21.出自と矜持(22/151)
訓練場に着いて軽いウォーミングアップを済ませたフィーネは、部下たちに今日のメニューを指示すると指導もそこそこのところで切り上げた。元々、今日は一日中付き合うつもりもなかったし、ダドリックから今日は師団長のアッシュがダアトに帰ってきていると報告を受けたからだ。 フィーネがアッシュの執務室を訪ねてみると言うと、部下の面々は口を揃えて穏便にお願いしますねと言った。フィーネとしても着任早々、上官と険悪な雰囲気になりたくないので、部下たちがそう言う度にちょっぴり不安になった。本当にカンタビレ師団長には揶揄われただけなのだろうが、アッシュにはどこか人を寄せ付けない雰囲気がある。機嫌が悪いのとはまた違うようだがいつも気難しそうに眉間に皺を寄せていて、正直なところ少し怖い。 執務室の扉の前に立つと、フィーネはコツコツと軽いノックをし名乗る。
「入れ」
聞こえてきた声に、失礼しますと返して、中に入ったフィーネは敬礼をした。
「……だから、そう畏まらなくていいと言っただろ」 「すみません、まだ緊張していて」 「で、どうした」
デスクで何やら書類仕事をしていたらしい彼は、手を止めて怪訝そうにこちらを見る。フィーネはこれも仕事だからと自分を勇気づけながら、昨日の事です、と口を開いた。
「昨日、ご不在でしたので。どちらに行かれていたのかと」 「なんだ、そのことか。別に俺がいなくても問題なかっただろう」 「ええ。ですが、問題があってからでは遅いです。せめて行先は告げてもらわないと、有事の際に困ります」 「俺が不在の時はお前に一任する。そのための補佐だと考えてもらえばいい」 「……」
嫌味っぽさはないものの、切って捨てるような言い方をする人だ。フィーネはなんと言って説得したものか悩んだが、そもそも口で戦うのはフィーネの得意とするところではない。
「ケセドニアですか?」
結局、正面切って尋ねるのが一番わかりやすかった。フィーネの言った地名はズバリだったようで、アッシュは苦々しい顔になる。
「チッ、誰が……」 「すみません。師団長は、キムラスカに縁故があるかもしれないと小耳に挟んだもので」 「ヴァンか?」 「え、いや総長はなにも」
どうして真っ先にその名が挙がるのかはわからなかったが、彼はこのことを他人にあまり知られたくなかったらしい。はぁ、とあからさまにため息をつかれて、フィーネはまたしてもやらかしたかもしれない、とじわじわ反省していた。
「あの、お気持ちはわかるので、苦情を言いたいわけではなくて……」 「フン、気持ちがわかるだと? 今回の戦いじゃマルクトは戦勝国だ」 「? 私自身は北部戦には参加しておりませんが、ダアトの兵もほぼ壊滅だったかと」 「それは知っている。だがお前……マルクトの貴族だろう」 「はあ?」
思わず、上官に対して素で聞き返してしまったが、アッシュはそこには引っかからなかったようだ。むしろそれより、完全に他人事のように話すフィーネに戸惑っているようだった。
「お前の生い立ちは聞いたが、マルクトにはお前の家族も領民もいる。そのことに代わりはないだろう」 「……いません、そんなもの」 「貴族としての矜持はないのか」 今度は開いた口が塞がらなかった。フィーネは単にアッシュの事をキムラスカ出身なのだくらいに思っていたが、どうやら彼も貴族の出で、しかも未だに民を思う心を持ち合わせているらしい。わざわざ教団に寄こされるくらいなのだから三男やそれ以下の子供なのだろうが、まるでフィーネには縁のない矜持の話を持ち出されて、怖いと思っていたのも吹き飛んでしまった。
「師団長、私はマルクトを故郷と思っていないので、マルクトが勝っても別に嬉しくはありません。逆に負けてもさほど悲しくはないと思います。その意味では確かに、気持ちがわかると言ったのは軽率でした」 「……」 「ただ、私にも教団でできた大事な人たちがいます。その人が傷ついたり苦しんだりしていれば、心配になって駆けつけたくなります。だからわかると言いました」 「……悪かった。つい、お前に当たってしまった」
まさかそう素直に謝られるとは思っておらず、フィーネは言葉に窮した。ただ、不在にするなら前もって一言欲しいとそれだけの話だったはずなのに、フィーネのほうもついムキになってしまった気がする。
「いえ……私も師団長の事情に踏み込むような真似をしてすみません」
謝ったものの、気まずすぎた。 この人は一体何者なのだろう。ローレライを消滅させるための鍵となる人物で、ヴァンに賛同しているくらいだからおそらく預言嫌いである。だが、預言がなくなれば、きっと彼の大事なキムラスカも荒れるだろう。第七譜石を巡ってくだらない戦争が起こる世界よりは良いと思っているのかもしれないが、預言を失った秩序のない世界が平和とは限らない。 むしろ、急に無くなったら、この世は滅茶苦茶になるだろうなとフィーネは思っていた。それなのに計画に加担しようと思ったのは、マルクトの人間よりも幼馴染のイオンの願いのほうが大事だと思ったからだ。シンクたちレプリカが無理矢理な生を与えられるのを目の当たりにして、せめて預言を破壊することが彼らに対する責任の果たし方だと思ったからだ。
「師団長、ひとつだけ……預言なんて無くなればいいと本当に思っておられますか?」
フィーネが問えば、アッシュはその緑色の瞳に憎しみを浮かべて、当たり前だと吐き捨てた。 その言葉に偽りはなさそうだったが、果たして預言の破壊はキムラスカを思う心と矛盾しないのか。
「だったら、私たちは出自がどこであろうと同志です」
ヴァンが彼を見張るように言った理由が、今なんとなく分かった気がした。
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mokuji
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