アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


03.薄情者の妄想(4/151)

 フィーネのほうからイオンの元を訪ねるのは、記憶にある限り、かなり久しぶりになるだろう。そもそも立場が違うというのがある。加えて、教団内でのフィーネの評判はあまり良いものではなかった。仕事に関しては問題がないが、とにかく人付き合いが悪く、おまけに常に顔を隠すような仮面をつけていれば遠巻きにされても無理はない。幸い、所属する第六師団の師団長カンタビレが実力主義のため、所属の中で肩身の狭い思いをすることはなかったし、フィーネの勤勉さを知る部下達からは信頼もされている。が、フィーネのことをよく知らない者からすれば、得体の知れない女が温厚な導師と懇意にしているのは不審でしかない。導師に理想を押し付ける人間は、導師の周囲にいる人間の質にもとても厳しいのだ。
 だからフィーネは自分のせいでイオンが少しでも悪く言われないよう、なるべく自分からはイオンに近づかないようにしていた。彼が重圧に耐えられなくなればいつでも助けるつもりでいたし、愚痴だっていくらでも聞くつもりではいたが、心のどこかで彼にはアリエッタがいるから大丈夫だろうと過信していた。
 
 けれども、そのフィーネの思い込みはいとも簡単に覆る。最後に彼がフィーネの元を訪ねてきてから二か月後。いつもはイオンから離れようとしないアリエッタが、泣きながら一人でフィーネに助けを求めてきたのだ。

――フィーネ、お願い……イオン様を
――アリエッタ? 一体何があったの?
――イオン様、寝込んでて……。アリエッタでも、会っちゃダメって……でも、フィーネならもしかしたら……

 アリエッタがイオンに対してどういう感情を抱いているかは、流石に鈍いフィーネでも知っていた。二言目には自分がイオンの導師守護役フォンマスターガーディアンだと口にするので、てっきり初めは仕事に意気込んでいるのだと思っていたが、それも続けば嫉妬による牽制だとわかる。種明かしされれば、いじらしくて可愛いものだった。アリエッタの嫉妬心を煽るために人をダシにするイオンの振る舞いにはたまにうんざりさせられたが、たとえちょっぴり敵視されても、彼女の愛や忠誠心は微笑ましいものだと思っていた。だから、そんな彼女がイオンのことでフィーネを頼ってくるなんて、余程のことが起きたに違いない。

――寝込んで……? でも、確か公務には出ているはず……
――無理、してるです。終わったらすぐ、自室に閉じこもって、アリエッタも入れてもらえない……
――導師守護役フォンマスターガーディアンでも駄目ってそんな

 それでは、アリエッタを遠ざけているというのはイオンの意思ということになる。プライドの高い彼が自身の体調不良を隠すのは想像できるが、それにしてもやりすぎた。返ってアリエッタを心配させ泣かせてしまっている。それとも、本当になりふり構っていられないくらい、イオンの状態は思わしくないのだろうか。二か月前はそこまでには見えなかったし、イオンも何も言ってはくれなかった。いや、二か月前で情報が止まっている時点で、フィーネに友人の水臭い態度を責める資格はないのかもしれない。

――わかった。私も会えないかもしれないけど、イオンを訪ねてみる
――ありがとう、フィーネ……

 ひとまずアリエッタを泣き止ませ、フィーネはその足でイオンの元へと向かった。導師の私室のある階へ向かうには、専用の譜陣を利用する必要があり、もちろん簡単には行けないよう鍵となる言葉が必要になっている。フィーネは口の中で小さく唱え、遠い昔に聞いたそれをよくもまぁ覚えていたものだと我ながら感心した。


 迷子になりそうなほど教団内は入り組んでいるとはいえ、同じダアトの建物の中にいるのだ。譜陣もあるし、その気になればあっという間の距離である。しかし、イオンの部屋へと向かうフィーネの足取りはとても重かった。勢いのまま飛び出したはいいものの、一歩一歩と彼の部屋に近づくたびに不安な気持ちがこみあげる。もしアリエッタがこうして泣きついてこなければ、フィーネはちゃんとイオンの異変に気付くことができただろうか。しばらく愚痴を言いに来ないからといって、自分から彼の元を訪ねる気になっただろうか。
 イオンの立場を慮ってとか、アリエッタに遠慮してなんていうのは結局のところ言い訳でしかない。フィーネが薄情者であることには変わりない。だからどうか彼がそこそこに元気で、友達甲斐のないフィーネにいつもの皮肉のひとつやふたつ、ぶつけてくれればいいと思う。我ながら実に虫のいい妄想だった。

「失礼ですが、ここから先はお通しできません」
「……怪しいものではありません。私は第六師団副師団長、奏手フィーネです」
「も、もちろん、存じております。しかし誰であっても通すなとの命令なのです」

 訪ねてみるとイオンの部屋の前は警備兵たちが固めていた。彼らはフィーネの行く手を阻みながらも、礼節を持って背筋を伸ばす。一瞬、認識されていたことに驚いたフィーネだったが、おそらくはこの仮面のせいだろう。騎士団の鎧兜とは違う、明らかに顔を隠すことが目的なそれは、やはり悪目立ちする。しかしそんな理由から知名度はあっても、ここを通れるだけの権力はない。

「イオンは、導師はそんなに悪いのですか」

 今すぐこの目で確かめたいが、無理矢理押し入るわけにもいかなかった。フィーネが聞けば、兵はそのようです、と曖昧な返事をする。

「聞けば、導師守護役フォンマスターガーディアンですら遠ざけているそうですね」
「はい。それがご命令なのです」
「……導師が、本当にイオン様がそう言ったのですか」

 フィーネが詰めよれば、警備兵は困ったように顔を見合わせる。容態すら伝聞系でしか答えられない彼らが、直接イオンと言葉を交わしたとは思えない。だが裏を返せば彼らをいくら詰めても得られる情報はないということになる。
 フィーネがどうしたものかとしばし逡巡した、その時――

「誰が訪ねてきたのですか」

 部屋の中から聞こえてきたイオンの声に、警備兵は慌てて振り返った。「私! フィーネ!」兵が何かを答えるより早く、チャンスとばかりに声を張る。部屋の前で粘ったのが功を奏したのだろうか、いずれにせよイオンが許可を出せばここは通れる。声を聞く限りはまだ元気そうであるし、彼の性格であれば珍しい客人に嫌味の一つも言いたくなるに違いない。

「……通してください」

 やがてしばらくの沈黙の後、聞こえてきた許可の言葉に兵は扉の前から退けた。
 それに小さく頭を下げ、ノブに手をかけたフィーネだったが、少し違和感を覚えていた。フィーネが名を告げた後の沈黙はなんだったのだろう。イオンが会うのを躊躇った?
 だが、浮かんだ疑問に答えを見つける前に、ベッドから身を起こしている彼と目が合って、そのままフィーネは後ろ手でぴったりと扉を閉めたのだった。



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