アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


32.謝る謝らない(33/151)

「……と、まぁ、こんな感じ」
「ダウンさせるどころか殺したよね」
「それはそれで悪い結果じゃないし……」

 ダウンこそ取れなかったものの、動きやフォームを見せる分には全く問題なかったはずだ。シンクは呆れた様子だったけれど、フィーネはそれ以上の指摘を封じこめるように説明を続ける。

「掌底の使い方自体は、避ける訓練の頃にも少しやったよね。あのときは受けや押さえがメインだったけど、基本的な部分は変わらないの。張り手とは違って、掌の手首に近い部分を使う。少し思い出しがてらやってみよう」

 言えば、シンクは組んでいた腕をほどき、腰を軽く落として構えの姿勢をとろうとする。だが、シンクの準備が十分に整う前に、フィーネは既に駆けだしていた。
 まずは上段刻み突きから上段逆突き。これはギリギリのところで流されたが、流石に反撃にまでは至らなかったようだ。立て続けに上段ばかりを攻めたところで、相手の外側に右足を踏み込み、中段逆突き。いい反応速度だった。フィーネは知らず知らずのうちに、思わず口元に笑みを浮かべる。

「打ってきていいよ」
 
 別に挑発のつもりはなかったけれど、それを聞いてシンクは小さく舌打ちをした。こちらが攻撃の手を緩めると、すぐさま容赦のない攻撃が始まる。いきなり中段回し蹴りから、着地と同時に上段刻み突き。悪くない繋げ方だ。けれどもやはりまだ、掌底での突きには甘さがある。
 双撞掌底破を物にするには、初撃で確実に敵の動きを止められるだけの威力が欲しい。

「うん、いいよ」
「っ、全部受け流しながら言わないでくれない?」
「少し形を見直そう」

 受けた流れでそのまま動きを止めさせて、フィーネはシンクの腕をとった。打撃の際は、腕をやや内側に捻ると筋肉が固くなり威力が増す。そのまま指の位置も整えようと手を握ると、シンクは少しびくりとした。

(あ、触られたくなかったんだ)

 その反応に一瞬、訓練モードから我に返ったが、とはいえこれは指導に必要なことだ。気づかなかったフリをして、フィーネは正しい位置に指を揃える。

「親指は手の甲の方向に強く引きつけるようにすると安定するよ。それから突き指しちゃうから、人差し指から小指までは軽く曲げて爪が前を向くように。ちょっと意識して素振りしてみて」

 言われた通り、シンクは指示に従う。おかげで先ほどよりはずっと良くなった。何度か同じ型を試した後、シンクにもその辺のデスビーで練習してもらう。

「まずは最後までやろうとしないで、初撃で敵の動きを止めることを目指して」

 これでも十分、難易度の高いことを言っている。敵の動きを止めるには人間でいう顎や心臓に衝撃を与える必要があるが、魔物相手であれば急所も異なり、当てられる範囲も狭い。
 実際、シンクが掌底を打ち込んだデスビーは、ダメージこそ与えたものの動きを止めるまでには至らなかった。二匹目も同じ。三匹目、四匹目と繰り返しても、なかなか綺麗に急所に入らない。

「いいよ、良くなってきた」

 辺りのデスビーをほとんど狩りつくした頃、フィーネは言った。成果としては五回に一回くらい、動きを止められるようになったというところだろうか。初日のことだし、実際の魔物を相手にしてこれなら申し分ない結果だ。だからフィーネとしては本心から褒めたのに、シンクはあからさまにムッとした気配を漂わせた。
 
「……なにそれ、ご機嫌取りのつもり? 無理に褒められても癪に障るだけだってわからない?」
「訓練の時にご機嫌取りなんてしないよ。それになにも百点の時しか褒めちゃいけないって決まりはないし」
「ああそう、確かに訓練のときのアンタは別人だったね。でも普段はしてるってワケだ。部下の機嫌も管理しなきゃいけないなんて上も楽じゃないね、ゴクロウサマ」
「え?」

 訓練中の素直な態度から一変、やたらと刺々しい口調で返されてフィーネは面食らう。
 ただ素直に褒めただけなのに、一体どうしてこんなに突っかかられているのだろうか。フィーネとしては普段の態度にしたって、シンクをおだてて思い通りに動かそうなんて意図はない。ただ単に喧嘩をして仲が悪くなるのが嫌なだけだった。これ以上、嫌われたくないだけだった。もしかしてそう思うこと自体が『ご機嫌取り』に当てはまってしまうのだろうか。

「えと、その……訓練の時に、っていう私の言い方が悪かった、ごめん」
「……」

 余計な一言が多いとか。言葉選びが壊滅的にまずいとか。
 だいたい後の祭りであることが多いけれど、一応フィーネ自身にもその自覚はあった。だから謝ったのに、シンクの無言が痛い。「……アンタは、」たっぷり間を置いて、彼はどこか腹を決めたように口の端を下げた。

「アンタは他人に甘いし、簡単に謝ってばっかだ」
「……え」

(それって良いことじゃないの?)

 もちろんすぐに謝るのは良くない場合もあるだろうが、自分の非を認めない奴だと言われるよりはずっといいのではないだろうか。それに他人に甘いと言われても、特務師団の部下達はきっと首を振ると思う。
 フィーネがなんて返したものかわからず戸惑っていると、シンクは苛立ったように拳を握った。

「腹が立った時や自分が悪くないときは、ちゃんと怒ればいいだろ。前々からアンタのそういうとこ、気に入らなかった」
「……もしかして、朝に無視したことで怒ってるの?」
「違うね。怒る価値もない、優しくしてあげないとってアンタがボクを憐れむからさ!」
「憐れんでなんか……」
「フン、無いって言いきれるワケ?」
「……」

 絶対にない、とは言い切れなかった。だって、フィーネはシンクの生まれを知っている。火山に捨てられたことも知っている。純粋に揉め事を避ける性質であるというのもあったが、心のどこかでシンクはつらい思いをしたのだから、という遠慮があった。そういう、腫れ物に触るような態度が彼をずっと苛立たせていたのだろうか。
 フィーネがごめん、と口にすると、ほらまただと言わんばかりにシンクの唇が歪んだ。確かに、フィーネは簡単に謝りすぎるのかもしれない。彼に指摘された通り、シンクを可哀想だと思っていた節があるのかもしれない。けれども、これまでのフィーネの言動の全部が全部、同情からの代物というわけではなかった。
 それがシンクにちっとも伝わっていないことが、なにより悔しくて腹が立った。

「……わかった。じゃあ、言わせてもらうけど、」

 フィーネは深呼吸した。次の瞬間、シンクとの距離を詰めると、利き足を半歩さげて軽く腰を落とす。「は?」そして、小さく声を上げたシンクに構わず、思い切り掌底を叩きこんだ。

「ぐっ!?」

 実際、掌底というものは、鳩尾に限っては打ちにくい場所とされている。ただ場所で加減をした分、威力では加減をしなかった。きっと痛くない程度の力だったら、また憐れんでいるだとかややこしいことを言われるだろう。衝撃で思わず地面に膝をついたシンクを見下ろして、フィーネもフィーネで覚悟を決めた。

「ほんとは私だって、シンクに腹が立つこといっぱいあるよ! それこそ意地悪ばっか言うし、人を馬鹿にした態度をとるし、いっつもよくわかんないことで不機嫌になるし! これでいい?」
「……っ、だからって、普通いきなり、殴る……? っ、頭おかしいでしょ」

 不意に腹を圧迫されると、呼吸は一瞬止まるものだ。シンクは鳩尾を押えたまま、喘ぐにように言葉を吐く。そうやって痛みに震えている様を見ても、今回のフィーネは彼を可哀想だと思わなかった。そんな余裕がなかったのかもしれない。堰を切るように、感情が溢れ出す。

「だって、私が本当にシンクのためを思って言ったことでも伝わらないんだから、口で怒ってるって言っても伝わらないかもしれないじゃない!」
「……っ、無茶苦茶だ」
「無茶苦茶なのはシンクのほうだよ! 私はできるだけ、仲良くやろうと思ってるのに、シンクは私のことずっと大嫌いなままだしさ! 良かれと思ってやったことでも憐れんでるって言われるんじゃ、も、もうどうしていいか、わかんないよ!」

 仮面をしていたから顔は見られずに済むし、フィーネは頬を伝って顎にまで流れてきた雫を乱暴に拭うだけでよかった。感情が高ぶって泣いたのは久しぶりだ。それだけ長いこと、フィーネは誰ともぶつからないようにのらりくらりと生きていた。そのせいでやっとイオンに怒ったときにはもう色々なことが手遅れだったし、今回こうやって怒ってみても関係改善するには遅すぎたのかもしれない。
 フィーネは言うだけ言ってしまうと、シンクの反応を見たくなくて背を向けた。本当は耳も塞いでしまいたかった。こっちは仲良くしたいと思っていない、大嫌いだ、迷惑だと言われるのが簡単に予想できた。けれど、

「……こっちだって、わからないんだよ」

 背後から聞こえてきたシンクの声は、フィーネの今の心境以上に心細さを漂わせていた。

「なんでアンタが劣化品のボクと仲良くしようとするのか……それがわからないから、気味が悪いんだよ」
「逆になんで、一緒に暮らしてて仲良くしようって思わないの。好き好んで人に嫌われたがる人なんていないよ」

 だいたい劣化品と言われても、フィーネは初めから代わりの導師なんか必要としていない。レプリカ自体がという意味だとしても、普通の人間と何が違うのかいまいちわからなかった。シンクは努力家で、負けず嫌いで、根性があるし、頭だって良い。皮肉屋で意地っ張りだから絡みづらい部分はあるけれど、フィーネが特務の部下に厄介者扱いされていると勘違いして気を悪くしていたこともあった。良いところだっていっぱいある。それがわかっているから、フィーネだって仲良くしようと努力してきた。本音を言えば、他人とどうやって関わればいいのかなんて、フィーネにだってわからなかった。

「……前にフィーネのこと、大嫌いだって言ったけど、」

 フィーネが背を向けたまま肩を震わせていると、ぼそぼそといつもより低い声が聞こえてきた。

「あれ……本気で言ったわけじゃないから。……なんでそう、全部真に受けるのさ」
「それって、私が悪いの?」
「……違うけど。訂正はしたからね」
「……」

 それを聞いたフィーネはもう、色んな感情がぐちゃぐちゃになって言葉が出てこなかった。ただ、ほんっとシンクは全然謝らないなぁと思った。
 ここまでくると腹が立つを通り越して呆れる。ちっとも可笑しくないのに、うまく脳が処理しきれず笑ってしまったかもしれない。とにかく嫌われてなくてほっとしたのと、シンクの言い草に馬鹿馬鹿しくなったのとで、息を吐いてその場にしゃがみ込んだ。今はただこの混乱を鎮めるために、もう少し泣いていたかった。

「……ちょっと休憩」
「……」
「……落ち着いたら、ダアトに戻ってテント借りてくる」
「っ、アンタって、」
「うるさい。今度はちゃんと二つ借りてくるからそれで文句ないでしょ。まだあるなら受けて立つから」

 力で解決しようとするのは本当は良くないことだ。でも言葉だって十分に人を傷つけるのだから、今回ばかりはおあいこだろう。
 シンクは少しの沈黙の後、わかったと短く返事をした。

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