アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


28.安堵の既視感(29/151)

「あ、副長! その、今日の夜なんですが――」

 訓練場に着くなり、ダドリックがこちらに来て何か言いかけたようだったが、今のフィーネはゆっくり話に耳を傾けられる状態ではなかった。突然巻き込まれた喧嘩を持て余し、さらに大勢を巻き込んでうやむやにしてしまおうとしているのだから、このまま勢いで事を進めるしかない。

「本日は特別に合同訓練とします! 
 第三師団長のアリエッタ響手と導師守護役フォンマスターガーディアンのアニス奏長に来ていただきました! 一同、敬礼!」
「え!? は、はいッ!」

 敬礼と言われれば、理解できていなくても反射的に身体が動くのが軍人のさがだ。綺麗に整列し、礼の形をとった部下を見回し、フィーネはアリエッタとアニスに向き直る。

「ではよろしくお願いいたします」
「え〜、ちょっ、フィーネ奏手……強引すぎ」
「えっと、アリエッタは何をすればいいの……?」
「ライガ達を連れてきてほしい。それで、皆で一緒に訓練しよう」
「……? わかった、です」
「アニスちゃんは何もわかんないんですけどぉ!」

 フィーネが頼むとアリエッタは頷いて、ひとまずこの場を離れる。よし、これで一人はなんとか上手く丸め込めた。
 ライガ、訓練という単語を聞いて部下たちのほうから緊張した空気が伝わってきたが、それはさておきフィーネは次にアニスの攻略にかかる。

「急にこんな訓練って言われたって困りますよう。私、導師守護役フォンマスターガーディアンなんですから、イオン様の傍を離れるわけには、」
「今日は私が代わりにイオン様の守護の任に着くよ。どうかな? それなら早速アニスのお願いも果たせるし、イオン様も喜んでくれるかも」
「ど、どうかなって、そんな……そんなこと言われたら……。あぁもう、フィーネ奏手ずるいです!」

 アニスは腕を組んで頬を膨らませたが、答えとしてはオーケーということだろう。午前中だけとの約束で、フィーネは臨時の導師守護役フォンマスターガーディアンとなった。成り行きでそういう話になったとはいえ、アリエッタが席を外してくれていて本当に助かった。

「でも、二つ目のお願いはどうしてくれるんです? 私、アリエッタと一緒に訓練なんて無理ですよ!」
「二人は一度、腹を割って拳で殴りあった方が仲良くなれると思うの。
 導師守護役フォンマスターガーディアンが戦えないはずないでしょう?」
「……失礼ですけどぉ、フィーネ奏手ってば、脳みそ筋肉でできてます?」

 アニスは抵抗する意味で嫌味を言ったのだろうが、フィーネにとってはその程度聞き慣れたものだった。むしろ怖がられていたのに比べれば、なんだか少し彼女と仲良くなれた気さえしてしまう。

「あはは、筋肉馬鹿ってイオンにも言われたことあるよ」
「嘘!? イオン様が!?」

 もちろん、そんな気安い暴言を吐くのはイオン様ではなくイオンのほうだったが。
 フィーネは笑って誤魔化すと、話はついたとばかりにポンと手を打った。

「じゃあ、今日はよろしくお願い。アニス」
「う〜わかりましたよ! はぁ、イオン様にそこまで言わせるなんて、フィーネ奏手ってやっぱちょっと怖い人カモ……」
「え、そこで株下がるの、私のほうなの?」

 少し納得いかない気もするが、それだけ導師の人望は厚いということなのだろう。どうやらあちらのイオン様も、うまく導師守護役フォンマスターガーディアンとの信頼関係を築いていっているらしい。少なくとも単なる守護の任を超えて、アニスがあの導師を気遣っているのは間違いない。フィーネは自分が彼から逃げてしまったからこそ、こうしてアニスが彼の支えになろうとしてくれていることに少しほっとしていた。それはかつて、イオンにはアリエッタがいるから大丈夫だ、と安心したのと同じ感覚だった。

「そうそう、それでダドリック、さっき何か言おうとしてましたよね。今日の夜がどうかしましたか?」

 一通りカタがついたことに満足したフィーネは、そこでようやくダドリックが何か言いかけていたことを思い出す。急に名前を呼ばれた彼はさっと背筋を伸ばして、それからなぜかしどろもどろになった。

「え、えっとですね……その、今日の夜は……」
「はい」
「い、いえ、すみません。やっぱり、全員無事に今日の訓練を終えられたら、お伝えすることにします!」
「はぁ、なんだかわからないけど……。そう構えなくても、アリエッタの魔物はよく統制されていますよ」

 第六にいたときも、アリエッタに部下の訓練を手伝ってもらったことがあったが、過去一人として死人は出ていなかった。フィーネが安心させるつもりでそのことを告げると、ダドリックはなぜか引きつった笑みを浮かべる。

「ハハ、そうですか。死人出ていないんですね……よ、よかったです、ハハ……やっぱ今日も延期かな」
「?」

 何か今日の夜に大事な予定でもあったのだろうか。師団長からは何も聞いていないし、特に思い当たることのなかったフィーネは内心で首を傾げる。しかしながら、本人が後で伝えると言うことならば、そこまで緊急の用でもないのだろう。
 しばらくしてライガの群れを引き連れたアリエッタが戻ってくると、合同訓練は滞りなく開始されることとなったのだった。



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