アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


27.ただ者ではない彼女(28/151)

 正直お腹はそこまで空いていなかったけれど、アニスを部屋に通すわけにいかないフィーネは、彼女を朝食に誘うことにした。どうやらアニスのほうも最初からそのつもりだったらしく、それでこんな朝早くに訪ねてきたらしい。向かい合って席に着くと、アニスはフィーネのとってきた朝食を見てあからさまにやっぱり、という顔をした。

「やだなぁ、もう。フィーネ奏手ったらバレバレですよう」
「な、なにが?」
「いつもと量が違いますよね。やっぱり、最近は誰かと一緒にお食事されてるんじゃないですか?」

 にっこり、というよりはにやにやという感じの笑顔を向けられて、フィーネは一瞬固まった。むしろ、いつもの流れで二人分取らないように気を付けたくらいだったのだが、一人分しか取らないことで返って不審に思われたらしい。しかし、この前ぶつかったときはものすごく怖がられていたはずなのに、アニスのこの揶揄うような表情は一体どういう心境の変化なのだろう。仮面の下で目を泳がせながら、フィーネはなんとか言い訳しようとした。

「えと、いや、今日はたまたま食欲が湧かなかっただけで……」
「そんな下手な嘘つかなくてもいいですよ、もうみんな噂してるんですからぁ」
「噂?」
「フィーネ奏手に恋人ができたって。あの『止水のフィーネ』を射止めたのは誰なのか、みんな興味津々ですよ」
「……コイビト? 止水の? 待って、何が何やら……」

 いきなり情報量が多すぎる。というか、『みんな』って一体誰のことなのか。フィーネは教団で過ごした時間こそ長いものの、仕事の上司と部下という関係を除けばほとんど他人と関わっていなかった。なので自分が仮面以外のことで人に噂されるとは思ってもみなかったし、ましてや恋愛話とくれば尚更だ。歳の近い友人はそれこそイオンかアリエッタくらいしかおらず、あの二人とそんな話をするわけがないのでこういう会話自体反応に困る。
 ひたすらに戸惑っているフィーネを置いて、アニスは笑顔のまま言葉を続けた。

「あ、『止水の』っていうのはディストが言い出したことなんです。結果、本人の『薔薇のディスト』より浸透してるのが、ディストらしいっちゃディストらしいんですけど」
「ディストってあの第二師団長の!?」
 
 まともに会話したことはないものの、もちろん知らぬわけがない。彼もまた変り者として、教団内で有名な人物だった。そんな彼を呼び捨てにして親し気なアニスは何者なんだという思いと、よくわからない二つ名を付けられるくらい自分がディストに認識されていた驚きが混ざって、思わず大きな声を出してしまう。すると周りの視線がこちらに集まって、フィーネは恥ずかしさから俯いた。こういうときは、仮面をつけていて本当に良かったと思う。

「そうそう。あのディスト以外に、ディストが何人もいたら困りますよぅ」
「……な、仲がいいんだね」
「仲がいいというか、いっつも食堂で一人でご飯食べてるみたいだったから声をかけてみたんです。そしたら結構話すようになって」
「……」

 アニスはどうやらかなり社交的な少女らしい。いや、そういう性格だからこそ、フィーネとも話す気になってくれたのだろう。自分の仕えている導師の幼馴染だという情報も相まって、怖さが払しょくされたのかもしれない。とりあえず、恋愛話を元に興味を持たれたのではないことを祈るばかりだった。

「ま、まぁ呼び方は置いておくとして……コイビトがどうこうってのは誤解だよ。謎の『みんな』にも訂正しておいてほしいな」
「え〜。結構盛り上がってるんですよ? フィーネ奏手が『牛乳かけられ慣れてる』とか言うから余計に」
「待って、なんなのそのヘンタイ趣味」
「フィーネ奏手が言ったんじゃないですかぁ」

 ほら、私とぶつかったときに、と言われて記憶を辿ったフィーネは唸った。確かにあのとき、大袈裟に謝るアニスに動揺して変なことを口走ってしまったような気がする。が、それにしてもあんまりだろう。
 フィーネはぎこちない動きで今日も取ってきていた牛乳のグラスに視線を落とす。仮面をつけていてもなお、自分がどんな目で見られているか想像するといたたまれなかった。

「……無理。無理だよ。早く部屋に戻りたい。アニス奏長、それでお願いというのはなんなの?」

 とりあえず話を聞いて、朝食をかきこんで、さっさと人目のない所に逃げよう。フィーネがそう決意して話を促すと、アニスもようやく本題とばかりにちょっぴり真剣な表情になった。

「それがですね、実は二つありまして……」
「うん」
「一つは、イオン様に会ってあげてほしいんです」
「イオン、様に?」

 一瞬、幼馴染が頭をよぎったものの、すぐにアニスが指しているのが別の人物ことであると理解した。この前図書館で鉢合わせた、優し気な導師様のことだ。しかし彼のほうだからこそ、どうして会ってほしいと言われたのかわからずフィーネは首を傾げる。

「彼が会いたいって言ってるの?」
「いえ、直接そうおっしゃったわけではないです。でも、あれ以来、日に何度も図書室へ足を運ばれるようになって。まるで誰かを探してるみたいに、いつもは行かないような棚まで回られて……」
「……それで、私に会いたいんじゃないかと?」
「そうです。だってあの日、なんだかお二人が喧嘩別れしたみたいな雰囲気でしたから」
「……」

 フィーネが黙り込むと、差し出がましいことを言ってすみません、とアニスは謝った。フィーネとしても、あの日の自分の態度には思うところがあった。喧嘩ではないが、今考えてみても彼を拒絶するような振る舞いだったと思う。

「……わかった、時間を見つけて訪ねてみる。アニス奏長、ありがとう。イオン様のことを心配してくれて」

 フィーネが承諾すると、アニスはパッと顔を輝かせた。

「ほんとですか? じゃあ手引きはどーんと任せてくださいね! それと私のことは呼び捨てか、アニスちゃんでいいですよぅ」
「え、あ、うん」

 この流れで『じゃあ私も呼び捨てで良いよ』とさらっと言えないのが、フィーネがずっと孤立していた理由の一つでもある。普段は階級差も考えて遠慮してしまうが、腐っても師団長のディストを呼び捨てにするアニスであれば、きっと言えば友達になってくれただろう。素顔や素性を詮索されるのが嫌でなるべく人と関わらないようにしていたけれど、フィーネはなにも人間嫌いというわけではない。自分に臆面もなく話しかけてくれる年の近い女の子とくれば、もしかして友達になれたりしないだろうかと思ってしまうわけである。

「アニスちゃんって呼ぶのはちょっと恥ずかしいけど……その、ありがとう。よ、よかったら私も、」

 しかし、勇気を出して言いかけた言葉は、突然聞こえてきた魔物の鳴き声にかき消されてしまった。

「アニス、見つけたです!」
「え? アリエッタ?」

 こちらの席にずんずんと近づいてくるアリエッタは、いつもの人形とは違い仔ライガを腕に抱えている。状況が呑み込めずぽかんとしているフィーネを置いて、アニスはばん、とテーブルを叩いて立ち上がった。

「また出た、根暗ラッタ! ホントにしつこいんだからぁ!」
「アリエッタ、根暗じゃないモン!」
「根暗でしょ。それに、食堂に魔物連れてこないでよ!」
「だって、だって、アニスがアリエッタの人形取ろうとしたから!」
人形士パペッターとして、ちょっと見せてって言っただけじゃん! それに先に私にしつこく絡んできたの、アリエッタのほうなんだからね!」
「だって、だって、だって! アニスがイオン様に会わせてくれないからっ!」
「だからぁ、駄目だって言われてるんだってばぁ!」
「嘘よ! イオン様がそんなこと言うわけないモン!」

 怒涛の勢いで繰り広げられる応酬に、フィーネは黙って見ていることしかできなかった。ディストだけでなくアリエッタとも普通に会話しているなんて、アニスはやはりただ者ではないらしい。しかしフィーネがぼうっとしていられたのもそこまでで、アニスはあ〜もうと眉をしかめると、突然アリエッタを指さしてこちらに向き直った。

「フィーネ奏手! 二つ目のお願いっていうのはアリエッタのことです! 彼女とも幼馴染なんですよね? 私すっごく迷惑してるんで、なんとかしてください!」
「ええ……」
「フィーネ……? アニスの味方、するの?」
「いや、その、ええ……」

 二人から同時に熱い視線を向けられて、フィーネは本気で困り果てた。ろくに友人もいないのに、いきなり人の喧嘩を仲裁なんてできるわけがない。仲裁できるとしたら、それは拳で殴りあうような喧嘩くらいだ。

「ええと、じゃ、じゃあ今日は第三と導師守護役フォンマスターガーディアンとうちとで、合同訓練しようか」
「「!?」」

 とにかく一人で抱えるのは無理なので、特務師団のみんなを巻き込もう。
 フィーネは勢いよく席を立つと、有無を言わさず二人の手を掴んだのだった。


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