アンチ・アンチナタリズム
- ナノ -


26.おはようトラブル(27/151)

 昨夜はあのまま、夜中にシンクが魘されて起きることも暴れだすこともなかった。不貞腐れていた流れで不貞寝してしまったのか、気づくといつの間にか彼はすやすやと眠っていて、フィーネが押しやってマットの上に移動させても、ブランケットをかけてもちっとも目覚める気配がなかった。上級譜術だけでも慣れないうちは結構消耗するので、いきなりFOF技を使ったことでどっと疲れが出たのだろう。

 可笑しかったのはそれだけぐっすり眠っているくせに、手に響律符キャパシティコアをぎゅっと握ったまんまでいたことだ。
 あれだけ要らないといったくせに、本当に素直じゃない。本気で捨てるつもりならまだしも、あんなことを言えば後で着けづらくなるのに一体何がしたいんだか。
 ただまぁ、フィーネはシンクの反応を予想していたから、後で彼が気まずくならないようあえて隠して着けられるアンクレットを選んだわけで。
 流石に無駄な買い物とまで言われたときは、どうして自分がここまで気を使わなくちゃいけないんだろう、と思ったのも事実だったが。



「ホント最悪。ありえないんだけど。アンタってもしかしてデリカシーと引き換えに譜術を習得したわけ?」

 朝になってシンクが起きて、ますますフィーネはそう思った。めんどくさい。最初からフィーネは一緒に泊まると言っていたし、準備も片付けも全部こちらがやったのに、朝になって隣にフィーネが寝ているのに気づいたシンクはまたしても猛烈にヘソを曲げているのだ。それも昨日みたいにぶすくれるだけなら静かでよかったが、ぐっすり眠って回復した分、舌鋒のほうもすこぶる調子がいいらしい。

「朝起きて、もうちょっとで悲鳴上げるとこだったよ。ま、なぜかアンタが仮面着けたまま寝ててくれたから助かったけど、無かったらもっと酷い目覚めだっただろうね」
「……」

 なぜもなにも、フィーネは野営のときはいつも仮面をつけたまま眠るようにしている。鍵のかけられないテントでは誰が来るかわからないし、急襲された際に慌ててそのまま素顔で飛び出してしまう危険もある。シンクも顔を隠したいのなら、本当はそれくらい徹底すべきなのだ。
 普段であれば、フィーネはそうやってシンクに説明しただろうが、今朝はフィーネもかなり気を悪くしていた。野営の経験のないシンクを一人で外に寝かせるわけにはいかないとか、おそらくヴァンの元で訓練をすることになったのであろうシンクにせめてお守りをあげようとか、フィーネはフィーネなりに良かれと思って色々としているのに、一体どうしてこんな言い方をされなくちゃいけないのだろう。

(……よっぽど、私のことが嫌いなんだろうな。私と言うか、この世のもの全部かもしれないけど)

 それは、シンクの生まれを考えれば無理もないことかもしれなかったが、それでもやっぱりフィーネだって腹が立つときは腹が立つ。フィーネが落ち込むとシンクは楽しいらしいけれど、ここまでくると落ち込むを通り越してやるせない。
 喧嘩になるのは嫌だし話すのは必要最低限のことだけにしよう、と決めてダアトに戻る道すがらずっと返事をしないでいたら、シンクは部屋の手前まで来てようやく毒を吐くのをやめたらしかった。

「……フィーネ?」

 立ち止まって部屋に入らないこちらを見て、彼は怪訝そうな声を出す。フィーネはこのまま借りてきた備品を返却しに行こうと思っていたのだが、ふと思い出して必要最低限の確認をした。

「朝ごはんは? 要るなら取ってくる」
「要らないよ、まだ昨日のが胃にある感じがするし」
「そう。じゃあまた午後」
「っ、ちょっと、」

 呼び止められて、今度はフィーネのほうが怪訝な思いで振り返った。どちらも仮面越しで話している状況で言うのもなんだが、お互いこれ以上顔を突き合わせていたくはないだろう。

「……」

 シンクは何を言うわけでもなく、かといって部屋に入るでもなく、ただじっとその場に突っ立っている。
 たっぷり数十秒はそうしていたので、とうとう焦れたフィーネのほうから口を開いた。

「なに? もしかして、今日の午後は都合が悪かったの?」
「違う。それは来週のウンディーネの日……他に予定が入るのは、週一だから」
「そっか」
「……」

 あれだけずっと何もないと言い張っていたのに比べれば進展だったが、フィーネは特に深く突っ込まなかった。
 シンクはまただんまりに戻る。ただ、先ほどまでの険のある感じではなく、何か言いたげな雰囲気だったので一応フィーネは待とうと思った。

「……その、さっきは、」

 廊下の奥から、こちらに向かって歩いてくる足音が聞こえてくるまでは。

「!」

 咄嗟に見られてはいけないと思い、ドアノブを引っ掴んで開けると、シンクを思いっきり中に向かって突き飛ばす。
 少々ムカついていたこともあって加減を間違えた気もしたが、扉に背中を預けるようにして閉めたフィーネは、こちらにやってきた人物に向かって引き攣った笑みを浮かべた。

「お、おはよう、アニス奏長」
「おはようございます。って、どうしたんですかぁ? そんな扉に張り付いて」
「いや、えっと、」

 正直隠しただけでいっぱいいっぱいだったので、肝心なところでフィーネはしどろもどろになってしまった。そんな挙動不審な態度のフィーネを見て何をどう勘違いしたのか、アニスはちょっとにやりと笑う。

「はわぁ〜もしかしてぇ、アニスちゃんお邪魔しちゃいましたかぁ? 誰かその、カレシさんが来てたとか……」
「へ? 全然違う。それより、アニス奏長こそどうしてここに?」

 なんだつまんない、と呟くアニスには悪いけれど、まったく予想外の単語を突きつけられたことでフィーネは返って冷静になれた。元を正せばイオンがお忍びで訪ねて来る都合で、フィーネの部屋は他の騎士団員と離れてぽつんと存在していた。この辺りの部屋といえば物置のような倉庫ばかりだし、アニスがこんな朝っぱらからやってくる理由がわからない。
 話を逸らす目的以外に、本当に不思議に思って尋ねれば、アニスはわかりやすいくらい上目遣いになった。

「えっと、フィーネ奏手にお願いがあってきたんです」

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mokuji