アンチ・アンチナタリズム
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33.精鋭ぞろい(34/151)

 人員規模も大きく、武闘派揃いの第六師団。それに対して、特務師団は少数ながらも精鋭揃いだと言われている。しかしながら異動後しばらく指導する立場になってみて、精鋭と言っても特別抜きんでて強い者が集められているわけではないのだな、というのがフィーネの正直な感想だった。

 第六であれば当たり前の訓練でもかなりきつそうにこなしている者が多いし、体格に関しても引き締まってはいるものの、全体的に細身の者が多い。性質的にも血気盛んというようなタイプは一人もおらず、強いて言えば譜術適性がある者の割合が多いくらいだろうか。このままではいざというとき、彼らは自分の身を守れないかもしれない。
 そんな危機感すら感じていたフィーネの考えが変わったのは、師団長であるアッシュが珍しく指導にやってきたときのことだった。


「師団長、これは一体……何の訓練なのですか?」

 招集されたのはいつもの訓練場ではなく、騎士団本部にある応接室。
 いつもの団服とは違うきっちりとした恰好に身を包んだアッシュは、ソファーに腰を下ろしてまぁ見ていろ、と言う。その様子がいつもとあまりに違うものだから、フィーネは困惑し、ソファーの後ろに立ってひとまず成り行きを見守ることにした。

「では、準備の出来たものから前へ出ろ。挨拶を始めた時点から開始とする」

 アッシュの宣言で、壁際に並んでいた部下たちが微妙に目くばせをしあう。ただそれもほんの一瞬のことで、すぐさまその中の一人が前に進み出た。

「シルフの愛する自由に相応しきこの日、始祖ユリアのお導きによる出会いに、祝福を賜らんことを。お久し振りに存じます、ローエンシュタイン卿」

 彼は左足を下げ、膝を曲げてストレッチにも似た姿勢をとると、右手をくるっと宙で一回転させ身体の脇で伸ばす。そしてそのまま腰から身体を曲げるようにして、お辞儀をして見せた。明らかに軍隊式のものとは異なる礼の仕方だった。

「心からの祝福を。また、ルントシュテット卿にユリアの更なるお導きがあらんことを」

 アッシュはそれに小さく頷くと、まるで演劇の一幕を演じるかのように返事をする。彼の口からユリアの名が出たことにも驚いたが、フィーネを除く部屋の中の全員が、この奇妙なやり取りを当然のものとして受け止めているのが信じられなかった。

(な、なんだこれ……)

 正直、フィーネはぽかん状態だったけれど、二人のやり取りはどんどんと進んでいく。執事役のつもりなのかまた別の部下が空のティーカップを用意したことで、疑似的にサロンが開かれたような状態になる。

 おそらく、この訓練は上流貴族のマナーを身に着けるための訓練なのだろう。それにしてもいつもの仏頂面と違って、にこやかとまではいかないものの明るく振舞うアッシュの姿に、フィーネは内心かなり動揺していた。

「驚かれましたか? みんな、最初はそうなんですけど」

 ティーカップを用意した部下が、退きざまにこっそりと耳打ちをする。フィーネは素直にこくこくと首を縦に振った。

「これは、その……特務師団は諜報のようなこともするから?」
「そうですね。機会はそう多くないですが、結局、戦争というものは一部の天上人が決めて起こすものです。ですから、そういった二国間の動きや事情を掴むために、貴族社会に潜入することもあります」
「……知らなかった」
「無理もありません。任務の性質上、同じ騎士団内でも内緒のことが多いですからね」

 なるほど、それで元キムラスカ貴族らしいアッシュが師団長職についていたのかとか、フィーネにマルクト貴族がどうこう言ったのかとか、今まで謎に思ってたことが腑に落ちた気分だった。精鋭というのは何も戦闘だけのことではないのだ。言われてみれば確かにその通りなのだけれど、一旦理解するとフィーネは急にこれまでの自分が恥ずかしくて仕方がなかった。

(そもそも私が期待されていたのは、こういうことだったんじゃ……)

 キムラスカにはキムラスカの、マルクトにはマルクトの文化がある。諜報活動をするならそのどちらも身に着けているに越したことはないし、現にアッシュは最初からフィーネの出自を把握していた。

(どうしよう、こんなの私できない……というか、何も知らない)

 貴族社会に溶けこむどころか、フィーネは交流を積極的に避けてきたのだ。教団の活動としても関わるのを避けるために、イオンの導師守護役フォンマスターガーディアンになるのすら辞退した。いくらこの身に貴族の血が流れていようと、血だけで所作や知識はどうにもならない。
 アッシュと団員の一通りのやりとりが終わる頃には、フィーネは恥ずかしさから一転、仮面の下で青ざめていた。


「……と、まぁこんな感じだ。うちはこういうこともやっている」

 普段通り仮面をしているため、振り返ってこちらを見たアッシュにはフィーネの表情は見えない。どのみち仮面が無かったとしても、フィーネが素早く頭を下げたものだから、結果は同じだっただろうが。

「申し訳ありません!」
「……なんの真似だ?」
「私では師団長の期待に応えられないと思いますので、先に謝らせていただきました。また、これまで見当違いの訓練を行っており、団員の皆様にも大変ご迷惑をおかけしました」

 そう言って、今度は控えていた部下たちのほうにも頭を下げる。上の者が簡単に頭を下げるべきではないというのはわかっているが、この件に関しては完全にフィーネが指導法を間違っていた。
 ざわ、というどよめきが部屋の中に起こる。

「そ、そんな! 副長、頭を上げてくださいよ!」
「そうですよ! 最初はキツいと思ったけど、諜報中は武器とかなかなか持ち込めないのがザラだし、副長は護身メインで教えてくださってたのでものすごく為になりました!」
「堅苦しいマナーの練習より、身体動かすほうが俺は好きです!」
「だけど……」

 みな口々に慰めの言葉をかけてくれるが、フィーネとしてはすぐには割り切れない。これまでは知らなかったから許されるとしても、この先特務師団の為に役立てることなどあるのだろうか。
 フィーネが肩を落としていると、アッシュははぁ、と大きなため息をついた。

「俺は最初に、うちはそう堅苦しくないと伝えたはずだが」
「だって……いや、もしかしてそれも貴族特有の嫌味みたいなやつでしょうか?」
「ふん、屑相手にはそういう言い回しをすることもあるな。だが、今はマナーの訓練中じゃない」
「そうですよ、普段の師団長は『屑』とか『アホ』とか平気で言いますからね」
「うるせぇ」

 確かに今のアッシュからは、格式ばった感じはしない。彼はエメラルドみたいな深い緑の瞳でこちらを見つめると、諭すような口調で言った。

「別に今日は、お前に役立たずの烙印を押すためにやったんじゃねぇ。特務師団にいる以上、いずれは知ることだった」
「はい……」
「そして、今までのお前の働きが無駄でなかったことも、こいつらの態度を見ればわかるだろう」

 ちら、と部下たちのほうに視線をやれば、彼らはうんうんと頷いている。
 てっきり怖がられているか疎んじられているかと思っていたフィーネは、それを見て鼻の奥がつんと痛くなった。最近、他人と関わることが増えて、どうも感情に呑まれやすくなった気がする。
 ただでさえ年下の上官で目障りだったろうに、彼らにとっては不必要なほど厳しい訓練だったろうに、なんて優しい人たちなんだろう。
 
「……ありがとうございます」
「別にお礼を言われるようなことじゃないですよ。なぁ、みんな」
「特務師団には、性格による選抜もあるんでしょうか……?」
「はぁ?」

 かなり真面目にそう思って聞いたのに、アッシュは思い切り変な顔をした。部下達からは笑いが起きた。

「そうそう、ずっと機会を逃してたんですけど、いい加減に副長の歓迎会しましょうよ」
「え!」
「来週のウンディーネの日なんてどうです? あ、もちろん師団長も参加ですからね」

 まさか、今になって歓迎会の話が出てくるとは思わず、フィーネは口を開けた。
 ウンディーネの日。最近は午前も午後もフルに活動をしているが、その曜日であればシンクが別で訓練を受けているため少し手が空く。テント暮らしをするようになってからは夢見の悪さも落ち着いてるようだし、とフィーネは色々考えてから、ゆっくりと頷いた。

「是非お願いします。ありがとう、とても嬉しいです……」


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