アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


34.無いものねだり(35/151)

 劣等感を刺激されればムカつくし、同情されても腹が立つ。何もできない子供扱いされるのもごめんだし、一朝一夕には埋められない未熟さを自覚するのも耐え難い。
 それらはどれもフィーネの責任ではなかったけれど、どうしても関わる相手が彼女しかいないため、ついつい矛先が向きやすかった。シンクがフィーネに酷いことを言うとき、ポーズなどではなく本当に苛立っていて、自分でも理不尽としか言えない憎しみの感情を抱くことすらあった。けれど、

「面倒だなぁ、また懲りずになぶられに来たの?」
「……」

 被験者オリジナルを目の前にすると、そんなフィーネに対する憎しみなんてただの甘えでしかなかったのだとよくわかる。
 週に一回の、ウンディーネの日。シンクは早くも脇腹が疼くのを感じながら、自分とそっくりな顔をした少年と向き合った。

「死にゆくアンタにボクを鍛えるメリットはないんだしさ、面倒なら断れば?」
「確かにお前みたいなガラクタが、計画の役に立つとはこれっぽっちも思えないね」
「でもそのガラクタに指導するのが、今のアンタの唯一の存在意義ってワケだ。傑作じゃないか」

 お気に入りの導師守護役フォンマスターガーディアンを遠ざけて、酷い計画に幼馴染を巻き込んだ手前、彼女に泣き言を言うわけにもいかなくて。
 今となってはヴァンからの頼みを聞くことだけがコイツの存在価値なのだと思うと、いっそ憐れみすら感じてしまう。
 シンクはわざと煽るようにせせら笑った。いや、憐れみなんて嘘だ。本当はいい気味だとしか思えない。

「……ホント、相変わらず口だけは達者だね」

 だが、シンクよりも濃い緑の瞳に怒りの炎をちらつかせて、被験者オリジナルは信じられないほど綺麗に笑った。

「こっちだって早くこんな訓練、やめにしたいのにさぁ。七番目はさっさと僕の手を離れたのに、やっぱり出来損ないは何をしたって出来損ないなんだってよくわかるよ」
「……」
「カースロット、まだ解けてないんでしょ?」

 被験者オリジナルの言う通り、未だ解呪ができていないどころか、ろくに手がかりも掴めていないのが現状だ。そのことに関して嘲笑われることは覚悟していたが、七番目のことを引き合いに出されて思わず言葉を失う。

(七番目はこれをあっさり解いたっていうのか……)

 導師としての資質で、自分が劣っていることなど最初から知っている。それでも改めて具体的に差を突きつけられると、胸の奥がじわじわと蝕まれるような感覚がした。別にシンクは導師になりたかったわけじゃない。今から七番目と代わりたいわけでも、被験者オリジナルが羨ましいわけでもない。ただ何者にもなれず、何の価値もない空っぽの存在であることが苦しくて、自分にこんな生を強いた全てが憎くてたまらなかった。

「……」
「はは、ショックだった? てっきり自覚してるんだとばかり思ってたけど、火山に捨てられたくらいじゃ足りなかったようだね」
「……安心しなよ。お陰様で、嫌と言うほど知ってるからさ」
「へぇ、それはよかった。じゃあそろそろ、愉しませてもらおうか」

 被験者オリジナルはそう言って、にやりと笑った。とたん、強烈な苦痛が身の内から込み上げてきて、シンクは吐きそうになる。自分を失いそうになるギリギリのところで耐えながら、ちら、と脇腹に視線をやった。やはり発動時には、奇妙な模様が浮かび上がっている。なんとかしてこれを覚えて手がかりに……。
 しかしながらそんな余裕を、被験者オリジナルが与えてくれるはずもない。

「せいぜい無力を味わえば?」

 繰り出された拳に、反射的に身体が動いた。あまりに咄嗟のことで、反撃するなんて頭も回らない。それでも初めて受け止めることができたそれに、被験者オリジナルはまずいものを飲み下したみたいに表情を歪めたのだった。
 

△▼


 七番目がカースロットを解いたというのは本当だったが、何も教わらずに自力で解いたわけではなかった。そもそもイオンは、七番目には直接カースロットをかけてはいない。いや、実際にはかけることを許されなかったと言うべきだろうか。

 あれは苦労の末に、やっと成功した個体なのだ。ヴァンもモースも七番目を傷つけることは許さないだろうし、イオンにしたってあれをうっかり殺してしまうようなことがあれば、何のために今までつらい研究に耐えたかわからない。
 それに七番目の身体の弱さは、今のイオンに負けず劣らずと言ったところだった。ダアト式譜術の訓練でもほとんど身体を動かさないような術ばかりを教えているというのに、それでもぜいぜいと肩で息をし、すぐに顔色を悪くする。そのあまりの情けなさにイオンが腹を立てて詰っても、七番目はすみません……とお行儀よく謝るばかりだった。手が出せない以上、言葉で殴るしかなかったが、どんなに煽っても抉っても張り合いがない。

 イオンの目には、七番目はヴァンにプログラムされたことだけを行おうとする空っぽの人形のように映った。一種の防衛機構が働いた結果なのかもしれないが、少なくともあれはイオンの前では泣きもしないし怒りもしない。だからきっと、七番目にカースロットをかけることができたとしても、何の意味もなかっただろう。
 七番目はイオンを憎んではいない。使命を優先することに忙しくて、イオンのことなどどうでもいいのかもしれない。演技をしていた自分よりもはるかに導師然とした言動を見せられて、純粋に気持ちが悪かった。ひどい皮肉でしかないけれど、憎しみに苛まれている六番目のほうが、よっぽど人間味があるように見えた。

(それに、六番目は……憎たらしいくらいに健康だ……)

 今のイオンが喉から手が出るほど欲しいもの。そして唯一の成功体である七番目すら手に入れられなかったもの。初めから、導師の資質なんてイオンは要らなかった。だから選ばれた七番目には少し同情的な気持ちも湧いたし、妬ましいとは思わなかった。アリエッタはきちんと取り上げたからいい。どうせあれも導師として、散々利用されて死ぬだけだ。だが六番目には、きっとそれ以外の選択肢だってある。

「甘いよっ! フィーネはお前に一体、何を教えているワケ?」

 ようやく深くに入った突き。イオンはそのまま間髪入れず、連撃を当てていく。病さえなければ、本当は六番目なんかに手こずることなんてなかった。でも今のイオンは呼吸が乱れるのを、必死で気取られないようにしなければならない。
 悔しかった。憎らしかった。六番目はどうして教団にいるのだろう。イオンが心底望んだ、導師としてではない健康な生を受けたくせに、どうしてまだここに居座ろうとするのだろう。無意識下でもイオンのよく知る幼馴染と似た構えをして、これ以上こいつは何を奪おうっていうのだろう。

「出来損ないなんだからさぁ、せめて役に立って死になよ!」

 殺しても構わないくらいのつもりで殴りつけると、六番目は壁際まで吹き飛んで、それでちょっとだけ胸のすく思いがした。深く息を吸って乱れた呼吸を整え、イオンは奴のほうへと近づいていく。カースロットは発動させたままだから、起き上がろうにも身体の自由が利かないみたいだった。

「あーあ、可哀想なフィーネ。一生懸命指導したのに、その結果がただのサンドバックだなんて報われないよねぇ」
「っ……」
「いや、ホントに可哀想なのはお前の方かな。もっとマシな奴に指導してもらえばよかったのに、フィーネが甘いからこうなったんだ。……僕からヴァンに言ってやろうか?」

 そんなふうに鼻で笑ってやると、六番目は無様に床に転がったまま、顎を上げて噛みつくように言った。

「……フィーネを、悪く……言う、なっ」
「……へぇ、」

 意識の飛びそうな苦しみを味わいながら、わざわざ力を振り絞って何を言うかと思えば。

「うまく手懐けられてるみたいだね」

 もっともその態度は、余計にイオンの神経を逆撫でするものでしかなかった。
 イオンは六番目の近くにしゃがみ込んで、乱暴な手つきで髪を引っ掴む。そうして、無理にあげさせた耳元に、重大な秘密を打ち明けるみたいに囁いた。

「まぁ、フィーネはなんだかんだ優しいからね。ちょっと責めればすぐ謝るし、気まずくなっても翌日にはすぐ忘れてるし、酷い言葉をぶつけてみても、怒ったり泣いたり全然しない。お前みたいなガラクタでも、受け入れられてるって勘違いするのはわかるよ」
「……」
「だけど教えてやるよ。フィーネが怒らないのは、なにもお前のことを大事に思っているからじゃない。逆なんだ、お前なんか心底どうでもいいんだよ。残念だったね」

 きっとこいつには肉体の痛みより、精神の痛みのほうが効くだろうから。
 強く掴んで引っ張り上げたくせに、放すときはゴミを捨てるみたいにあっさり手を放した。床に顔を伏せた六番目を見下ろして、いい気味だなんて思う。

「さて、今回はこれくらいにしておいてあげるよ」

 イオンはぱんぱんと手を払うと、六番目に背を向けた。別にこいつがカースロットを解けなくても、ダアト式譜術を会得出来なくてもどうでもいい。初めから六番目は計画に必要とされていなかったのだから、ヴァンに何を言われてもやっぱり才能がなかったと言ってしまえばそれで済む。
 イオンが自室に戻ろうと、一歩踏み出した瞬間だった。

「ふふ、はは……はははは!」

 背後から堪えきれないというような笑い声が聞こえてきて、まさか頭がおかしくなったのか? と思った。振り返ってみても、六番目はまだ笑い続けている。相変わらず膝をついたままだったけれど、奴はこちらを見てハッキリと言った。

「幼馴染なのに知らないんだ? フィーネは怒るし、泣きもするよ。しかも怒ったら言葉より先に手が出るから、性質タチが悪いんだ」
「……」

 咄嗟に嘘だ、と思った。そりゃあ多少ムッとしたり、うんざりしているのは伝わってくるけれど、イオンですら手をあげられたのはレプリカ計画を披露したときが初めてだった。付き合いの長さで言えば六番目とは比べ物にならないのだから、自分のほうが彼女のことをよく知っているに決まってる。フィーネが感情を揺らすほど、そう簡単に他人に踏み込んだりするわけがない。
 それなのに、ただこちらを苛立たせるための演技にしては、六番目は心底愉快そうに笑っていた。

「どうでもいいって思われてるのはさ、ホントはアンタのほうなんじゃないの?」
「……」

 イオンは今度は身体全体で振り返り、六番目に向き直る。
 自分でもそうと意識しないうちに、殺してやる、と呟いていた。


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