アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


31.加減が大事(32/151)

 友達とまでは言っていいのかわからなかったが、他愛のないことを笑って話し合える相手ができて、フィーネは正直舞い上がっていた。けれどもよく考えればシンクとは朝気まずい形で別れたきりだし、それを忘れてはしゃいでしまったのは空気の読めない振る舞いだっただろう。そう思ってフィーネは素直に謝ったのに、シンクの眉間にはますます皺が寄るばかりだった。

「……なんで、アンタが謝るのさ」
「その、ウザかったかなと思って」
「……」

 シンクのペリドットのような瞳がどんどん影を帯びて、話せば話すほどドツボにハマっていく気がする。もはやそれ以上、なんて言っていいのかわからなかった。普通に考えればシンクの機嫌とフィーネに良いことがあったのは全く別の関係ない話なのだが、その良いことの中身について、フィーネは多少後ろめたさがある。 

(イオン様と楽しく話してきたなんて、絶対に言えない……。聞かれても話せないんだったら、最初から嬉しいって気持ちを表に出すべきじゃなかった)

 隠し事をするみたいで気分は良くないけれど、知ればシンクは傷つくだろう。かといって、シンクの為にイオン様を突き放すというのもフィーネにはできなかった。彼が生まれたのはやはり彼のせいではないのだし、導師の素養を強く持っていたことも彼が選んだことではない。フィーネはシンクの生に責任を感じているように、イオン様の生にも責任を感じていた。導師というのは決して傅かれるだけの楽な仕事ではなく、既にいた誰かの代わりを務めるというのも、十分苦しいことに違いないからだ。

「ごめんね、変な感じに絡んじゃって」
「……何かあったんでしょ。朝、誰か来てたし」
「え、あ、うん。あれはアニス奏長って言って、後任の導師守護役フォンマスターガーディアンの子で……」

 やはりというべきか、その役職名を聞いただけでシンクは唇を歪めた。

「また導師守護役フォンマスターガーディアン? 新しいほうは昔の知り合いってわけでもないだろうに、アンタよく縁があるね」
「ぎゅ、牛乳。前にかかって帰ってきたことあったでしょ。あれ彼女とぶつかったからなの。その縁でちょっと仲良くなって」
「ふぅん。それでアンタ、友達ができたかもってはしゃいでたんだ?」

 ものすごくギリギリの正解を突かれて、フィーネはちょっと答えに窮した。シンクの言ったことはあながち間違いでもない。アニスとも一緒に朝食をとって、呼び捨てを許されるくらいの仲にはなったし、そうなれたことは素直に嬉しいと思っている。

「アンタの一方的な勘違いじゃないといいね」

 フィーネがすぐには返事しなかったのをどう捉えたのか、シンクは腕を組んで鼻で笑った。それは相変わらずのひどい物言いだったけれど、先ほどよりは随分険がとれたように見える。少なくともこれ以上詰められることはないようだった。フィーネはホッとして、これ幸いと話題を変える。

「で、お腹の空き加減はどうなの?」
「別に。普通」
「よかった。じゃあこのまま外で食べよう」

 明るすぎず、かといって気まずくならないように少しは声を弾ませて。
 シンクは今度こそ否定の言葉を発しなかった。それ自体はよかったが、シンクを気遣ってテンションの加減をしなくてはいけないのは、ちょっと疲れるなと思ってしまう自分がいた。
 

△▼


「今日もFOF技やるの?」

 食事を終えて、少し一服して。
 準備運動を一通り済ませると、早速シンクから今日のメニューについて質問が飛んでくる。

「ううん。あれは紹介程度のつもりだったの、今後の連携とか考える参考にね。実戦で使えるようになるのはまだまだかかるだろうし、今日は格闘メインでやるつもりだよ」

 これまでの経験から、フィーネは人に合わせて指導のやり方を変えるようにしている。少し頑張ればできる範囲のことを一つずつ積み重ねさせて、いつのまにかゴールにたどり着いているというような方法と、逆に最初に遠くのゴールを見せてしまい、そこにたどり着くための方法を本人にも試行錯誤させ、目的意識を持って取り組ませるやり方だ。

 前者は成功体験という意味でやる気を失わせにくいが、信頼関係ができていなければ何のためにやらされているのかわからないという不満に繋がりやすい。後者は学習の効率は良いけれど、先に遠大なゴールを見せることで自分にはできないと思い込んでしまう可能性もある。また、いくらゴールを見せたとしても、自分で道筋を考えられるかどうかは別の問題だ。
 フィーネはシンクの性質的に、後者のやり方がいいだろうと考えていた。

「譜術を使う以外にも物理攻撃に属性を持たせて、フィールド上に音素フォニムを溜めていくこともできるの。あらかじめ武器や装身具にほぼ完成形の譜を仕込んでおいて、攻撃と同時にフォンスロットを開いて最後の仕上げをすれば、素早く属性攻撃ができるって感じね」

 この方法は便利と言えば便利だし、譜術の詠唱が苦手な人でも使える方法になる。一方で下準備が要る分、武器によって使える技や属性が固定されてしまい、臨機応変な戦闘にはあまり向かない。また、いくら詠唱を簡略化できるとはいえ、無属性の攻撃よりは動作が遅くなるし、消耗も激しくなるというデメリットがあった。

「武器? アンタって何か使うの? 見たことないけど」
「一応、騎士団員として一通りは習ったから全く使えないわけじゃないけど、私は拳士だから基本は素手だよ」
「……あのさぁ、言ったこととすぐに矛盾するのやめてくれない?」
「まぁ聞いてよ。私の場合は、最終的に武器を失っても戦えるようにしていた方が便利だなってとこに落ち着いただけで、敵がそうしてくるってこともありえるって話」
「はいはい」

 シンクは呆れたように肩を竦めると、ごくごく自然な動作で腕を組んだ。おそらくこれは彼の癖なのだろうし、言えば絶対に怒られるので言わないが、腕組みをしていると狭い肩幅や細い腰まわりが目立って華奢な印象に見える。今後成長すればどうなるかはわからないが、シンクも下手に武器を使うよりは拳士として身軽さを売りにした方が良いような気がしていた。少なくともフィーネが拳士のクラスを選んだのは、武器を振るうほうが負担だし、長物となると身長的にも扱いに困ったからだ。

「じゃあ、やっぱりアンタは譜術で音素フォニムを溜めるしかないってワケ?」
「グローブとかに譜を施そうと思えばやりようはあるけど……譜術のほうが効率がいいの」
「でも、詠唱には時間がかかるという欠点がある」
「そう。じゃあ時間を稼ぐためにはどうすればいいと思う?」

 フィーネが問えば、腕を組んだ姿勢のまま、シンクはちょっと動きを止めた。

「……相手を仰け反らせたり、ダウンさせる」
「正解。で、今日はそういう技をやります」
「前置きが長いんだよ」

 そう文句を言われても、これはこれで意味のあることなのだ。
 フィーネは苦笑すると練習台となりそうな魔物を探すため、シンクを連れていつもの訓練場からやや足を伸ばす。するといくばくも行かないうちに、デスビーが草原をふらふら飛んでいるのを見つけた。飛行型でやや攻撃が当てにくいものの、物防が低い魔物でもあるのでちょうどいいだろう。

「まずは見てて」

 シンクにそう言い残して、フィーネは一人でデスビーに近づいていく。向こうもすぐにこちらに気が付いたらしく、羽音を唸らせ臨戦態勢をとった。戦闘開始だ。
 普段よりもゆっくりとした動きを意識しながら、勢いよく前に踏み込み、まずは左手の掌底で一発。その衝撃で敵の動きを止めて、最後に両手で気を集束させ、吹き飛ばす。

「双撞掌底破!」

 理想はそこで、敵がダウンしてくれれば良かった。だが、加減の仕方が足りなかったのか、デスビーは紫色の靄を立ち昇らせて、音譜帯へと還っていったのだった。


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