アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


29.私たちは似ている(30/151)

 フィーネが直接導師の部屋を訪ねるのは、イオンに死の預言スコアが出ていると聞いた、あの日以来のことだった。専用の譜陣を使って導師の部屋のある階に移動し、廊下の奥へと足を進める。
 以前と違うのは、物々しい警備の兵がいなくなったということだろう。前は導師守護役フォンマスターガーディアンのアリエッタ自体を遠ざける必要があったが、今はアニスがその役職通りにイオン様を守ればいい。
 フィーネは部屋の前で立ち止まると、形式通りにノックをし名乗った。

「特務師団、師団長補佐の奏手フィーネです。入室の許可をお願いします」
「……許可します」

 中から聞こえてきた声は柔らかで、一瞬よそ行きのイオンを思い出したが、彼とは違って声には少しの緊張が含まれている。イオン様にとってフィーネの突然の来訪はまさしく寝耳に水の話だろう。フィーネは部屋に入るなり、急な訪問ですみませんと謝った。

「いえ、その……確かに驚きましたが、どうされたのですか」

 イオン様は椅子に腰かけていて、どうやら読書の最中だったようだ。といっても、机の上には何冊も積み上げられているため、娯楽ではなく勉強目的だと思われる。
 それを見てみんな勤勉だな、と考えたフィーネは、すぐさま自分の呑気な感想を恥じた。彼らは勤勉なのではなく、生きていくために必死なのだろうと思い直したからだ。

「イオン様には本当にご迷惑をおかけするのですが、本日の午前はアニス奏長の代わりに私が導師守護役フォンマスターガーディアンの任に着かせていただくことになりました」
「アニスに何かあったのですか?」
「いえ、そういう話ではなくて。ただ、彼女と相談して今日だけ役割を交代したのです」
「……彼女が、あなたに頼んだのでしょうか」

 どう説明したものかと考えていたら、ずばり図星を突かれてフィーネは反応に困った。だが、元々アニスは手引きをすると言っていたくらいだし、これは彼女の善意に基づく行動であるし、隠しだてするような内容でもないだろう。そうです、と返事をすると、イオン様は眉を下げて微笑んだ。困っているようにも見えるし、嬉しそうにも見える笑顔だった。

「そうですか……。僕は彼女に、余計な心配をかけてしまったみたいだ。それからあなたにもご迷惑を」
「迷惑だなんて。それに、私もイオン様に会わなくてはと思ったんです。この前図書室で会ったとき、すごく失礼な態度を取ってしまったから……。本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、僕もあなたの気持ちを考えずに幼馴染だなんて言ってしまって……こちらこそすみませんでした」
 
 イオン様はものすごく腰の低い方のようで、お互い謝りあった結果、なんだか気まずい空気が流れてしまう。扉付近で突っ立っていると向かいの席を勧められて、フィーネは言われるままに腰を下ろした。次の会話の糸口を、なんとか見つけようとする。

「……その、イオン様は図書室でのことを気にされて、私を探しておられたのでしょうか」
「ええ。それもありますが……事情を知る方として、あなたとは話をしてみたかったんです」

 事情を。
 フィーネは一瞬、どうやって息を吐いたものかわからなくなった。普段、シンクとの間では、その『事情』の話は触れないのが暗黙の了解になっていたので、こうもいきなり踏み込まれるとは思ってもみなかったのだ。

「……そういうものなんでしょうか。私がイオン様だったら……怖いです。自分の素性を知っている相手と向き合うなんて」

 確かに正体を知られることについては怯えなくていいだろうが、事情を知っているからこそ別の恐れもある。自分がイオン様の立場であれば、偽物だと罵られるかもしれない、気味悪がられるかもしれないとあれこれ悪い妄想を巡らせてしまいそうだ。事実、前回フィーネは彼の存在をうまく受け止めきれず、逃げ去ってしまったのだから。
 フィーネが再び罪悪感に苛まれながら尋ねると、イオン様はちょっと驚いたように瞬いた。

「あなたはとても正直な人ですね」
「す、すみません……えっと、イオン様はとても強い方なんだなって驚いただけで、悪気があったわけでは、」
「大丈夫ですよ。正直さはあなたの美徳だと思います」
「……」

 イオンの顔で面と向かって褒められて、なんだか落ち着かない気分になった。だが、彼の口調には社交辞令の嘘っぽさがなかったので、本当に心から美徳だと思って言ってくれたのだろう。なんというか、人格ができすぎている。皮肉屋のイオンでなく、普通の人と比べたとしても、彼の性格はちょっと良すぎるのではないかと思う。
 悪いほうの好奇心が、急に胸の内に湧き上がってくるのを感じた。

「……あの、正直ついでにお聞きしたいんですが、イオン様は誰の前でもその性格なんですか?」
「え?」

 怒られなかったのをいいことに、フィーネは思い切って聞いてみる。さすがのイオン様も面食らった表情になっていたけれど、それでもやっぱり気分を害した様子はなかった。

「ええ、特に変わらないとは思いますが……」
「愚痴とか、腹の立つ相手はいないのでしょうか」
「愚痴……腹の立つ相手……ですか」

 見た目通りの年数は生きていないとしても、ただ慈しまれるだけの赤子とは違い、知識を詰め込まれ、導師としての振る舞いを求められ、楽な生活では決してなかっただろう。それはこの短期間で必死に学び、必死で戦っていたシンクを見てきたからよくわかる。フィーネは心のどこかで、彼にもシンク同様のつらさがあると決めつけていた。むしろ、そうでなくては不公平だとすら思っていた。

「いえ、皆さんはとても僕に良くしてくださいますから」
「……じゃあ、預言スコアについては? 
 無ければいいと思ったことはありませんか?」
「フィーネ奏手? 僕は導師ですよ、今のは聞かなかったことにします」
「私は導師ではなく、イオン様にお聞きしたいんです」

 自分が今、彼を困らせているというのは自覚していた。無茶苦茶で子供じみた質問をしているともわかっていた。それでも、彼があんまりにもお手本みたいな答えを返すものだから、フィーネはついムキになって食い下がってしまう。自分でもどうしてこんなに拘っているのか、不思議なくらいに。

「……僕、にですか。すみません。よく、わかりません」

 結局、イオン様はどこか途方に暮れたような声でそう言った。その彼の真剣な表情を見て、フィーネは今更ながらあっ、と気づいた。

(まるで少し前までの、私みたい)

 そうだ。フィーネだって少し前までは、預言スコアを憎むという感情がよくわからなかった。イオンに向かって、過去のことは変えられないなんて、ずいぶん物分かりのいい台詞も吐いた。

(イオンがずっと私に突っ掛かってた気持ちが、今わかった)

 これまでよくイオンはフィーネに向かって、預言スコアに弾かれただの、選ばれなかっただの、散々な表現をしていた。てっきりそれは憂さ晴らしや、選ばれたイオンのほうも良い人生ではないという自虐が混じったものだと思っていたけれど、単純にフィーネに同じ気持ちを共有してほしいという思いがあったのかもしれない。
 少なくとも、今フィーネがイオン様に突っかかった理由はそうだった。目の前の彼に対して、同じ預言スコアの被害者であるという意識を抱いてしまっていた。だから、お手本みたいなことを言う彼に、勝手に裏切られたような気持ちになっていた。

「……そう、ですよね。急に言われても困りますよね。イオン様は今一生懸命、導師のお仕事を頑張ってるのに」

 だがその一方で、フィーネには彼が『わからない』と言った理由もよくわかってしまった。彼は生まれてから導師たろうとするのに忙しくて、自分自身に向き合う余裕もなかったのだろう。フィーネだって、与えられた自分の職務を全うすることで、これまで深く考えずに済ませてきたのだ。イオンのどうしようもない運命や、シンクの深い憎しみに触れるまでは、預言スコアはフィーネを素通りしていくものでしかなかったのである。

「……すみません、せっかく聞いてくださったのに。僕としての答えは、考えたことがありませんでした」
「いえ、私のほうが今までずっとぼうっと生きてきたくせに、イオン様に無茶言いました。ごめんなさい」

 またお互いに謝りあってしまい、今度は思わず顔を見合わせて笑った。そうやって笑うと、イオン様は女の子みたいに見える。同じ顔をしているはずなのに、イオンのときは一度も思わなかったことだった。

(……あぁ、やっぱり別人なんだ)

 それは努めて導師の代わりであろうとする彼に向かって言っていいのかわからなかったが、少なくともフィーネはその違いを前のように不快には感じなかった。

「でも、イオン様も、一日中ずっと導師でいなければならないわけじゃないと思います。そのうち上手な気の抜き方や手の抜き方がわかれば、イオン様なりの答えや考えがいくらでも見つかると思います」
「ふふ、手を抜くのはともかく……気を抜くのはいいかもしれません。フィーネ奏手、たまにはお付き合いいただけますか?」
「え? わ、私ですか」
「ご迷惑でしょうか。その、あなたの前でなら、僕は導師でいなくてもいいんでしょう?」

 確かにフィーネは、導師という存在を拠り所にしている敬虔な信者ではないし、教団の面子にも政治的な争い事にも興味がない。導師という役職の重みはさんざん幼馴染から愚痴を聞いていたので、イオン様にも同じくお休みが必要なのかもしれないと思った。
 ただ、やはりどうしても躊躇う気持ちがあって、無意識のうちに仮面に触れていた。

「いいんでしょうか? 私、こんな怪しいのに」
「僕にも『事情』があるのだから、あなたにも『事情』があって当然です」
「……ありがとうございます」
「いえ、お礼を言うのは僕のほうですから」

 謝りあいの次は、お礼のいいあいだ。意外と、イオン様とフィーネのほうが性格的に似ているのかもしれない。優しい言葉をかけられて、フィーネは知らず知らずのうちに微笑んでいた。

「たぶんですけど……アニス奏長もイオン様が導師らしくないことをしても、気にしないと思いますよ」
「そうかもしれませんね。僕も、彼女とは仲良くしたいと思っています」

 そこから先は、共通の話題ということでアニスの話で盛り上がった。彼女はやっぱりイオン様に対しても、過度に恐縮したり物怖じしたりしないらしい。
 彼女の明るさは見習いたいものです、とイオン様が言うものだから、フィーネも心から同意した。そうやって同じ感想を抱き、共感すればするほど、最初に感じていた壁がみるみるうちに崩れていくのを感じた。



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