょ。そして私が君の上官で、身体を休めることを命じてる」
「職権濫用だ」
「何と言われても休みったら休み。指導しないから」
「ああそう、それじゃ職務怠慢だね」
「なっ……」

 仕事に対して真面目なフィーネに、どうやら今のは効いたらしい。しかしながら意見を変える気はないみたいで、座学ならしてもいいから、とごにょごにょ言った。

「欲しい本があるならまた借りてくるし、それこそ昨日言ってた協力して欲しいことが身体を動かす系じゃないなら、一緒にそれに取り掛かるのでもいい」
「……」
「えと、嘘じゃ無いんだよね? 私、昨日ちゃんと歓迎会行ったよ?」

 確かに昨夜のフィーネは早すぎもせず、かといって遅すぎもせず、彼女にしてはえらく空気の読めた時間に帰宅してきた。酒も飲めない年齢なのだから最初からそう遅くならないとは思っていたが、もしこちらを気にしてすぐに帰ってくるようなら、シンクはまた追い返してやろうと思っていたのだ。
 けれども文句のつけようがない時間に帰ってきて、しかも朝になるまで話を切り出さなかった。彼女が戻ったときにシンクが寝たふりを決め込んだというのもあるけれど、帰ってくるなりまたあれこれ構われる可能性もあるだろうと覚悟していたのに。

「嘘じゃないよ。これ以上、殴られちゃたまらないからね」

 シンクが肩を竦めると、フィーネは焦ったようにぎゅっとスプーンを握りしめた。

「わ、私だって好きで殴ったんじゃないよ」
「はは、暴力を振るう奴はみんなそう言うんだ。お前のためにやってやったんだって」
「…………ごめん」
「謝られる筋合いはないね。ボクもアンタには八つ当たりしてたんだし」

 別に言葉にして認めたところで、何の贖罪にもならないけれど。
  あちこち切れているせいで沁みる口内を労わりながら、シンクはグラスに注がれた牛乳をちびちびと飲む。「私は……」いつも脊髄で喋っているような彼女にしては珍しく、言葉を探しながらフィーネはゆっくりと口を開いた。

「シンクのそういう、人……いや、どうしようもないところ、すごく良いと思う」
「はぁ? それ、褒めてるつもりなの?」
「うん。なんていうかこう……シンク見てるともっと自分の気持ちに素直になっていいんだなって思える。嫌なことは嫌って言っていいし、気に入らない奴は全員殺すくらいの心持ちで生きていいんだなって」
「っ、」

 いきなり物騒なことを言われて、シンクはちょっと咽そうになった。今のでまだ、言葉を選んだほうなのか。しかも言ったフィーネがなぜか照れくさそうにはにかんでいるものだから、余計に言動がちぐはぐな感じがする。

「……ああそう。アンタがボクをどう見てるか、よくわかったよ」

 こちらもほとんど反射のように嫌味を返したが、戸惑いながらだったせいでいつもほど尖った言い方にはならなかった。

「ほんとに褒めてるんだって。私は自分に嘘ばっかついてたから」
「アンタはすぐいい子ぶるからね、優等生サン。その分、大人からの受けはいいんだろうけど」

 いい子でいなくては、この教団でひとり、生きていけなかったのかもしれないけれど。
 フィーネはシンクの当てつけに対して、驚くほどきれいに屈託なく笑った。

「うん。もういい子でいようとするの、やめる」
「……そんなの、ボクに宣言されても困るんだけど」
「でも、シンクは一緒に預言スコアを滅ぼす仲間でしょ」

 言って、フィーネはテーブルの上に置かれていた自分の仮面に手を触れた。

「前に……どうして仮面をしてるのかって、聞いたよね」
「……あぁ」

 確かあのときフィーネは、自分の顔が嫌いだからだと言った。けれどもその後シンクが見た彼女の素顔は、取り立てて何か酷い欠点があるわけでもなく、むしろどこか上品な感じがして整っているほうだ。
 だから顔が嫌いだなんだというのは、話す気がないから適当にはぐらかされただけだろうとは思っていた。

「私の生家は、預言スコア狂いだったらしくてね、子供ができたとなって、まあ……例に漏れずお腹の中の子の預言スコアを求めたんだって」
「……」
「それで、いざ預言スコアを読んでみると、それはそれは素晴らしい内容だったみたい。一族に繁栄をもたらす――あぁ、えっとうちは一応マルクトの貴族らしいんだけど――そういう感じの内容」
「……で? そんな祝福されたアンタがどうしてここに?」

 普通にそのままいけば、家族のみならず親戚中からも誕生を望まれた子供だっただろう。どのみち預言スコアなんかを信奉している時点で、反吐が出るような思いは拭えなかったが、シンクは続きを促す。

「その預言スコアではね、繁栄をもたらす子供は一人だったんだよ。だけど……生まれてきたのは双子だった。私と兄の二人、生まれてきたの」
「……そんなの、読んだ奴がヘボだっただけじゃないの」
「まぁ、そうなるよね」
 
 フィーネはもっともだ、と言うように深く頷いた。

「ただうちはお金はあったみたいだから、それこそ高名な人に手当たり次第に読んでもらったんだよ。でも、やっぱり結果は変わらなかった。私も孤児院にいたとき一度だけ読んでもらおうとしたけど……どうしてか上手く結果がでなかったし。まぁ、そこで不思議なこともあるものだって流せるような考え方だったら、何も問題はなかったんだろうけど……」

 そこまで言われれば、嫌でもなんとなく予想がついた。
 預言スコア狂い――シンクはまだ、そう呼ぶに相応しい人物をモースしか知らなかったけれど、ときに倫理観すら捨て去るくらい頭のおかしい奴らだというのは身をもって理解している。

「よく……殺されなかったね」

 預言スコアを大人しく受け入れるだけならまだいい。だが、奴らは望む未来の為には完璧でなくてはいけないと考えて、現実のほうを預言スコアに合わせにかかるのだ。
 フィーネは目を伏せ、ほんの少し自嘲っぽい笑みを浮かべた。

「そうだね、幸運だった。私と兄のどっちが預言スコアの子かわからなかったから助かった。あの人たちにとって、私はいざというときの保険でもある」
「……ほんとにロクなのがいないな。どいつもこいつも醜悪で嫌になる」
「だから、顔が嫌いだって言ったのはまるきり嘘だってわけじゃなかったの。兄とは似ているらしいから、出自がバレて面倒を起こして、命を狙われるのも怖かった。自分と似ている兄が選ばれて、自分が選ばれなかったのだと思うと、鏡を見るのも嫌だった」
「……」

 フィーネの告白を聞いて、被験者オリジナルが言っていたことの意味がやっとわかった。
 『選ばれなかった者同士』。
 フィーネが見せた鬱陶しいほどの優しさは、ただの上から目線の同情なんかではなく、同病相憐れむというやつだったのかもしれない。少なくともシンクは今、彼女に対してそういう感情を抱いている。
 それでもフィーネになんと声をかけるべきかわからなくて、苦し紛れに質問をした。

「……なんで急に、話す気になったのさ」
「なんでって、シンクが話してくれるなら、私も話すって前に言ってたし」
「ボクが昨日言ったことを反故にしないよう、退路を断ったってわけ?」

 確かにこんな話を聞かされて、今更自分は言わないだとか、適当に誤魔化すというのは酷い裏切りであるような気がした。
 いい性格してるね、と半分嫌味、半分本気で言ってやれば、フィーネは悪戯が成功した子供みたいな顔で笑う。

「ね? いい子、やめにしたでしょう?」

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